第19話 ひと月の約束、それぞれの決意
翌朝、理恵が目を覚ますと、宿の窓の外には、いつもと変わらない王都の朝が広がっていた。
薄雲越しの朝日が、石畳をやわらかく照らしている。市場の方角から、いつも通りの賑わいが、微かに風に乗って届いてきた。焼きたてパンの匂い、荷馬車の車輪の音、遠くで鳴る鐘。何も変わらない、いつもの王都の朝だった。
だが理恵の胸の中だけは、昨日とは、確かに違う色をしていた。
――残り、一ヶ月。
その数字が、頭の中で、静かに響き続けている。指先で、寝台の縁をなぞりながら、理恵はしばらく、その感触を確かめるように、じっとしていた。
◇ ◇ ◇
食堂に降りると、すでに五人が席についていた。
「おはよう、理恵さん」
ルークの声は、昨夜よりも、いくらか落ち着いていた。だが、その目には、まだ完全には整理しきれていない何かが、微かに揺れていた。
「おはようございます」
理恵が席に着くと、トビアスが、静かに口を開いた。
「――昨日のことについて、少し話したい」
全員の視線が、彼に集まる。
「一ヶ月という時間は、短いようで、意外と長い」トビアスは、言葉を選ぶように続けた。「その間、俺たちにできることを、それぞれ、考えてほしい」
「できること、って?」理恵が尋ねると、トビアスは、少しだけ表情を緩めた。
「あんたが、この世界で過ごす、最後の一ヶ月だ。……悔いのないように、過ごしたい」
その言葉に、場の空気が、少しだけ、和らいだ。
◇ ◇ ◇
「なら、俺から!」
真っ先に手を挙げたのは、ルークだった。
「理恵さんに、俺の故郷の料理、教えたい。……傭兵団時代に食ってた、硬いパンとかじゃなくてさ、もっとちゃんとした、田舎料理」
「ルークさんの故郷の料理、興味あります」
「よし、決まりだな! 今度、材料揃えてくる!」
その意気込みに、理恵は思わず笑った。
◇ ◇ ◇
「僕は」コリンが、少し照れくさそうに続けた。「理恵さんに、この国の色んな場所を、案内したいです。……まだ、王都しか見てないですよね」
「そうですね、ミレイユの町くらいしか」
「じゃあ、近場でいいので、休みの日に、色々連れていきますね」
コリンの耳が、嬉しそうに立つ。理恵は、その様子に、また胸が温かくなった。
◇ ◇ ◇
「俺は」イアンが、眼鏡を押し上げながら、静かに言った。「引き続き、ゲートの安全性の検証を続ける。……あんたを送り出す以上、万全の状態で、送り出したい」
「イアンさんらしいですね」
「らしい、で片付けるな」
イアンは、そう言いながらも、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「僕はねえ」メルが、いつもの調子で肩をすくめた。「特に予定はないかな。……ただ、理恵ちゃんとの時間を、できるだけ増やしたい、とは思ってる」
「それ、具体的には?」
「秘密」
メルは、そう言って笑ったが、その目の奥には、これまでよりも、少しだけ真剣な色が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
「――俺は」
最後に、トビアスが口を開いた。
全員の視線が、彼に集まる。
「……特に、決めていない」
その答えに、コリンが、少し不満げな顔をした。
「トビアスさんも、何かしましょうよ」
「考えておく」
その素っ気ない返事に、理恵は、少しだけ寂しさを覚えた。だが、同時に、彼らしい答えだとも思った。
◇ ◇ ◇
朝食のあと、五人が思い思いに出かけていく中、理恵は、術師ギルドから紹介された、小さな道具屋に立ち寄っていた。
「――これは?」
店主に勧められたのは、掌に収まるほどの、小さな水晶の欠片だった。
「《想起の魔石》です」店主が説明する。「一瞬の光景を、映像として石に焼き付けることができる魔道具でしてな。……こう、対象に向けて魔力を込めるだけで」
店主が実演すると、水晶の中に、店内の様子が、静止画のように浮かび上がった。
「これ、写真、みたいなものですね」
「シャシン、とは?」
「あ、いえ、こっちの話です」
理恵は、その道具を、しばらく見つめていた。
あと一ヶ月。
この六人で過ごす日々を、少しでも、形に残しておきたい。
その思いが、自然と、胸に湧き上がってきた。
「これ、いただきます」
「毎度あり」
理恵は、その小さな魔石を、大切に懐にしまった。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は、五人にその魔石を見せた。
「これで、みんなとの思い出、残しておきたいなって」
「おお、良いじゃん!」ルークが、真っ先に食いついた。「じゃあ、今から一枚、撮ってくれよ!」
「今、ですか?」
「善は急げって言うだろ!」
結局、その場にいた全員で、無理やり食卓を囲む一枚を、理恵が魔力を込めて焼き付けることになった。
少し照れくさそうなコリン。
得意げなルーク。
仕方なさそうに、しかしどこか嬉しそうなイアン。
いつも通りの笑みを浮かべるメル。
そして――少し離れた場所に立ちながらも、その輪から外れることなく、静かにこちらを見ているトビアス。
水晶に焼き付いたその光景を、理恵は、しばらく、じっと見つめていた。
◇ ◇ ◇
「――良い一枚が撮れました」
理恵が、満足げに呟く。
「またこの面子で、撮ろうな」ルークが、屈託なく笑った。
「はい」
理恵は、頷きながら、ふと思う。
この一枚だけでは、きっと、足りない。
この一ヶ月の間に、もっとたくさん、この六人の景色を、残しておきたい。
その願いは、これから訪れるはずの別れへの、ささやかな抵抗のようなものだったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
こうして、六人にとっての、特別な一ヶ月が、静かに始まった。
だが理恵はまだ知らない。
この一ヶ月の中で、これまで見えていなかった、それぞれの想いが、少しずつ、形を持ち始めていくということを。
そして、その想いのいくつかが、旅の終わりを待たずして、六人の関係を、静かに、しかし確実に変えていくことになるということも。
王都の夜は、これまでと同じように、穏やかに更けていく。
だが、その穏やかさの奥で、六人だけの、特別な時間の砂時計が、静かに動き始めていた。
(第20話へ続く)




