第32話 束の間の凱旋、温泉への誘い
ノルド砦の食堂は、その夜、これまでにない賑わいに包まれていた。
天井から吊るされたランプの灯りが、木製のテーブルを、橙色に照らし出している。あちこちの席から、勝利を祝う笑い声と、木製のジョッキがぶつかり合う音が響いていた。厨房から流れてくる、肉の焼ける香ばしい匂いに、理恵の作った野菜の煮込みの匂いが混じり合い、食堂全体を、温かな空気で満たしている。長テーブルに肘をつくと、木の表面が、これまでの多くの兵士たちの手によって、すっかり滑らかに磨かれていることに気づいた。
「――魔物の巣、完全制圧、お疲れさん!」
隊長の音頭で、砦中の兵士たちが、杯を掲げた。
「かんぱーい!」
ルークの音頭に合わせ、六人も、それぞれの器を打ち合わせた。
◇ ◇ ◇
「理恵さんの作った料理、砦の連中にも、大好評だな」
ルークが、満足げに頬張りながら言う。
「良かったです。……そういえば、ルークさん」
「ん?」
「以前、故郷の料理、教えてくれるって言ってましたよね」
その言葉に、ルークは、少し驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「覚えててくれたのか! よし、今度こそ、材料揃えるぞ!」
「楽しみにしてます」
「田舎の、素朴な料理だけどな……なんつーか、傭兵団の連中と、たまに囲んだ、腹に溜まるだけの飯じゃなくて。……ちゃんとした、家庭の味、っていうか」
ルークの声が、少しだけ、しみじみとしたものになった。
「あんたに、教えてもらった。ちゃんとした飯の楽しさ。……今度は、俺が、教える番だな」
その言葉に、理恵は、静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
「――皆さん、お疲れさまでした」
少し落ち着いたところで、コリンが、改まった様子で言った。
「今回、僕、あんまり足を引っ張らずに済んだと思います。……前より、ちゃんと、みんなの役に立てた気がして」
「当たり前だろ、お前の回復なしじゃ、あの戦い、乗り切れなかったぞ」ルークが、コリンの背中を、軽く叩いた。
「そう、ですかね」
「そうだよ」イアンが、珍しく素直に同意した。「魔力配分の判断も、以前より、格段に正確になっている。……成長を、感じる」
その言葉に、コリンの耳が、嬉しそうに、ぴんと立った。
理恵は、その様子を見ながら、あの月明かりの夜の特訓を、静かに思い出していた。
◇ ◇ ◇
「――なあ、トビアス」
しばらくして、隊長が、改まった様子で、トビアスに声をかけた。
「今回の任務、想定以上の成果だった。……しばらく、砦周辺は、落ち着くはずだ」
「そうか」
「戦線への復帰命令とはいえ、休息なしに戦い続けさせるのは、俺としても、心苦しい」隊長は、続けた。「――正式な報告をあげておく。しばらくの間、休暇を取っていい頃合いだと思うぞ」
その提案に、理恵たちは、思わず顔を見合わせた。
◇ ◇ ◇
「休暇、って、どこか、行くとこあるのか?」ルークが、目を輝かせながら尋ねる。
「――一つ、心当たりがある」
トビアスが、静かに答えた。
「王都から少し離れたところに、温泉都市がある。……テルマ・リュネ、という」
「温泉!」ルークが、真っ先に食いついた。「いいじゃん、疲れも取れるし!」
「温泉って、こっちの世界にもあるんですね」理恵は、少し驚きながら尋ねた。
「王国内でも、有数の湯治場だ」トビアスは、続けた。「戦況が落ち着いた今なら、少しの間、羽を伸ばしても、問題ないだろう」
「僕も、行きたいです!」コリンが、耳を揺らしながら言う。
「僕も、賛成」メルが、いつもの調子で笑う。
「効率的な休養は、その後の戦闘能力向上にも繋がる」イアンも、珍しく前向きに頷いた。
◇ ◇ ◇
「――理恵は、どうだ」
トビアスが、理恵に、静かに尋ねた。
「私も、皆さんと一緒に行けるなら」理恵は、笑いながら答えた。「温泉、興味あります。異世界の温泉って、どんな感じなんだろう、って」
「なら、決まりだな」
トビアスの言葉に、六人は、それぞれの表情で、頷き合った。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、宿舎の窓から、砦の外に広がる夜空を見上げていた。
この数ヶ月、王都での穏やかな日々から、戦線への復帰、そして、この砦での激しい戦闘まで、様々な出来事が、目まぐるしく過ぎていった。
そんな日々の中で、久しぶりに訪れる、束の間の休息。
その響きに、理恵の胸は、素直な期待で満たされていた。
◇ ◇ ◇
だが理恵はまだ知らない。
その温泉都市での日々が、これまでのどんな出来事よりも、六人の関係を、大きく揺さぶることになるということを。
これまで、静かに育まれてきた、それぞれの想い。
それらが、この休息の地で、初めて、はっきりとした形を持ち始めることになる。
砦の夜空に、月明かりが、静かに、しかし確かに、輝いていた。
六人の旅は、次の局面――束の間の、しかし忘れられない休息の日々へと、向かい始めていた。




