第12話 収穫祭の夜、六人の休日
その日の王都は、朝から様子が違っていた。
大通りには、赤や金色の布が幾重にも渡され、風に揺れるたびに、ふわりと軽やかな音を立てている。石畳の上には、普段は見かけない屋台がびっしりと立ち並び、揚げ物の香ばしい匂いと、焼き菓子の甘い匂いが、混じり合いながら通り全体に立ち込めていた。あちこちから、太鼓と弦楽器の陽気な旋律が響き、人々の笑い声がそれに重なる。
「今日は《豊穣祭》だ」
朝食の席で、トビアスがそう説明してくれた。
「年に一度、収穫を祝う祭りだ。王都中の店が屋台を出す。……普段は見られない賑わいになる」
「わあ、楽しそうですね!」
「今日一日は、任務も研究もなしだ。……たまには、息抜きも必要だろう」
その言葉に、五人――いや、六人の顔が、揃って綻んだ。
◇ ◇ ◇
大通りに繰り出すと、祭りの熱気は、想像以上だった。
露店では、串焼き肉、揚げ芋、蜂蜜がけの焼き菓子、色とりどりの果実水――見たこともない料理が、所狭しと並んでいる。理恵は、その光景に思わず目を輝かせた。
「これ、何ですか、この赤い実の串!」
「ああ、それは霊果だ」トビアスが答える。「甘酸っぱくて、この時期の名物だな」
「食べてみたいです!」
串を受け取り、一口齧ると、口の中に爽やかな酸味と、じんわりとした甘みが広がった。
「美味しい……!」
「気に入ったなら、良かった」
トビアスの口元が、珍しく緩んでいた。
◇ ◇ ◇
広場の中央では、力自慢たちが集まる催しが開かれていた。巨大な鉄球を持ち上げ、どれだけ長く掲げていられるかを競う、単純明快な遊びだ。
「おっしゃ、俺も出るぞ!」
ルークが、勇んで列に並ぶ。理恵たちがその様子を見守っていると、隣にいたコリンが小声で解説してくれた。
「ああいうのって、みんな《身体強化》を使うんですよ」
「身体強化、ですか」
「体の中の魔力を、筋肉とか骨に集中させて、一時的に身体能力を底上げする術式です。戦士系の職業なら、大体使えます」コリンは、ルークを見ながら続けた。「ルークさんは、特にその手の術式が得意で。……普段の戦闘でも、大剣を軽々振り回してるのは、あれのおかげなんです」
「じゃあ、素の力だけじゃないんですね」
「素の力も規格外ですけどね、あの人」
順番が回ってきたルークが、気合いの声とともに鉄球を持ち上げる。腕に、ぐっと血管が浮き上がるのが見えた。
「うおおおおおっ!」
周囲から歓声が上がる。ルークは、他の挑戦者たちを軽々と上回る記録を叩き出し、会場を沸かせた。
「見たか、これが勇者パーティーの実力だ!」
「勇者じゃなくて戦士だろ、お前は」
イアンの冷静な突っ込みに、ルークが唇を尖らせる。理恵は、その掛け合いに、思わず声を上げて笑った。
◇ ◇ ◇
屋台を巡る中で、今度はコリンが目を輝かせる番だった。
「理恵さん、あそこ、見てください! 綿菓子です!」
「あ、こっちの世界にもあるんですね」
「これ、僕、大好物で……!」
十八歳という年齢に見合わない、素直な喜びようだった。理恵は、その様子を見ながら、ふと思う。普段のコリンは、どこか無理をして大人ぶっている。だが、こういう瞬間には、年相応の少年らしさが、素直に顔を出す。
「一つ、買いましょうか」
「いいんですか!?」
「今日はお祭りですから」
コリンは、綿菓子を受け取ると、大事そうに両手で抱えた。その様子に、理恵は思わず頬が緩んだ。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所で、イアンが、露店に並ぶ古びた書物の山を熱心に物色していた。
「珍しいですね、イアンさんがお祭りで本を」
