翼が癒えるまで
「これしきの掃除にどれだけ時間をかけているのか。八島紘人は要領が悪いですね」
ささらが清掃完了を宣言したのは開始から15分も経たぬ頃で、紘人は真っ先にメイドを疑ってかかった。
小姑のようにあちらこちら見落とし拭き残しがないかを検分しているのだが、アラが見つからずに焦り始めている。
彼の感覚では、散らかり具合にもよるが丁寧に仕事をすれば30分はかかるはずで、雑にやったか手順を飛ばしたかどちらかだろうと考えた。
「馬鹿な……信じられん」
なのに、部屋のどこにも瑕疵は見当たらず、完璧としか表現のしようがなかった。
「お屋敷勤めを侮るなよ。お嬢様の部屋の散らかり具合に比べればこの程度――」
「冗談でもやめて。私、そんなに汚したりしないからね?」
慌ててあかりは弁明する。必死さが感じられて余計に怪しい。
踏み込むのがためらわれたので好きにさせていたのだが、元紘人の寝室(現在あかりが寝起きしている部屋)は無事だろうか? 紘人は次第に不安になってくる。
「お嬢様が脱ぎ散らかした下着や鼻をかんだティッシュを誰が片付けてると思っているのですか」
「してない。そのへんにほっぽったりしてない!」
紘人は気づく、こいつはクロだと。
「なるほど、普段から汚部屋の清掃で場数を踏んでいるのか」
「ちがっ、ね、違うよひろくん。汚部屋とかないから、ぜったいないから」
「あやしいな……」
「ならば確かめてみましょうか? わたしが立ち入らない状況でお嬢様の居室がどんな有様になっているか」
紘人とささらは頷き合い、離れに向かって歩き出す。
あかりは懸命に制止しようとするが、疑いを持った紘人は止まってくれない。
扉の前についてなお、あかりは抵抗の意思を見せる。
「だめ、ひろくんは入っちゃだめ!」
「だめってなんだよ。元々俺の部屋なんだけど」
紘人の部屋には物がない。
最低限生活に必要な家具があるだけで、本の一冊すらなく殺風景な部屋だった。その状態から散らかしたとなればそれは100%あかり由来の物であり、責任は彼女にある。
「お嬢様、行き場のないあなたに部屋を貸してくれたのならせめて、綺麗に使う努力をしては」
「綺麗にしてるわよ! でも、今はほら……ね? 服とか、出しっぱなしで」
「ならメイドに片付けてもらえばいい」
紘人は扉を開け放つ。あかりの悲鳴が離れに響く。
「……ん?」
もっと地獄のような有様を想像していた。
しかし想定よりよほどマシな状態である。
確かに脱いだままの服が数点転がっているし、あかりが持ち込んだとおぼしき化粧品や小物も散見される。だがゴミはきちんとゴミ箱に入れてあるし、異臭や喫煙の跡もない。ならなぜあれほど
「あっ、ポエムノートみっけ」
「ひょおおおおおおお!!」
奇声を発しながら二人の間をすり抜けたあかりは机に向かって一直線、開いた状態で置かれたノートをかきだき勢いのまま前転、部屋の隅に突き当たると縮こまり、身体を震わせながら紘人の反応を窺っていた。
「なんでもない! 気にしないでっ」
「な、なに……こわ、どうしたの?」
尋常じゃない怯えように、紘人も気になったのかささらに尋ねる。
「あれはお嬢様の赤裸々な心境を綴ったポエムノートです。まさか旅先でも続けているとは思いませんでしたが」
ささらは主が隠したがっていることをあっさりと暴露してしまう。
言い返したり、怒鳴りつけたり、ささらの口を塞いだり。あかりが取れそうな選択を何一つ行えていない。ただ、顔を真っ赤にして泣きそうな目で紘人を見ている。
「あの様子ですと、屋敷を追放された悲劇の令嬢気分に浸って日記まがいのポエムを綴っていたのでしょう。あかりお嬢様は外面こそ來宮の正式な後継者として振る舞っておられますが、内心のお姫様願望はかなり強く、そんな自分と折り合いをつけるためにポエムノートへ吐き出していらっしゃるのです」
「ひどいね君、少しは主を気遣ってあげたらいいのに」
