蛍光
「ばぁーや、こんにちは! 友達連れてきちゃった」
「おやおや」
くしゃくしゃの笑みでばぁーやが出迎えてくれる。
湯巡り広場脇の土産屋は平日でも盛況で、観光客は店の品揃えを覗き込み、湯上がりの人は軒先のベンチで一休み、甘味を頬張っている。
あかりはお気に入りの温泉まんじゅうを二つ頼んで、小銭入れから代金を支払う。その横ではささらがクレジットカードを取り出して呆然としていた。
「…………カード、使えないんですか?」
「ばぁーやは使える、けど、使えないお店も三倉にはいっぱいあるよ」
例えば、意地悪な貸し望遠鏡屋さんとか。続けて口にしかけたが、胸の内にしまっておく。
「ならどうして」
「そんなもの使ったら一瞬で足がつくでしょう。私だっていろいろ考えているんだから」
あかりは、家に行動を捕捉されることを嫌って、カードの類いは使用を避けてきた。出発直前に限度額までキャッシングをしてから現金払いを徹底してきた。
つまり、紘人と初めてあったときにはまさしく『大金を抱えた迷い猫』だったわけで。不用心極まりない。
「そうだ、ばれないように動いていたのに。なんであなたは私の居場所がわかったの?」
「お嬢様は知らないかもですが、パソコンの検索履歴は消したつもりでも復元できるのですよ。最初はいろんな選択肢があったようですが、後半は三倉に絞って調べられていたので」
いや、確かに復元はできたとして、パソコンにはパスワードを設定していたはずで。
「人のパソコンを勝手に見ないでよっ」
「安心してください。お嬢様の検索履歴『恋の仕方』『初恋 いつまで』『運命 出会い』などについてはわたし以外誰も知りませんので」
手っ取り早く記憶を抹消するにはどうしたらいいか、あかりには知識がなかったので全力の手刀をささらの頭蓋めがけて放つ。英才教育を受けてきたおかげで武道の心得もあり、そこいらの暴漢に襲われたとてあかりは多分負けない。が、そんな彼女のボディガード役を拝命しているだけあって、ささらはもっと。
「予備動作が大きすぎ」
シュッと上体を反らし横薙ぎを躱した直後、神速の地獄突きがあかりの鳩尾を貫いた。主はぬんんぅと呻きをあげながらその場にうずくまる。
「お嬢様、殺気がダダ漏れです。今から殴るぞと宣言してから攻撃するようなものです」
「て、え、お……ぼえ、と」
てめえ覚えておけ、とでも言いたかったのか。いや、そもそも忘れてもらいたいがために攻撃を仕掛けたのに。
「ふぇふぇふぇ」
周りからはじゃれ合っているように見えただろうか、ばぁーやは商品と熱いお茶をお盆にのせてささらに手渡す。
「ありがとうございます。いただきます」
二人は並んでベンチに腰掛ける。
「お嬢様に支払わせてしまい、申し訳ないです……」
「違う。謝って欲しいのそこじゃない」
「それにしても、お嬢様が小銭をご存じだとは思いませんでしたよ。人生で札束以外見たことないはずですよね」
「どうしてあなたもひろくんも、私を成金扱いするのかしら」
ささらとのこんな掛け合いも久しぶりだ、とあかりは思う。屋敷では使用人に徹しているし、学校ではあかりが取り巻きに囲まれているため話したりもしないから。
子供の頃は彼女の立場など知らず、一番身近な友人として仲良く過ごせていた。
「自分ではまだ何も成し遂げてはいないのに、金持ちアピールするからでは」
前半部分は完全に同意するが、アピールなどしていない。していないよね……? 急に過去の言動が気になり自問自答する。
「あっ」
星の夜の記憶。
タクシーを深夜に一時間走らせたら、いくらになるのだろうか? そしてその分を働いて得ようとすれば、何時間かかるのか、あかりは知らない。
祖父の庇護なしで生きていくと言うことは、自らの時間を労働に変え、金を稼いでいくことだと気づかされる。
「持つ者は無邪気に持たざる者を踏みにじることがあります。よく胸に刻んでおいてください」