「祭りだからこそ、掘り出し物が出る」イアンは、真剣な顔で一冊を手に取った。「普段は流通しない、地方の術式書が並ぶことがある。……これは、当たりかもしれない」
「相変わらず、勉強熱心ですね」
「趣味と実益を兼ねているだけだ」
そう言いながらも、イアンの目は、明らかに楽しそうだった。理恵は、その姿に、彼の不器用な優しさを、また一つ見つけた気がした。
◇ ◇ ◇
メルの姿が見えなくなったのは、日が傾き始めた頃だった。
「あれ、メルさんは?」
「さっきまで、いたはずだけど」
理恵が辺りを見回していると、少し離れた路地の陰に、メルの後ろ姿を見つけた。彼は、何かの露店――魔族領由来の織物を扱う店らしい――の前で、じっと立ち尽くしていた。
「メルさん」
声をかけると、メルは、はっと肩を揺らして振り返った。
「あ……理恵ちゃん」
「どうしたんですか、こんなところで」
「いや……懐かしい柄の織物があったから、つい」
メルは、いつものように笑おうとしたが、その笑みは、どこか力なく歪んでいた。
「魔族領の織物、詳しいんですか」
「まあ……昔、少しだけ縁があってね」
その言葉に、理恵はまた、あの日感じた違和感を思い出した。だが、深く追及することはせず、ただ、そっと隣に並んだ。
「見てるだけでも楽しいですよ、こういうの」
「……そうだね」
メルは、それだけ言うと、また織物に視線を戻した。その横顔に浮かぶ表情を、理恵は、まだ言葉にすることができなかった。
◇ ◇ ◇
日が沈み始めると、広場の中央に大きな篝火が焚かれ、周囲には、無数の光の玉が浮かび上がった。
「わあ、綺麗……!」
「《灯火術》の応用だ」トビアスが、隣で説明してくれる。「祭りの夜だけ、術師ギルドが総出で、街全体に光をともす」
空中を漂う光の粒が、風に揺られるようにゆっくりと動いていく。理恵は、その幻想的な光景に、しばらく見入っていた。
「綺麗ですね」
「――ああ」
トビアスの視線は、しかし、光ではなく、理恵の横顔に向けられていた。理恵がそれに気づいて振り返ると、トビアスは、慌てたように視線を逸らした。
「な、何ですか」
「いや……何でもない」
その素っ気ない反応に、理恵は少し首を傾げながらも、それ以上は聞かなかった。
◇ ◇ ◇
夜も更け、六人は屋台で買い集めた料理を手に、広場の隅に腰を下ろした。
「今日は、ごはんを作らなくていいって、なんか変な感じですね」理恵が笑いながら言う。
「たまには、こういうのも悪くないだろ」ルークが、頬張りながら答える。
「理恵さんの作る料理も好きだけど、こういう賑やかな祭りのごはんも、また違った美味しさがありますね」コリンが、綿菓子の残りを大事そうに齧りながら言う。
メルは、いつもの調子を取り戻したように、皿から他人の料理をつまみ食いしていた。イアンは、買い込んだ書物を大事そうに抱えたまま、珍しく穏やかな表情を浮かべている。
トビアスだけが、少し離れた場所で、静かに夜空を見上げていた。
理恵は、その横顔を見つめながら、ふと思う。
この賑やかな一日の中にも、それぞれが抱える、まだ言葉にならない何かがある。
メルの見せた翳り。
トビアスの、ふとした瞬間の視線。
そして、自分自身の中にある、帰還という「答え」への、期待と不安の入り混じった気持ち。
それでも今は、この温かい夜を、ただ味わっていたかった。
◇ ◇ ◇
祭りの夜は、こうして静かに更けていった。
だが理恵はまだ知らない。
この穏やかな休日が、これから訪れる大きな転換点の前の、束の間の凪だったということを。
術師ギルドの研究は、この夜も、静かに、しかし確実に進み続けていた。
そして、その先に待つ知らせが、六人の関係を、もう後戻りできない場所へと押し進めていくことになる。
王都の空に浮かぶ光の粒が、一つ、また一つと、静かに消えていった。




