第26話 偽りの降伏、勇者らしくない一手
王都近郊の街道は、朝から不穏な空気に包まれていた。
乾いた土の道の両脇に、まばらな木々が立ち並んでいる。風が吹くたびに、砂埃が薄く舞い上がり、口の中にざらついた感触を残した。遠くから、微かに、獣とも人ともつかない、低い唸り声のようなものが聞こえてくる。空気の中に、これまでの平和な王都では感じたことのない、張り詰めた緊張の匂いが混じっていた。
この数日続いていた盗賊まがいの騒動は、調査の結果、単なる盗賊ではなく、魔物に唆された、あるいは操られた一団だということが判明していた。
「――囲め」
トビアスの声が、静かに、しかし鋭く響いた。
◇ ◇ ◇
理恵は、後方の安全な位置から、その様子を見守っていた。今回は、王都に近い場所での討伐ということもあり、随伴登録者としての役目通り、炊き出しと補給を担って同行していた。
街道の先、荷馬車を背にした一団が、武器を構えていた。人数は十数名。だが、その動きには、明らかに正常ではない、ぎこちなさが混じっている。
「投降する! 我々は、脅されて仕方なく――」
一団の頭目らしき男が、両手を上げながら、そう叫んだ。
その言葉に、周囲の兵士たちの間に、微かな緩みが生まれた。
「――待て」
トビアスの声が、それを制した。
「動くな。武器を、下ろすな」
「トビアス様、しかし、投降の意思を」
「今の言葉に、殺気が抜けていない」
その一言に、理恵は、思わず息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
「《幻惑》の気配がある」
イアンが、杖を構えながら、鋭く言った。
「敵の中に、擬態魔術を使う者がいる。……投降を装って、隙を作るつもりだ」
「擬態魔術、って?」
理恵が小声で尋ねると、隣にいたコリンが答えた。
「己の魔力や殺気を、一時的に偽装する術です。……熟練した使い手なら、投降の意思すら、演出できます」
その説明の直後、頭目の男の目が、一瞬、鋭く光った。
「――今だ!」
その叫びとともに、投降していたはずの一団が、一斉に武器を構え直した。隠していた小型の弩から、無数の矢が放たれる。
だが、その全てを、トビアスは、すでに予測していたかのように、最小限の動きで回避、あるいは剣で叩き落としていった。
「読めてた、のか……!」
頭目の男が、驚愕の表情を浮かべる。
「最初から、動きが不自然だった」
トビアスの声は、これまでにないほど、冷たかった。
◇ ◇ ◇
その後の戦闘は、一方的な展開となった。
トビアスは、逃げ道を的確に塞ぎ、あえて一部の退路だけを開けることで、一団を誘導した。誘導された先には、あらかじめルークとメルが待ち伏せており、挟撃という形で、一団はあっという間に制圧された。
「――策にはめられた、な」
拘束された頭目の男が、忌々しげに呟いた。
「最初から、投降を信じていなかったのか」
「信じる、信じないの問題じゃない」トビアスは、淡々と答えた。「殺気の残る投降には、応じられない。それだけだ」
◇ ◇ ◇
だが、その一連の戦い方は、遠巻きに様子を見ていた近隣の住民たちの間に、微妙な空気を生んでいた。
「――わざと逃げ道を空けて、罠に誘い込むなんてな」
「勇者様なのに、なんだか、随分と回りくどいやり方じゃないか」
そんな声が、ぽつぽつと聞こえてくる。
トビアスは、その声に、表情一つ変えなかった。だが、理恵には、その平然とした態度の奥に、彼なりの割り切りがあることが、分かるような気がした。
◇ ◇ ◇
「――勇者様」
一人の住民が、思い切ったように、トビアスに詰め寄った。
「わざと退路を空けて、罠に誘い込むなんて、勇者らしくないんじゃないですか。……もっと、正々堂々とした戦い方が」
「――そうかもしれない」
トビアスは、静かに答えた。その声には、反論する熱も、言い訳する気配もなかった。
「だが、正々堂々と構えて、こちらの兵に死者が出ていたら、あんたは同じことを言えたか」
その問いに、住民は、言葉に詰まった。
◇ ◇ ◇
その場に流れた、気まずい沈黙を破ったのは、理恵だった。
「――でも」
全員の視線が、理恵に集まる。
「でも、全員生きて帰ってきたじゃないですか」
理恵は、はっきりとした声で、続けた。
「兵士さんも、住民の皆さんも、誰も傷ついてない。……それって、ちゃんと結果を出したってことじゃないんですか」
「し、しかし、やり方が」
「やり方が汚いって、簡単に言いますけど」理恵は、住民に向き直った。「じゃあ、誰かが死んだ方が、綺麗な戦い方だったって、言うんですか」
その真っ直ぐな反論に、住民は、それ以上何も言えなくなった。
◇ ◇ ◇
騒動が落ち着いたあと、トビアスは、しばらく無言のまま、理恵の隣に立っていた。
「――さっきの、ありがとう」
「本当のこと言っただけです」
「それでも、だ」
トビアスは、珍しく、まっすぐに理恵を見つめた。
「これまで、誰も、俺のやり方を、そんな風に肯定してくれたことはなかった」
「そうなんですか?」
「国民は、清廉潔白な勇者を求める。……戦況を最優先にする俺の判断は、時に、その理想から外れる」
トビアスの声には、これまで理恵が聞いたことのない、静かな疲労が滲んでいた。
「だから、いつも、黙って受け入れるしかなかった。……今日みたいに、正面から、肯定してもらえたのは」
彼は、そこで、一度、言葉を止めた。
「――初めてだ」
その一言に、理恵の胸が、大きく跳ねた。
◇ ◇ ◇
王都への帰り道、理恵は、トビアスの横顔を、そっと盗み見た。
いつもの、静かで、感情の読みにくい表情。だが、その奥に、今日、初めて見た、確かな何かが、宿っているように感じられた。
この人は、これまでずっと、一人で、その重さを抱えてきたのだ。
そのことに、理恵は、胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。
◇ ◇ ◇
その夜、トビアスは、これまで以上に、理恵の作る料理を、丁寧に味わっていた。
いつもより口数は少なかったが、その静けさは、これまでの張り詰めた緊張とは、また違うものに感じられた。
理恵は、その様子を見ながら、静かに思う。
この人の中で、自分という存在が、少しずつ、これまでとは違う意味を持ち始めているのかもしれない。
その予感は、まだ、はっきりとした確信には至らなかった。
だが、確かに、何かが、動き始めていた。
王都の夜は、今夜も、静かに更けていく。
だが、その静けさの奥で、六人の物語は、また一つ、新しい局面へと近づいていた。