持つ者たる來宮家に仕えるささらがそう口にする。冗談交じりではあるが、考えあってのことなのだろう。
「それではお嬢様、ご馳走になります。ばぁーやさん、いただきます」
ささらはばぁーやにも一礼し、温泉まんじゅうを頬張る。蒸したてのそれは断面から湯気を立ち上らせ、ささらはほっほっと口内の熱を逃がしながら甘みを舌で感じ取ろうとする。
「あ、あついよ。平気?」
「んま、んま」
気に入ってくれたようだ、熱いのがわかっていて二口、三口目と続けていく。しっとりとしたあんこの甘味に満たされた状態を、ばぁーやの淹れたお茶でぐいっと流し込む。これが最高なのだ。地元民からも観光客からも愛される三倉の癒やしスポット。
「はぁあああああ」
食べ終えると深く息を漏らす。余韻に浸っているのか、感想などは出てこない。
「いただきます」
あかりも同様にまんじゅうにかぶりつく。何度も食べたのに、毎回新鮮な感動が口内を満たすのは何故なのか。
「…………やばいね」
あかりが食べ終えたあとに、ぽつりとささらが漏らす。
「でしょ? 屋敷のアフタヌーンティーも素敵だけれど、ここでするお茶はとっても落ち着くのよ」
「あーあ。わたし、仕事中なんですよ? しかもお館様直々の」
まるでやる気をなくした、と言わんばかりに天を仰ぎ、ささらはメイドキャップをむしり取った。
「友達と食べるといつもより美味しいね、ばぁーや」
「ふぇふぇふぇ」
ここではあかりは來宮のお嬢様でいなくてもいい、ならばささらも、メイド服など脱ぎ捨ててしまえばいいのだ。
「ね、もいっこ食べましょうか?」
「違うのにしましょう。わたし、本わさびアイスが気になっていて」
女の子同士で、お菓子片手に笑い合うような時間も、今までのあかりには与えられなかった。空き時間は習い事や予習をし、テーブルマナーや帝王学など普通に暮らしていれば必要ない教えも叩き込まれてきた。
“普通”に憧れていたのだ、あかりはずっと。
「ばぁーや、温泉まんじゅうと……本わさびアイスちょうだいっ」
◇◇◇
「いい? 絶対ついてこないでね」
「しかし」
「私がここに来てから、あなたに見つかるまで、約二週間無事でいたのよ。今更二人っきりになっても心配いらない」
「油断してはいけません。すべてはお嬢様を食い物にしようと綿密に張り巡らせた罠の可能性が」
「ぜったい平気だから。ひろくん、私なんか眼中にないから。ゆきさんのお手伝いしてあげて」
あかりのすさまじい剣幕にささらも押され気味になる。隠密行動は彼女の得意技であり、主に危険が及ばぬように監視するのが仕事の一環でもあるのだが。ここまで言われてしまっては尾行するのも憚られる。
「それじゃあ行ってくるから、頼むわよ。大丈夫だから心配しないで」
玄関で紘人を待たせているのだ。あかりはささらに念押しし、慌てて支度を調える。
星見に行くときのピンク色のミュールに足を通そうとして、
「森の中を歩くから、それなりの装備でね」
「……うん」
どうやら今夜のおしゃれは必要ないらしい。歩きやすい靴を選択し虫除けスプレーを肌に塗布する。
紘人自身が以前、夜の森は危険だから立ち寄るなと言ってくれたのに。どんな目的があってわざわざ分け入っていくのか。
勝手口を出て、整備されていない森へ繰り出していく。当然ながら視界はきかない、はずなのだが紘人は迷いなく歩を進めていく。
「うわ、真っ暗。ねえ、ライトを点けてはいけないの?」
唯一の頼りになる月光も、茂った木の葉に遮られ差し込んでこない。
「今はまだいいけど、すぐに消してもらうことになるよ。おすすめはしない、夜に目が慣れてくれば次第に見えてくるよ」
言われたとおりにする。二歩先に紘人がいなければ怖くて逃げ出してしまいそうだった。ざっざっと一定の足音に従って、いっそ視界を諦めて山を登るうち、確かに木々の輪郭や地面の傾斜がイメージできるようになる。
