第11話 ギルドの報告、道半ばの答え
術師ギルド本部、地下三階。
これまで通されたことのない階層へ案内されると、そこには、これまでとはまるで空気の違う光景が広がっていた。
円形の広間の中央に、巨大な魔法陣が床一面に描かれている。その周囲を取り囲むように、無数の魔石が柱状に積み上げられ、青白い光を絶えず明滅させていた。空気そのものが、ぴりぴりと肌を刺すように張り詰めている。耳の奥で、低い唸りのような音が絶えず響いていた。魔力炉が稼働する音だと、あとでイアンが教えてくれた。鼻の奥には、金属が焼けるような、独特の匂いがこびりついている。
「ようこそ、魔力炉制御室へ」
フィオナが、白衣の裾を翻しながら振り返った。その表情には、これまで見たことのない高揚と、それに勝るとも劣らない疲労の色が滲んでいる。
「今日、皆さんに来ていただいたのは、研究の中間報告のためです」
トビアスを先頭に、五人と理恵が並んで立つ。誰もが、無言のまま、フィオナの次の言葉を待っていた。
◇ ◇ ◇
「まず、結論から申し上げます」
フィオナは、水晶板に浮かぶ複雑な数式を示しながら続けた。
「――《ゲート・リバーサル》の理論は、実証段階に入りました」
その一言に、場の空気が、明確に揺れた。
「実証、って」理恵は、思わず声を漏らした。「本当に、動くってことですか」
「小規模な実験には、成功しています」フィオナは、慎重に言葉を選びながら答えた。「先週、無人の荒野に向けて、直径数十センチほどのゲートを、数秒間だけ開くことに成功しました。座標特定の精度も、想定より高い数値が出ています」
イアンが、興奮を隠しきれない様子で身を乗り出した。
「座標のブレは、どの程度に収まった」
「誤差半径、およそ二百メートル。……人一人を安全に送り出すには、まだ粗すぎますが」
「それでも、無から有への進歩だ」イアンは、珍しく声を弾ませた。「理論値からすれば、十分すぎる成果だ」
「あなたの提供してくれた計算式も、大きな助けになりました」フィオナが、軽く頭を下げる。「感謝します」
イアンは、照れくさそうに眼鏡を押し上げた。
◇ ◇ ◇
「では……」理恵は、恐る恐る尋ねた。「私が、帰れる日も」
フィオナは、少し間を置いてから答えた。
「不可能ではない、というのが、現時点での結論です」
その言葉に、理恵の胸が、大きく跳ねた。
「ただし」フィオナは、すぐに釘を刺すように続けた。「小規模実験と、実際に人間を安全に送り出す実用化の間には、まだ大きな隔たりがあります。座標精度の向上、魔力供給量の確保、そして――」
フィオナは、一瞬、言葉を切った。
「生きた人間を『通す』際の、生体への影響。これについては、まだ、まったくの未検証です」
「危険がある、ということですね」トビアスが、静かに口を挟んだ。
「否定はできません。……最悪の場合、転移の過程で、肉体に深刻な負荷がかかる可能性もあります」
理恵は、その言葉に、思わず息を呑んだ。
「ですが」フィオナは、理恵の表情を見て、少し柔らかく続けた。「不可能だという話ではありません。あくまで、時間と検証が必要だ、というだけです。……早ければ、数ヶ月から半年ほどで、実用化に近づける可能性があります」
数ヶ月から半年。
その数字が、理恵の中で、初めて具体的な重みを持ち始めた。
◇ ◇ ◇
帰り道、六人はしばらく無言のまま、王都の大通りを歩いていた。
夕暮れの光が、石畳を橙色に染めている。行き交う人々の話し声、荷馬車の音、遠くから漂う夕餉の匂い――いつもと変わらない王都の風景の中を、理恵たちだけが、どこか浮いたような足取りで進んでいた。
「――良かったな、理恵さん」
沈黙を破ったのは、ルークだった。だが、その声は、いつもの快活さとは、少し違う響きを持っていた。
「はい。……良かった、です」
理恵は、そう答えながらも、自分の声が、思っていたより硬いことに気づいていた。
「帰れるかもしれないんだろ? だったら、素直に喜べばいいのに」
「喜んでます、ちゃんと」
理恵は、努めて笑みを浮かべた。だが、ルークは、その笑みの奥にある何かを見透かすように、しばらく理恵の顔を見つめていた。
「――そっか」
それだけ言うと、ルークは、それ以上何も聞かなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、理恵はいつものように夕食を用意した。だが、いつもより手数の多い料理を、いつもより長い時間をかけて作った。
厨房に立つ間、理恵の頭の中では、フィオナの言葉が、何度も繰り返し響いていた。
――数ヶ月から半年。
その期間が、長いのか短いのか、理恵自身にも分からなかった。ただ、確かなのは、これまで漠然としていた「いつか」が、初めて、輪郭を持った未来として立ち現れてきたということだった。
◇ ◇ ◇
食卓に並んだ六人は、いつも通りの賑やかさを装っていた。
だが、その賑やかさの端々に、これまでにない、微かなぎこちなさが混じっていた。
「これ、また新作? やるじゃん、理恵さん」ルークが、いつも通り明るく箸――もどきの道具――を伸ばす。
「王都で手に入る食材、ようやく使い方が分かってきたので」
「僕、これ好きです」コリンが、嬉しそうに頬張る。
イアンは、いつも通り栄養バランスについて講釈を垂れ、メルは相変わらず皿から何かを盗もうとしていた。
だが、トビアスだけは、その日、いつも以上に口数が少なかった。
理恵は、その様子に気づきながらも、あえて何も聞かなかった。
◇ ◇ ◇
食事の後片付けを終えた頃、理恵は宿の裏手で、一人夜空を見上げているトビアスを見つけた。
「――今日の話、何か思うところ、あるんですか」
「別に」
「嘘、下手ですね」
トビアスは、小さく息を吐いた。
「あんたが帰れるなら、それは、良いことのはずだ」
「はずだ、って、他人事みたいな言い方ですね」
「……悪いか」
「悪くはないですけど」理恵は、少し考えてから続けた。「トビアスさんが、何を考えてるのか、分からないだけです」
トビアスは、しばらく無言だった。夜風が、二人の間をすり抜けていく。
「――もし、あんたが帰るとしたら」
「はい」
「その日まで、俺たちにできることは何だと思う」
その質問に、理恵は少し驚いた。彼らしくない、どこか迷いを含んだ言い方だった。
「……普通に、一緒にいてくれるだけで、十分だと思います」
「それだけで、いいのか」
「それが、一番、贅沢なことだと思うので」
トビアスは、それ以上何も言わなかった。ただ、夜空を見上げるその横顔に、理恵はまた、あの微かな緊張の色を見た気がした。
◇ ◇ ◇
王都での研究は、これから、さらに本格化していくことになる。
帰還への道が、少しずつ、確かな輪郭を持ち始めている。
だが理恵はまだ知らない。
その輪郭がはっきりするにつれ、六人の間に流れる空気が、これまでとは比べ物にならないほど、複雑なものへと変わっていくということを。
王都の夜は、静かに、しかし確実に、次の局面へと近づいていた。




