第17話 待つ日々、ぎこちない優しさ
結果を待つ数日間、王都は、変わらず穏やかな朝を迎え続けていた。
宿の裏手にある小さな中庭には、朝露に濡れた薬草が、行儀よく列をなして植えられている。理恵がそこに足を踏み入れると、湿った土と青草の匂いが、鼻先をくすぐった。葉先に残る水滴が、朝日を受けてきらきらと輝いている。指先で葉に触れると、ひんやりとした感触とともに、しっとりとした水気が伝わってきた。どこかで、小鳥のさえずりが軽やかに響いている。
この数日、理恵たちは、努めていつも通りの生活を続けていた。
だが、その「いつも通り」の中に、これまでとは違う、優しさの形が滲み始めていることに、理恵は気づいていた。
◇ ◇ ◇
「理恵さん、朝飯……いや、朝ごはん、俺が手伝う!」
その日の朝、厨房に顔を出したルークが、珍しくそんなことを言い出した。
「え、ルークさんが料理を?」
「たまには、な! 野菜切るくらい、俺にだってできる!」
勇んで包丁を握ったルークだったが、その手つきは、明らかに不慣れだった。
「あ、危ないですよ、その持ち方」
「大丈夫大丈夫、これでも――」
言うが早いか、ルークは無意識に《身体強化》を発動させたらしく、次の瞬間、まな板の上の野菜が、ものすごい速さで細切れになっていた。周囲に飛び散る野菜の欠片。理恵は思わず目を丸くする。
「……ルークさん、それ、力加減おかしくないですか」
「あ、悪い。つい、いつもの調子で」
ルークが、決まり悪そうに頭を掻く。理恵は、思わず吹き出してしまった。
「戦闘用の力で、野菜切らないでください」
「面目ない……」
その光景に、朝の厨房が、久しぶりに笑い声で満たされた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、コリンが、治療院からの帰りに、両手いっぱいの薬草を抱えて戻ってきた。
「理恵さん、これ、良かったら使ってください」
「わ、たくさん……これ、何の薬草ですか」
「香りが良くて、料理にも使えるやつです。……あと、体を温める効果もあるので、この時期にはぴったりかと」
「詳しいんですね」
「治癒術師は、薬草学も勉強するので」コリンは、少し得意げに笑った。「あ、これとか、乾燥させて保存すれば、長く使えますよ。……氷結の魔石を使えば、もっと長持ちしますけど」
「氷結の魔石?」
「低温を保つ効果がある魔石です。箱に仕込んでおくだけで、中身がひんやりしたまま保つんです」コリンが説明する。「食材の保存に使う人、多いんですよ。……理恵さんの料理、こういう道具があれば、もっと色々作れるんじゃないかなって」
その気遣いに、理恵は、少し胸が温かくなった。
「今度、一緒に選びに行きましょうか」
「はい!」
コリンの耳が、ぴんと嬉しそうに立った。
◇ ◇ ◇
夕方、理恵が洗濯物を取り込んでいると、メルが、ふらりと隣に現れた。
「手伝おうか」
「珍しいですね、メルさんがそんなこと言うの」
「たまにはね」
メルは、器用な手つきで、洗濯物を畳んでいく。その手際の良さに、理恵は少し驚いた。
「意外と、家事得意なんですね」
「昔、色々あってさ」メルは、曖昧に笑った。「一人で身の回りのこと、こなさなきゃいけない時期が、長かったから」
「昔、って」
「秘密」
メルは、いつものように、はぐらかすように笑った。だが、その表情には、これまでよりも少しだけ、柔らかい色が滲んでいるように見えた。
「――理恵ちゃんがいる間は、こういう時間も、大事にしておきたいなって、思ってさ」
その一言に、理恵は、何と返せばいいか分からなかった。
◇ ◇ ◇
夜、理恵が厨房で片付けをしていると、イアンが、珍しく手伝いを申し出た。
「皿くらいなら、洗える」
「イアンさんが、家事を?」
「馬鹿にするな。これでも、一人暮らしの経験は長い」
イアンは、意外なほど丁寧な手つきで、皿を洗っていく。しばらくの沈黙のあと、彼は、ぽつりと口を開いた。
「――研究のことだが」
「はい」
「あんたの波長データを、もう一度見直していた。……確信は持てないが、当初の予測より、もう少し早く結論が出るかもしれない」
「そうなんですか」
「まだ、確定情報じゃない。だが……心構えは、しておいた方がいいかもしれないな」
その言葉に、理恵は、静かに頷いた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「別に。……ただの、事実の共有だ」
イアンは、そう言いながらも、どこか気遣うような視線を、理恵に向けていた。
◇ ◇ ◇
その夜遅く、理恵は、宿の裏手で、トビアスと顔を合わせた。
「――みんな、今日は、なんだか優しかったです」
「気づいていたか」
「気づかない方が、難しいですよ」
理恵は、小さく笑った。
「ルークさんが料理手伝ってくれたり、コリンさんが薬草くれたり、メルさんが洗濯手伝ってくれたり、イアンさんがお皿洗ってくれたり」
「――全員、不器用なんだ」
トビアスが、ぽつりと言った。
「素直に、寂しいとか、行かないでくれとか、言えない。だから、代わりに、行動で示そうとする」
「トビアスさんも、そうなんですか」
その問いに、トビアスは、しばらく黙り込んだ。
「――俺は」
「はい」
「一番、不器用なのかもしれない」
その答えに、理恵は、思わず笑ってしまった。
「なんですか、それ」
「悪いか」
「悪くはないですけど。……らしいなって、思って」
夜風が、二人の間を静かに通り抜けていく。トビアスは、それ以上何も言わず、ただ、理恵の隣に立ち続けていた。
その沈黙が、これまでのどんな言葉よりも、理恵の胸に、深く残った。
◇ ◇ ◇
だが、そんな穏やかな夜も、長くは続かなかった。
翌朝、宿の窓を、こつん、と何かがつつく音がした。
窓を開けると、見覚えのある灰色の梟が、片脚に紙片を結びつけて、羽を休めていた。
理恵が震える手で紙片を開くと、そこには、フィオナの筆跡で、こう記されていた。
「本日夕刻、術師ギルド本部にて、正式な報告をいたします。パーティー全員のご出席をお願いいたします」
理恵の心臓が、大きく跳ねた。
ついに、答えの日が来た。
窓の外には、いつもと変わらない、穏やかな王都の朝が広がっている。だが理恵には、その景色が、これまでとはまったく違う色を帯びているように感じられた。
六人の運命を分ける夕刻が、静かに、しかし確実に近づいていた。
(第18話へ続く)




