第16話 最後の検証、固有波長の測定
術師ギルド本部、地下二階。
これまで通されてきた制御室とは違う、小さな円形の部屋に、理恵は案内されていた。壁一面に、繊細な銀細工の紋様が埋め込まれ、その表面が、呼吸するように淡く発光している。部屋の中心には、一人がちょうど立てる程度の、小さな魔法陣が描かれていた。空気は、これまでの制御室ほど張り詰めてはいないが、それでも肌の産毛が微かに逆立つような、独特の緊張感が漂っている。かすかに、乾いた花のような、甘い香りが焚かれていた。
「今日の検査は、危険を伴うものではありません」
フィオナが、いつになく穏やかな声で説明した。
「あなた自身の《固有魔力波長》を、より精密に測定させていただきたいのです」
「固有魔力波長、ですか」
「はい。人は誰しも、指紋のように、それぞれ固有の魔力の『波長』を持っています。……ですが、異世界から来た者の波長は、この世界の者とは、根本的に性質が異なる」
フィオナは、水晶板に、複雑な波形のようなものを映し出した。
「これまでの検査では、大まかな傾向しか掴めていませんでした。ですが、実際にゲートを開く座標を絞り込むには、あなた自身の波長を、より詳細に把握する必要があります」
◇ ◇ ◇
「それって、具体的に何をするんですか」理恵が尋ねると、フィオナは、中央の魔法陣を指し示した。
「そこに立って、ただ、リラックスしていてください。……これは、あなたの魔力を『読み取る』だけの検査です。負荷をかけたり、何かを引き出したりする類のものではありません」
「痛くはない、ってことですね」
「まったく。……むしろ、心地よいと感じる方が多いです」
その言葉に、理恵は少しだけ緊張を解いた。
部屋の入り口では、五人が、それぞれの表情で見守っていた。
「痛くないなら、いいけど」ルークが、腕を組みながら呟く。
「基礎理論的には、単なる観測行為だ」イアンが、冷静に補足する。「魔力を注入するわけじゃない。安全性は、俺が保証する」
「イアンさんが言うなら、安心です」コリンが、ほっとしたように頷いた。
メルだけが、少し離れた場所で、静かにその様子を見つめていた。
◇ ◇ ◇
理恵が魔法陣の中央に立つと、フィオナが、指先で複雑な印を結んだ。
途端、足元の陣が、淡い金色の光を帯び始める。光は、理恵の体を包み込むように、ゆっくりと立ち上っていった。
「わ……」
思わず声が漏れる。それは、これまで経験したどの魔法とも違う、不思議な感覚だった。まるで、温かいお湯にゆっくりと浸かっていくような、じんわりとした心地よさが、全身を満たしていく。
「そのまま、動かないでください」
フィオナの声が、どこか遠くから聞こえるように感じられた。光の中で、理恵は、自分の周りに、無数の小さな光の粒子が漂っているのを見た。まるで、蛍の群れのようだった。
やがて、光がゆっくりと収まっていく。
「――終わりました」
理恵は、我に返ったように瞬きをした。
「あの、これで、分かったんですか」
「ええ」フィオナは、水晶板に映る結果を見つめながら、微かに眉を上げた。「……これは、興味深い」
「何か、おかしいんですか」
「いえ、おかしいわけではありません。ただ――あなたの波長は、想像していたよりも、はっきりとした形を保っています」
フィオナは、それを、丁寧に言葉にした。
「通常、こちらの世界に長く留まった転移者の波長は、少しずつ、この世界の魔力に馴染み、輪郭が曖昧になっていくとされています。……ですが、あなたの波長は、まだ、驚くほど鮮明だ」
「それって、良いことなんですか」
「座標特定の精度という意味では、非常に良いことです」フィオナは、頷いた。「あなたの波長がはっきりしているほど、対応する『帰るべき場所』への同調が、正確に行える」
その説明に、理恵の胸が、静かに高鳴った。
◇ ◇ ◇
「――これで、必要なデータは、ほぼ揃いました」
フィオナは、水晶板を閉じながら、六人を見回した。
「今回の測定結果を含めて、最終的な分析を行います。……それほど、時間はかからないはずです」
「最終的な、ってことは」理恵は、思わず聞き返した。
「はい」フィオナは、静かに、しかしはっきりと告げた。
「近いうちに、正式な結論を、皆さんにお伝えします」
その言葉に、部屋の空気が、一瞬、張り詰めた。
ルークが、無言でこぶしを握る。コリンの耳が、微かに震えた。イアンは、眼鏡の奥の目を伏せた。メルは、いつもの笑みを浮かべたまま、しかしその目だけは、笑っていなかった。
そして、トビアスは――理恵がちらりと視線を向けると、彼は、じっとフィオナを見つめたまま、微動だにしなかった。
◇ ◇ ◇
ギルドを出たあと、六人は、いつもより静かな足取りで、王都の大通りを歩いた。
夕暮れの光が、石畳を橙色に染めている。露店を畳む商人たちの声、家路を急ぐ人々の足音――いつもと変わらない王都の喧騒が、今日は、どこか遠くに聞こえた。
「――なあ」
沈黙を破ったのは、ルークだった。
「今夜は、パーッと豪華な飯にしようぜ! 理恵さん、腕によりをかけて!」
その無理をした明るさに、理恵は、少しだけ笑った。
「分かりました。とっておきの食材、使っちゃいますね」
「おう、それでいい!」
六人は、努めて普段通りの空気を保ちながら、宿への道を歩いていった。だが、その足取りの端々に、これまでにない緊張が、確かに滲んでいた。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵は宿の窓から、王都の夜景を眺めていた。
あと少しで、答えが出る。
その事実が、これまでのどんな瞬間よりも、重く、そして近くに感じられた。
喜ぶべきなのか。
それとも、この重さに戸惑うべきなのか。
理恵自身、まだ、その答えを見つけられずにいた。
窓の外では、王都の灯りが、一つ、また一つと灯っていく。
そして、その灯りの数だけ、この世界での日々が、少しずつ、終わりに近づいているような気がしてならなかった。
答えの日は、もう、目前に迫っていた。




