第21話 市場の夫婦扱い、ルークと理恵
朝の市場は、今日も変わらぬ活気に満ちていた。
露店に積み上げられた野菜の山からは、土のついたままの根菜特有の、むわりとした匂いが立ち上っている。威勢のいい呼び込みの声があちこちから飛び交い、荷馬車の車輪が石畳を軋ませる音と混ざり合っていた。頭上に張られた日除けの布が風にはためき、その隙間から差し込む朝日が、地面にまだらな影を落としている。手にした籠の持ち手が、指の間にじんわりと食い込む感触が、いつも通りの買い出しの重みを教えてくれた。
「今日は、保存食用の材料を、多めに仕入れておきたいんです」
理恵は、隣を歩くルークに説明した。
「保存食? わざわざ王都で作るのか」
「一ヶ月後のこと、考えたら……その後も、皆さんは旅を続けるわけですし。今のうちに、日持ちする作り方、色々試しておきたくて」
その言葉に、ルークの表情が、一瞬だけ、微かに曇った。だが、それはすぐに、いつもの快活な笑顔に塗り替えられた。
「よし、じゃあ、たくさん買うか! 荷物持ちは任せろ!」
◇ ◇ ◇
「そこの旦那、奥さんに良い塩梅の干し肉、どうだい!」
露店の主人に、唐突にそう声をかけられ、理恵は思わず面食らった。
「え、あの」
「新婚さんかい? 仲睦まじくて、こっちまで嬉しくなるよ」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
慌てて否定しようとする理恵の隣で、ルークが、珍しく妙にぎこちない笑い方をしていた。
「ま、まあ、色々あってな!」
「ルークさん、否定してください!」
「お、俺が否定する必要、あるか?」
「ありますよ!」
その騒がしいやり取りに、店主は、からからと笑った。
「若いっていいねえ。ほら、これはサービスだ。おまけしとくよ」
「あ、ありがとうございます……」
結局、否定しきれないまま、理恵は追加の干し肉を受け取ることになった。
◇ ◇ ◇
その後も、市場を回るたびに、似たようなやり取りが繰り返された。
「奥さんの分の香草も、ついでにどうだい」
「二人分の量、ちょうどいい感じに見繕っといたよ」
「新居はもう決まったのかい」
そのたびに、理恵は懸命に否定を試みたが、市場のおばちゃんたちの勢いに、なかなか押し切られてしまう。
「――なんで、ちゃんと否定してくれないんですか」
人気の少ない路地に入ったところで、理恵は、ルークに小声で抗議した。
「いや、その……否定するタイミングが、掴めなくて」
ルークは、珍しく、言葉を濁した。その耳の先が、少しだけ赤くなっているのを、理恵は見逃さなかった。
「ルークさん?」
「な、なんでもない! それより、次の店行くぞ!」
彼は、そう言って、逃げるように早足で歩き出した。理恵は、その背中を見ながら、小さく首を傾げた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、二人は買い出しを終え、宿の裏手に設けられた作業場で、保存食作りに取り掛かった。
「これ、どうやって長持ちさせるんだ」ルークが、干し肉の束を眺めながら尋ねる。
「基本は、しっかり乾燥させることですね。でも、それだけだと限界があるので」
理恵は、術師ギルドで教わったばかりの知識を、思い出しながら説明した。
「《乾燥術》っていう、簡易な魔術があるらしいんです。食材の水分を、急速に抜く効果があるとか」
「魔法で乾燥させるのか」
「はい。イアンさんに教えてもらったんですけど……私には、まだうまく使えなくて」
理恵は、苦笑しながら、懐から取り出した小さな杖――イアンから借り受けた、練習用の道具――を構えた。
「――《ドライ》」
唱えると、干し肉の表面から、うっすらと湯気のようなものが立ち上る。だが、その効果は、明らかに不安定だった。
「あちゃ、これ、半分くらいしか乾いてない」
「初めてにしては、上出来じゃないか?」
「本当ですか?」
「俺なんか、魔法は完全に専門外だからな。杖持たせても、多分、何も起きないぞ」
その言葉に、理恵は思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
「ルークさんは、料理とか、あんまりしないんですか」
作業をしながら、理恵はふと尋ねた。
「昔は、それなりにな。傭兵団にいた頃は、当番制だったし」
「じゃあ、できるんですね」
「――できる、っていうか」ルークは、少し気まずそうに視線を逸らした。「あの頃の飯って、正直、生き延びるためだけの味だったからな。……美味い飯、って感覚、実はよく分かってなかった」
「そうだったんですね」
「あんたの飯食うまで、飯って、こんなに人を元気にするもんだって、知らなかった」
ルークは、そう言いながら、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「だから、その……ありがとな。いつも」
その素直な一言に、理恵は、少し驚いた。いつも快活で、まっすぐなルークだが、こんな風に、しみじみと感謝を口にすることは、あまりなかったからだ。
「どういたしまして」
理恵は、笑いながら答えた。だが、その胸の奥には、先ほどの市場でのやり取りと、今の言葉が、静かに重なって残っていた。
◇ ◇ ◇
夕方、作業場に、コリンが顔を出した。
「理恵さん、ルークさん、市場で夫婦って言われてたって、本当ですか?」
「な、なんでそれ知ってるんだ!?」
「市場の人たちが、噂してましたよ。……勇者パーティーの戦士様が、とうとう身を固めるのかって」
その言葉に、ルークが、盛大に噎せた。
「ち、違う! 全然違うから!」
「ルークさん、顔真っ赤ですよ」
「うるさい!」
その慌てぶりに、理恵とコリンは、顔を見合わせて笑った。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、今日一日の出来事を、少しだけ反芻していた。
ルークの、あの照れくさそうな態度。
市場での騒動。
そして、彼が見せた、素直な感謝の言葉。
どれも、これまでの快活なルークの印象とは、また少し違う一面だった。
理恵はまだ、その一つ一つの意味を、はっきりと言葉にすることができなかった。
だが、この六人との日々が、これまで以上に、色んな表情を見せ始めていることだけは、確かに感じ取っていた。
王都での特別な一ヶ月は、まだ、始まったばかりだった。
(第22話へ続く)




