第27話 見送られた月日、戦線への招集
術師ギルド本部の会議室は、これまでとは違う、どこか重苦しい空気に包まれていた。
窓の外は、灰色の雲に覆われている。差し込む光も弱く、部屋の中は、いつもより薄暗い。壁際に積まれた資料の山からは、古い紙とインクの匂いが漂っていた。誰も口を開かないまま、時計代わりの魔道具が、こちこちと規則的な音を立てている。理恵は、その静けさの中で、自分の心臓の音が、やけにはっきりと聞こえる気がした。
「――申し訳ありません」
フィオナが、深く頭を下げた。
「ゲート開放実験の予定を、延期せざるを得なくなりました」
◇ ◇ ◇
「延期、って」理恵は、思わず聞き返した。「どうして、急に」
「王国軍からの、正式な要請です」フィオナは、苦い表情で説明した。「黒嶺領との国境沿いで、大規模な魔物の活性化が確認されています。……この実験に割り当てていた魔力炉の出力を、防衛戦線に回すよう、命令が下りました」
「そんな……」
「加えて」フィオナは、一度、言葉を切った。「勇者パーティーにも、前線への復帰命令が出ています。……申し上げにくいのですが、これは、宰相閣下直々の指示だと聞いています」
その名前に、理恵は、あの謁見の日の記憶を思い出した。痩せた男の、抑揚の少ない声。
◇ ◇ ◇
「――どれくらい、延期になるんですか」トビアスが、静かに尋ねた。
「現時点では、明言できません」フィオナは、申し訳なさそうに答えた。「戦況次第、としか」
その言葉に、部屋の空気が、さらに重くなった。
「一ヶ月って、言ってたじゃないですか」ルークが、思わず声を荒げる。「それが、いきなり延期って」
「ルーク」トビアスが、彼を制した。「戦況が最優先だ。……仕方ない」
「分かってるけど、でもよ!」
ルークの声には、これまでにない、剥き出しの苛立ちが滲んでいた。理恵は、その様子に、少し驚いていた。
◇ ◇ ◇
「――理恵さんは、悔しくないんですか」
コリンが、理恵の方を見ながら、そう尋ねた。
「悔しい、というか」
理恵は、少し考えてから、正直に答えた。
「複雑です。……帰れることが延びたのは、残念な気持ちもあります。でも」
「でも?」
「同じくらい、ほっとしてる自分も、いて」
その正直な告白に、部屋の空気が、少しだけ、和らいだ。
「まだ、みんなと一緒にいられる時間が増えたんだって思ったら……不謹慎かもしれないですけど、少し、嬉しかったんです」
その言葉に、五人が、それぞれの表情で、静かに理恵を見つめた。
◇ ◇ ◇
「――それは、不謹慎じゃない」
口を開いたのは、トビアスだった。
「あんたが、そう思ってくれることを、俺は、素直に嬉しいと思う」
その一言に、他の四人も、それぞれ頷いた。
「俺も、正直、ほっとしてる」ルークが、決まり悪そうに頭を掻いた。「さっきは、悪かったな、取り乱して」
「いえ、ルークさんの気持ちも、分かりますから」
「僕も、まだ、色々一緒にやりたいことがあったので……延期、内心では、嬉しかったです」コリンが、素直に打ち明けた。
「合理的に考えれば、延期は妥当な判断だ」イアンが、いつもの口調で言いながらも、その口元には、微かな安堵が浮かんでいた。
メルだけが、少し違う表情をしていた。
◇ ◇ ◇
「――メルさん?」
理恵が声をかけると、メルは、はっとしたように、いつもの笑顔を作った。
「ああ、ごめん。ちょっと、考えごと」
「戦線復帰のこと、ですか」
「まあ……そんなところ」
メルの声には、これまでにない、微かな緊張が滲んでいた。理恵は、それが、単なる戦いへの緊張ではない、もっと別の何かを孕んでいるように感じたが、この時は、まだ、その正体に気づくことはできなかった。
◇ ◇ ◇
「――出立は、明後日だ」
トビアスが、全員を見回しながら、静かに告げた。
「今回は、単純な討伐ではなく、長期の戦線への復帰になる。……荷物の準備、抜かりなく頼む」
「理恵さんも、一緒に来るんですよね」ルークが、確認するように尋ねた。
「もちろんです」理恵は、迷いなく頷いた。「随伴登録者ですから」
その返事に、トビアスの表情が、わずかに、しかし確かに、緩んだ。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、荷造りをしながら、これまでの一ヶ月を、静かに振り返っていた。
王都での穏やかな日々。
五人それぞれとの、かけがえのない時間。
そして、思っていたよりも、あっさりと崩れた「一ヶ月」という約束。
この世界の戦争は、六人の小さな幸せな日々を、いつでも、容赦なく飲み込んでいく。
その事実を、理恵は、改めて、痛感していた。
◇ ◇ ◇
だが同時に、理恵の胸には、確かな決意も芽生えていた。
いつか訪れる別れの日が、たとえ先延ばしになっただけだとしても。
この与えられた時間を、これまで以上に、大切に生きよう。
その思いを胸に、理恵は、荷造りの手を、再び動かし始めた。
◇ ◇ ◇
窓の外では、灰色の雲が、いつの間にか、夜の闇へと溶け込んでいた。
戦争は、まだ終わっていない。
六人の旅は、まだ、その本当の意味を、見出し切れていない。
だが理恵はまだ知らない。
この戦線への復帰が、これから、六人の関係を、これまで以上に深く、そして複雑なものへと、変えていくことになるということを。
王都を発つ朝は、もう、すぐそこまで迫っていた。