青黒い闇。
しんとした獣道。
夜の底に二人はいた。
無心で歩いていたから、あかりはそれに気づくのが遅れた。
「ふぅー、危なかったよ。時期が悪いとお目にかかれないからね」
ぽつり、ぽつりと小さな光点があちこちに浮かんでいる。
はじめは数えられるくらいだったそれらが、どんどん増えて、明かりを灯して。
「これって……」
「蛍だよ。ヒメボタルといって、川沿いじゃなく山の中で見られるんだ」
二人の周囲には、明滅する光の粒が泳ぐ幻想的な夜があった。
都会の夜に煌めくイルミネーションよりもずっと弱々しい。ライトを点けるなと言った意味をあかりは理解する。この暗さの中でしかきっと気がつけない淡い瞬き。
「うちのペンションの名付け親なんだ。開業する時にこの光景をイメージしたらしい」
「すごい……」
森の中に星がある。
あかりは目の前の光景に呑まれた。映像や人工物ではない、自然の生き物が発光し神秘的な空間を作り出していることへの驚き。次世代に命を繋ぐため、パートナーを求めてシグナルを送り続ける懸命さ。
そしてその儚さ。
何年もかけて地球にたどり着く星の光とは違う、一生のうちの僅かな間だけのきらめきに心奪われる。
しばらくの間、二人は無言で蛍を見続けていた。
あかりの世代は、どんな出来事も写真に残したがる。共有するSNSの発達と、スマートフォンの進化で誰しもがカメラマンになれる。
だが彼女はこの瞬間を撮影しようとは思えなかった。
肉眼で捉えて、脳に焼きつけ、一瞬を永遠にしたかった。
「…………ありがとう、連れてきてくれて」
「まあその、せめてさ、自由でいられるうちに、思い出を作ったらいいよ」
たどたどしい彼の言葉。気を遣わせてしまっている。あかりの知る紘人はこんな素敵なサプライズをしない、きっと昨夜話した境遇を不憫に思い同情してくれているのだ。
「ごめんね、とってもうれしいわ」
「なんで謝るのか」
「無理して歩み寄って来てくれたから?」
「別に、この夏限りなら見せておこうかかとと思っただけだよ」
そう、このそっけなさこそが紘人である。決してあかりに媚びたり、取り入ろうとしないところが。
「私、この星と蛍の夏を一生忘れないから」
あかりはこの旅が時間稼ぎに過ぎないと心の隅で感じていた。しかし三倉に来て、紘人やゆきに出会って、世界の地図が広がっていくような体験をいくつもしてきた。
そしてこの忘れ得ぬ眩さ。
どんな人生を送ることになろうと、決して色褪せぬ光としてずっと自分を支えてくれる。そう確信できる思い出をもらった。
その感謝を込めて、目一杯の喜びを彼に伝えたかった。
しかし紘人は、うつろな、生気のない佇まいで森の奥を見ていた。
「けいか……」
「ひろくん?」
至近距離で夜に慣れていたから、あかりは気づけた。あのときの目だ。初めて出会ったときの、星を眺めているくせに、どす黒く淀んだ瞳。
紘人は何事かを呟きながら、森の奥へと視線を送る。
両腕を必死に伸ばしていた。まるでそこに誰かがいて、追いすがるような格好だった。
多分これだ、と直感する。紘人が間合いから人を遠ざけて、見せないようにしている部分は。
知りたい。もっと近くに、とあかりは願う。
けれど、知らないからこそ傍にいられる気がした。踏み込もうと距離を詰めたらその分後じさり、今度は鍵もかけられてしまいそうで。
夜の森で二人きり。夢のような風景の中で、隣にいるというのに、彼は自分を見ていない。
それが、たまらなく寂しい。
彼はいつも光を探している。あれだけ毎日星を見に行って、これほど素晴らしい景色を知っていてそれでも、見つけられずに探している。ならば、あかりもそれを追ってみようと思う。
「きらきらして、きれいだね」
返事はない。
蛍の乱舞に紛れて、あかりの瞳から一粒、星が零れる。




