第14話 実験の代償、募る緊張
その日の術師ギルド本部は、朝からいつになく張り詰めた空気に包まれていた。
地下三階、魔力炉制御室。理恵が足を踏み入れると、これまでとは比較にならないほどの魔石が室内を埋め尽くしていた。天井近くまで積み上げられた魔石の柱が、絶え間なく青白い光を放ち、その明滅に合わせて、床の魔法陣がぶわりと呼吸するように輝きを変える。空気は帯電したようにぴりぴりと肌を刺し、耳の奥では、これまでよりも一段と高い、金属をこすり合わせるような音が鳴り続けていた。鼻の奥に残る、焦げた金属の匂いも、いつもより濃い。
「今日は、より大規模な検証実験を行います」
フィオナが、緊張の面持ちで説明した。
「座標精度をさらに高めるため、出力を通常の三倍まで引き上げます。……このクラスの出力は、これまで試したことがありません」
その言葉に、理恵の胸が、小さくざわついた。
「危険は、ないんですか」
「万全の対策は講じています。ですが――未知数な部分がある、というのが正直なところです」
◇ ◇ ◇
実験には、イアンも術式補助として参加することになっていた。彼は、この数週間、ほとんど毎日のようにギルドへ通い詰め、フィオナの研究チームに加わっていた。
「イアンさん、無理してませんか」理恵は、実験の準備に忙しく立ち働く彼の背中に、思わず声をかけた。
「別に、無理などしていない」
「最近、資料室にこもってる時間、長すぎませんか」
「必要なことをしているだけだ」
イアンは、眼鏡の奥の目を、水晶板に浮かぶ数式に向けたまま答えた。だがその目の下には、これまでよりも濃い隈が滲んでいる。理恵は、それ以上何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
実験が始まると、制御室全体が、これまでにない緊張に包まれた。
中央の魔法陣に、フィオナと数名の研究員が並び、それぞれが自らの魔力を陣へと注ぎ込んでいく。イアンも、その一角に加わり、複雑な補助術式を唱え続けていた。
「――出力、七十パーセント」
「安定。……八十」
「座標補正、開始します」
声が飛び交う中、魔法陣の中央に、小さな光の裂け目が生まれ始めた。まるで空間そのものが薄く裂けたような、異様な光景だった。理恵は、その様子を、離れた場所から固唾を呑んで見守っていた。
「――九十!」
その瞬間だった。
魔法陣の一角が、突然、耳をつんざくような音とともに大きく明滅した。
「出力が制御できません! 逆流が――」
「全員、下がって!」
フィオナの叫び声とともに、魔法陣から、目に見えるほどの魔力の奔流が噴き出した。研究員たちが、慌てて後退する。
「イアンさん!」
理恵の視界の隅で、イアンの体が、その衝撃に大きくよろめくのが見えた。
◇ ◇ ◇
実験は、緊急停止によって、なんとか大事には至らずに終息した。
だが、その代償は、決して小さくなかった。
「魔力の逆流を、真正面から受けた」フィオナが、険しい表情で説明する。「幸い、致命的な負荷ではありません。ですが――」
治療室のベッドに横たわるイアンは、顔面蒼白で、荒い呼吸を繰り返していた。
「イアンさん!」
「……騒ぐな。ただの、魔力暴走の巻き添えだ」
イアンは、無理に軽口を叩こうとしたが、その声には力がなかった。
コリンが、すぐさま治癒の光を彼の体に注ぎ込む。
「《魔力暴走》って?」理恵は、震える声で尋ねた。
「制御を失った魔力が、急激に体内へ逆流する現象です」フィオナが、水晶板を確認しながら説明した。「本来、外部へ放出されるはずだった魔力が、術者自身の魔力回路へ逆流し、過剰な負荷をかける。……重症化すれば、魔力飢餓とは逆の意味で、回路そのものが焼き切れることもあります」
「魔力飢餓と、逆……」
「栄養不足で回路が枯渇するのが魔力飢餓なら、これは、過剰な負荷で回路が焼け付く現象です。どちらも結果は同じ――最悪の場合、二度と魔法が使えなくなる」
その説明に、理恵は言葉を失った。
◇ ◇ ◇
コリンの治療のおかげで、イアンの容態は、数時間後には落ち着きを取り戻した。
「もう平気だ。……大した怪我じゃない」
「大した怪我じゃない人が、あんな顔色してませんよ」
理恵は、ベッドの脇に座り込み、イアンを睨みつけた。
「どうして、そんなに無理するんですか」
「無理はしていない。……必要な検証だっただけだ」
「イアンさんが焼き切れてたら、元も子もないじゃないですか」
理恵の声に、思わず力がこもった。イアンは、少しだけ驚いたように、理恵を見つめた。
「――心配、してくれるのか」
「当たり前でしょう。仲間なんですから」
その一言に、イアンは、しばらく黙り込んだ。やがて、小さく息を吐く。
「……悪かった。次からは、もう少し、無茶を控える」
「約束ですよ」
理恵は、そう言いながら、持ってきていた栄養のある温かいスープを、彼に差し出した。
「食べて、ちゃんと休んでください。栄養管理には、うるさい人でしょう、自分は」
「それを、俺に返すか」
イアンは、苦笑しながら、そのスープを受け取った。
◇ ◇ ◇
その夜、宿に戻った理恵は、トビアスに、今日の出来事を報告した。
「――そうか。イアンが」
「大事には至りませんでしたけど……正直、怖かったです」
トビアスは、しばらく黙っていた。
「この研究は、あんたのためのものだ。だが、その代償を、あんた以外の誰かが払うことになるなら」
「トビアスさん」
「――俺は、それを、素直に喜べない」
その一言に、理恵は胸を突かれた。
これまで漠然と感じていたトビアスの緊張の正体が、初めて、少しだけ、輪郭を持って見えた気がした。
◇ ◇ ◇
実験の失敗は、研究にとって、決して無駄ではなかったという。
フィオナ曰く、今回の逆流事故によって、出力制御に関する重要なデータが得られたとのことだった。皮肉なことに、失敗そのものが、次の成功への足がかりになっていた。
だが理恵の胸には、その「進歩」という言葉だけでは、拭いきれない何かが残っていた。
自分が帰るための道が、誰かの犠牲の上に、少しずつ舗装されていく。
その事実を、理恵はまだ、うまく飲み込めずにいた。
王都での研究は、こうして着実に、しかし確かな代償を伴いながら、進み続けていく。
そして、その先に待つ「答え」の日は、もう、すぐそこまで迫っていた。