ささらの容赦なさに、あかりへの同情を深めてしまう紘人だった。
「見られて恥ずかしい、知られたくないのなら心にとどめておけばいいのですよ。誰かにわかってもらいたいからわざわざ文字にしているんです。お嬢様、せっかくですからこの場で読み上げてみてはいかがです?」
このメイドに人の心はあるのか。
紘人はささらのことを『敵に回したくないタイプ』と位置づける。
「ぜったいいや! もう出てって!」
本人が知られたくない部分に踏み入るのはマナー違反だと紘人は考える。
だからごめんと口にして、部屋をあとにした。そしてなぜかささらも後ろについてくる。
「どうしたの。お嬢様の部屋を片してやったらいいのに」
「大丈夫です。今頃半べそをかきながらノートをキャリーケースの一番下に押し込んでいるところです。ついでに部屋も綺麗にしてるはず」
全部お見通しだ、と言わんばかりだ。主に恥をかかせておきながら、この余裕はどこから来るのだろう。
「よほど知られたくなかったのだろうなあ。かわいそうに」
「まあ八島紘人にだけは知られたくないでしょうが」
引っかかる言い方をする。
「お嬢様はああ見えて初心な乙女なのですよ。弄んだりしたら赦しませんからね」
ああ見えて、と言われても。
紘人の目線ではずっと年相応の女の子として見ている。それは彼女の凜々しい一面を、VIPが集う社交場での振る舞いを知らないせいもあるだろうが。
「だったら強引に連れて帰ったらいい。こんな危険な男と一つ屋根の下に置いとけないだろう」
「そうしてやりたいところですが、お嬢様がここにいたがるのです。あなたの傍に」
困った人です、と呟いてささらは深いため息をついた。
「もっと世界を見て回った方がいいのにな。こんな狭い町に囚われていないでさ。最後の余暇なんだろう?」
「ですから、初心、なんです。刷り込みされた雛鳥のようなもの」
孤独の中で受けた親切は、真っ白な彼女に沁み入った。たかが宿を貸した程度のことを、大げさに捉えていてもおかしくはない。
「雛鳥を飼えないのであれば、逃がしてあげてください。中途半端な優しさは、未来へ羽ばたく力を奪ってしまいます」
ささらは紘人の目をじっと見つめる。出会い頭に襲撃されたことを思えば、随分態度が軟化したものだ。
言われなくてもわかっている。あかりの居場所はここじゃない。
元より、過度に入れ込むつもりも、入り込ませる隙を与える気もなかった。
「翼を怪我していたら面倒くらい見るさ。だからって籠に閉じ込めたりしない。止まり木以上のことはしてやれないよ」
「ならばよいのです。くれぐれも、お嬢様を悲しませることのないように……お願いしますね」
言い返してやりたいことは山ほどあった。
しかしささらが、紘人に対してもきちんと頭を下げてきたせいで、彼の毒気は抜かれてしまう。
「さて、掃除の途中でしたか。どうします? あなたの分担もわたしが巻き取りましょうか?」
殊勝な態度は一瞬で霧散した。
紘人が一部屋仕上げるうちに、ささらは二部屋清掃を終わらせた。ここで自分の領域を明け渡してしまっては先輩風を吹かせない。
「必要ない。新人は草むしりでもしていろ」
「お気づきでなかったのですか? 中庭の草むしりでしたら本日4時23分に完了しておりますが」
お気づきではなかったので慌てて外を確認する。紘人の昨日までの記憶とは違う、芝だけが綺麗に生えそろった中庭がそこにあった。
「どうしてそんな雑務までこなしているんだ」
呆れ半分、驚き半分で質問する。部屋を無償で借りるわけにはいかないと、仕事を手伝うという申し出は受けていた。しかし頼んでいないことまで既に終わらせているだなんて思うまい。
「お嬢様がいるこの場所が、今わたしの仕えるお屋敷ですので」
ささらは得意げに言い放つ。
プロの気概を見た紘人は、久方ぶりに熱意を持って清掃に取り組むことにした。
結果。
一部屋片付けるのに一時間を費やし、午後は自己嫌悪で仕事にならなかった。




