第13話 小さな依頼、下水道の魔物騒動
王都の地下は、地上とはまったく違う世界だった。
石造りの下水道は、頭上すれすれまで湿った空気が満ちていて、一歩踏み込むごとに、饐えたような、それでいてどこか土くさい匂いが鼻を突く。松明の炎に照らされた壁は、常に水気を帯びていて、指先で触れると、ひやりとした冷たさとぬめりが同時に伝わってきた。足元を流れる水音が、石壁に反響しながら、どこまでも遠くまで届いていくように聞こえる。
「うわ、思ったよりキツい臭いだな……」
ルークが、鼻を摘みながら顔をしかめた。
「文句を言うな。仕事は仕事だ」
トビアスが、松明を掲げながら先頭を歩く。
◇ ◇ ◇
事の発端は、朝、ギルドに持ち込まれた一件の依頼だった。
「王都の下水道で、小型の魔物が大量発生しているようです」
受付でそう説明され、五人は地下へ向かうことになった。理恵も、当初は「戦えないから」と宿での留守番を申し出たのだが、トビアスから、意外な提案があった。
「あんたには、避難所の方に来てほしい」
「避難所……下水道じゃなくて、ですか」
「避難させた住民に、炊き出しをしてほしい」
その言葉に、理恵は少し驚いた。
「下水道の異常で、近くの住宅街の何軒かが、一時的に避難している。……食事の手配が、後手に回っているらしい」
「それなら、私にもできます」
こうして理恵は、地上の避難所で炊き出しの準備をしながら、地下に向かった五人の帰りを待つことになった。
◇ ◇ ◇
地下では、松明の光の届く範囲に、小さな影がいくつも蠢いていた。
「――出たぞ」
イアンの声とともに、闇の中から、ネズミを大きくしたような魔物の群れが姿を現す。体長は大型犬ほど。牙と爪が、松明の光を鈍く反射していた。
「あれは何だ?」ルークが、剣を構えながら声を上げる。
「《瘴鼠》だ」イアンが、杖を構えながら答える。「都市部の下水道など、負の魔力が滞留しやすい場所に発生しやすい。単体は弱いが、数が厄介だ」
「負の魔力って、あれだろ、瘴気ってやつ」
「知っているなら、話が早い」イアンは、杖を構え直しながら続けた。「生き物の死骸、腐敗した廃棄物――そういったものから、微量ながら瘴気と呼ばれる負の魔力が滲み出る。普段は自然に霧散するが、風通しの悪い場所に溜まり続けると、稀に魔物へと変質することがある」
説明の途中にも、瘴鼠の群れが襲いかかってくる。
「――喋ってる場合か!」
ルークの大剣が、群れの先頭を薙ぎ払う。狭い通路の中、彼の得意な大振りの一撃は、思うように振るえていないようだった。
「くそ、狭くてやりづらい!」
「馬鹿め、狭所での戦い方も鍛えておけと、あれほど」イアンが呆れながら、短杖から小さな火花を連続で撃ち出す。
メルの盾が、淡い光の膜を展開し、味方の背後を守る。
「僕の見せ場、少なめだね、これ」
「文句言わずに守ってろ」
コリンは、後方から回復の光を絶やさず、味方の傷を随時癒していく。
そしてトビアスは、狭い通路の中でも、最小限の動きで的確に敵を仕留め続けていた。無駄のない、まるで作業のような剣捌き。理恵がその場にいたら、また、あの「効率の化身」のような顔を見ることになっただろう。
◇ ◇ ◇
地上では、理恵が、避難してきた住民たちのために、大鍋を囲んで料理を振る舞っていた。
「はい、どうぞ。温かいうちに」
「ありがとうねえ、お嬢さん」
初老の女性が、湯気の立つ器を受け取りながら、目を細める。
「勇者様のパーティーの方だって聞いたけど……随分、気さくなお嬢さんだね」
「私は戦えないので、こういうところでしかお役に立てなくて」
「戦えるだけが、役に立つってことじゃないさ」女性は、しみじみと言った。「こうやって、温かいもの一つで、どれだけ気持ちが落ち着くか。……あんたは、それが分かってる人だ」
その言葉に、理恵は少し照れくさくなりながらも、胸の奥が温かくなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
「――終わったぞ」
地下から戻ってきた五人は、汗と汚れにまみれながらも、無事にその場を後にしていた。
「お疲れ様です!」
理恵が駆け寄ると、ルークが、真っ先に鍋の匂いに気づいて目を輝かせた。
「おお、良い匂い!」
「避難してた人たちの分、まだ余ってます。皆さんもどうぞ」
六人は、避難所となった広場の隅で、簡易的な食事を囲んだ。
「瘴鼠、ですか」理恵は、初めて聞く単語を確かめるように呟いた。「負の魔力から生まれるって、なんだか嫌な感じですね」
「都市部特有の問題だな」イアンが頷く。「定期的な清掃と浄化の儀式を怠ると、こういうことが起きる。……今回は、その儀式が、少し疎かになっていたようだ」
「浄化の儀式、って?」
「聖堂の司祭たちが、定期的に、瘴気の溜まりやすい場所へ浄化の術を施す。……本来なら、こんな騒ぎになる前に対処されているはずなんだが」
イアンの声には、微かな苛立ちが滲んでいた。
「戦争で、聖堂の人手が、そっちに割かれてるのかもな」ルークが、ぽつりと言う。
その一言に、場の空気が、少しだけ重くなった。
理恵は、その反応を見ながら、ふと思う。
戦争は、前線だけの話ではない。こうした、日常の隅々にまで、静かに影を落としているのだと。
◇ ◇ ◇
その夜、宿への帰り道、理恵はトビアスに並んで歩いていた。
「今日、私を連れてきてくれて、ありがとうございました」
「礼を言うことじゃない。……あんたにしかできないことが、あった。それだけだ」
「それでも、嬉しかったです」
理恵は、少し考えてから続けた。
「戦えなくても、誰かの役に立てるんだって、改めて思えたので」
トビアスは、しばらく無言で歩いていたが、やがて、静かに口を開いた。
「――あんたは、いつもそうやって自分の場所を見つけていくんだな」
「そうですかね」
「ああ」トビアスの声は、いつもより柔らかかった。「俺には、真似できないことだ」
その言葉の意味を、理恵はまだ、うまく理解できなかった。だが、その声に滲む何かが、いつもより、少しだけ近く感じられた。
◇ ◇ ◇
小さな騒動は、こうして一日のうちに収束した。
だが、その騒動の裏に見えた「戦争の影響が、日常の隅々にまで及んでいる」という事実は、理恵の中に、静かに、しかし確かに、新しい実感として残った。
王都での日々は、まだ、こうした小さな出来事の積み重ねの中にある。
だが理恵はまだ知らない。
この積み重ねの先に、彼女自身の運命を決定づける、大きな知らせが待っていることを。
そして、その知らせを前にした時、この六人が、それぞれどんな顔をすることになるのかを。
王都の夜空に、星が一つ、また一つと瞬き始めていた。




