第35話 民族衣装、五人の異変
翌朝のテルマ・リュネの目抜き通りは、朝から観光客で賑わっていた。
石畳の両脇に並ぶ土産物屋からは、湯の花や、香油の甘い香りが漂っている。露店では、湯上がりに食べる串団子が焼かれ、香ばしい匂いと、炭の弾ける小さな音が、通り全体に満ちていた。足元の石畳は、朝露にわずかに濡れ、踏みしめるたびに、しっとりとした感触が伝わってくる。行き交う人々の話し声、下駄に似た履物の乾いた音が、軽やかなリズムを刻んでいた。
「――理恵さん、あの店、見てください」
コリンが指し示した先には、色とりどりの衣装が飾られた店があった。
「テルマ・リュネの民族衣装、だそうです」
店先の看板には、湯浴み着を基調にした、独特の意匠を持つ衣装が、いくつも展示されていた。
◇ ◇ ◇
「せっかくだし、記念に着てみるか、理恵さん」ルークが、気軽に提案した。
「私が、ですか」
「似合うと思うぞ! なあ?」
その問いかけに、他の四人も、それぞれ頷いた。
「良いと思います、僕も」コリンが、耳を揺らしながら賛成する。
「郷に入っては郷に従え、というやつだ」イアンも、珍しく乗り気だった。
「僕は、大賛成」メルが、にこやかに言う。
トビアスは、何も言わなかったが、その視線が、店先の衣装を、じっと見つめていることに、理恵は気づいていた。
◇ ◇ ◇
「――じゃあ、少しだけ」
理恵は、少し照れながら、店の奥へと案内された。
用意された衣装は、薄い水色を基調にした、涼やかな一着だった。裾には、湯煙を思わせる白い刺繍が施され、腰には、淡い桃色の帯が結ばれている。着付けを手伝ってもらいながら、理恵は、その柔らかな生地の感触に、思わず頬を緩めた。
◇ ◇ ◇
「――お待たせしました」
理恵が、店の外で待つ五人の前に姿を現すと、そこには、これまでにない、奇妙な沈黙が広がっていた。
「……えっと」
理恵は、その反応に、少し戸惑った。
最初に固まったのは、ルークだった。彼は、理恵の姿を、まともに見ることができないのか、視線を明後日の方向に泳がせている。
「ル、ルークさん?」
「あ、いや、その……似合ってる、と思う。うん」
その声は、いつもの快活さとは、明らかに違っていた。
◇ ◇ ◇
コリンは、顔を耳の先まで真っ赤にして、俯いてしまっていた。
「コリンさん、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫です! ちょっと、暑いだけで!」
その言い訳が、あまりに苦しいものであることは、誰の目にも明らかだった。
イアンは、意味もなく、眼鏡を何度も拭き続けている。
「――イアンさん?」
「……レンズが、少し曇っていた」
その受け答えの声は、いつもより、明らかに上擦っていた。
◇ ◇ ◇
いつもなら真っ先に軽口を叩くはずのメルは、珍しく、何も言わなかった。ただ、じっと、理恵を見つめている。
「メルさん、いつもの口説き文句は?」
「――今は、うまい言葉が、思いつかなくて」
その静かな返事に、理恵は、思わず、少し驚いた。
◇ ◇ ◇
そして、トビアス。
彼は、努めて平静を装おうとしていたが、その耳の先が、うっすらと赤くなっていることに、理恵は気づいた。
「――似合っている」
その一言は、これまでのどんな褒め言葉よりも、簡潔だった。だが、その簡潔さの奥に、確かな動揺が、隠しきれずに滲んでいた。
「ありがとう、ございます」
理恵は、なぜか、その一言だけで、胸が大きく高鳴るのを感じた。
◇ ◇ ◇
その後、宿の手違いで、理恵と誰か一人が同室になる、という小さな騒動も起きた。
「――部屋割り、間違えてたみたいで」宿の女将が、申し訳なさそうに言った。「本日中に、別室をご用意しますので、それまでの間、どなたか一室、ご一緒いただければと」
「じゃあ、俺と――」ルークが言いかけたところで、コリンが、勢いよく手を挙げた。
「僕が、理恵さんと同室で!」
「あ、コリン、卑怯だぞ!」
「早い者勝ちです!」
その騒動を、理恵は、苦笑しながら見守った。結局、コリンが強引に押し切る形で、その日は、理恵とコリンが同室になることで、話がまとまった。
◇ ◇ ◇
夕方、通りの一角では、宿泊客同士の、ちょっとした料理勝負が開かれていた。
「理恵さん、参加してみたらどうですか」コリンが、興味津々に誘ってきた。
「料理勝負、ですか」
「地元の食材を使った、簡単な一品を作る、みたいな企画らしいです」
「じゃあ、せっかくなので」
理恵は、その場にあった湯上がり用の柑橘に似た果実を使い、さっぱりとした一品を仕上げた。結果は、僅差での惜敗だったが、審査員からは、「独創的な発想」と、高い評価を受けた。
「――やっぱり、あんたの料理は、ただ者じゃないな」
ルークが、悔しそうに、しかし誇らしげに言った。
◇ ◇ ◇
その夜、部屋に戻った理恵は、一人、今日一日の出来事を、静かに振り返っていた。
五人の、あの奇妙な反応。
自分は、これまで、彼らに、どう見られていたのだろう。
その疑問が、初めて、はっきりとした形で、理恵の胸に浮かび上がってきていた。
◇ ◇ ◇
「――理恵さん、まだ起きてます?」
同室のコリンが、寝台の向こうから、遠慮がちに声をかけてきた。
「起きてますよ。どうしました?」
「いえ、その……今日の衣装、本当に、綺麗でした。……ちゃんと言えなかったので、今、言っておきたくて」
その素直な一言に、理恵は、少し照れながらも、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
静かな夜の中、理恵は、天井を見つめながら、小さく呟いた。
「――いやいやいや。五人全員はない」
その否定は、自分自身に向けたものだった。だが、その言葉とは裏腹に、理恵の胸の中には、これまでにない、確かなざわめきが、静かに広がり続けていた。
テルマ・リュネの夜は、湯気に包まれながら、更けていく。
そして、この温泉都市での日々は、まだ、その本当の意味を、明かし始めたばかりだった。
(第36話へ続く)




