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星蛍夏  作者: 仮住まい
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敏腕メイド

「おはよう」


 リビングに降り立ち、朝食の準備をしている背中に挨拶すると、びくりと全身を震わせた。


「あっ、えっ、ひろくん……早いね」


 驚いた様子で紘人に向き直る。彼の起床時刻より大分早い時間、入眠してから三時間ほどしか経ってない。


「何か手伝おうか?」


「まだ寝てていいのに」


 紘人だってできればそうしたい。目が覚めてしまったのは、昨夜のあれこれのせいだ。そして、眠りが浅かったのはあかりも同じなのか、普段は紘人の目つきを『死んだ魚の目』と揶揄する彼女も、今朝は眼下にくまをこしらえている。


 しばし見つめ合って、お互い、言葉がでてこない。


 聞きたいこと。伝えたいこと。沢山あったはずなのに。


「…………あのさ」


「うん」


「今晩、ちょっと付き合ってくれないかな」


「……え」


 彼の方から誘いをかけるなんて、今まで一度もなかったのに。


「見せたいものがある」


 あかりは僅かに頬を赤らめ、指で髪の毛先を弄り始める。


「わざわざ、夜に見せたいもの?」


「そう。今日は星はお休みで」


「え、っと、わかった」


 小声で「なんだろ」と繰り返し呟いている。楽しみにしているのが見て取れる。


「ところで昨日のメイドさん、まだ近くにいるのかな」


「ささらのことだから、きっと……」


 映画の効果音かと聞き間違うほどの、見事なフィンガースナップが室内に響く。


「お呼びですかお嬢様」


 パチンと鳴ってから数秒のラグで、昨夜のメイドが姿を現した。リビングから見渡せる開放的な中庭の一体どこに潜んでいたのか、いきなり視界に映り込み、ガラス戸を開いて屋内に侵入してくる。


「…………忍者みたいな奴だな」


「私は貴様を見ているぞ、八島紘人」


 ささらは警戒心を剥き出しにしながら紘人を睨みつける。まるでメイドと言うよりボディーガードのよう。


「ん……? 八島?」


「あのさ、俺は別にお宅の令嬢をどうこうしたいわけじゃないんだよ。昨日みたいな真似は止めてもらえるかね」


「信用できませんね。あかりお嬢様は美しく高貴な身分でいらっしゃる。何かがあってからでは遅いのです」


 昨夜地面に転がされただけあって、怠さを極めた紘人の顔もやや強張っているように見えた。


「善意で部屋を貸していたのになぁ。感謝されこそすれ、非難される謂れはないぞ。家の名前に泥を塗らないほうがよいのでは」


 これまであかりとの雑談から得られた情報の断片を繋いでみれば、東海地方にルーツを持つある企業が浮かんでくる。


 祖業は使い捨てカメラやそのフィルムで一時期隆盛を誇ったものの、写真撮影の主戦場がスマートフォンやデジカメに移行してからは需要が激減、それでも画面液晶に注力し始めて生き残りを図っている。


 珍しい名字が決定的だ。來宮(きのみや)フィルムと言えばあなたの街の写真屋さんとして各所に点在していたものだ。実店舗を減らした現代においても、記念日の思い出を切り取る写真をプロのカメラマンが撮影してくれる。


 そんな誰もが知る規模の会社、立派な家柄である。だが仕えるメイドがこれでは、格が落ちるというものだ。


「悪評は、語られる前に封殺してしまえばいい。意味、わかりますね?」


 冗談なのかマジなのか、覇気のない半眼からは真意を探れない。


 紘人はささらを観察する。あかりよりも小柄で、淡い髪色のショートヘア。線も細く子供みたいに見えるが、昨夜の動きからしてただ者ではないだろう。あの身のこなし、大人の男性との体格差を覆した体術は並じゃない。


 下手に逆らわない方が賢明なのは彼にもわかっている。


「ささら、ひろくんに何かしたら許さないからね」


 いきなり暴力を働いたことをあかりは許していないようだ。二人の間にすっと割って入り、ささらを睨みつける。


「彼は私の恩人なのよ。一人凍えてしまいそうな夜の淵で、手を差し伸べて救ってくれたんだから」


 脚色しすぎではないか。紘人は呆れながらも渋々迎え入れたし、あかりは自らの失態を許容できずずっと不機嫌だったのに。


「ただの親切ならばよいのです。ですがお嬢様、この世には悪意が満ちていて、お嬢様を利用したり手込めにしてやろうとする悪い大人が沢山いるのです」


「あらあら賑やかね。あかりちゃんのお友達?」


 キッチンの方で作業していたゆきまでリビングに顔を出す。


「ごめんゆきさん、私の家の人が心配して来ちゃって」


「お邪魔しています。久住ささらと申します」


 ゆきに向かって一礼をするささら。屋敷で客人を出迎えるときのような、きちんとした礼だった。


「おいおい、恩人AとBで態度が違いすぎないかね?」


 ささらは、ゆきには届かないくらいの声量でFワードを呟いてみせる。良い度胸をしている。


「ゆきさん、ですよね。お話には窺っています。このたび、あかりお嬢様の窮地を助けてくださり厚くお礼申し上げます」


 どこから取り出したのか、東京の銘菓を手土産としてゆきに渡した。手ぶらに見えたのだが一体どこから。メイドエプロンのポケットには、到底入りそうもないサイズの箱である。


「いいのよ、そんなお礼なんて。困ったときは助け合わないとね。それにわたしも、あかりちゃんと過ごせて毎日がとっても楽しいんだから」


「ゆきさん……」


 あかりは瞳を潤ませながらゆきにすがりつく。ゆきもその頭を撫でて、まるで本当の親子のよう。


「ささらちゃんも、しばらく三倉にいるの? お部屋は余ってるから、ゆっくりしていったら?」


「いえ、そういうわけには」


「温泉、気持ちいいのよ。夏でも三倉は涼しいから、つい長湯しちゃうのよね」


「申し訳ありませんが、私も、お嬢様も近いうちに」


「せっかく夏休みなんだし、東京からはるばる来たんでしょう。疲れを癒やしていきなさいな」


「で、でも…………」


 押し問答が続く。ゆきが事情を知らずに親切心100%で提案しているから、ささらも断りにくそうだ。


「いいじゃない、ささらも働きづめで疲れたでしょう。たまの休みと思って、自由にしたらいいわ」


 ここぞとばかりにあかりも勧誘に走る。強制送還を防ぐために懐柔しようと必死だ。


 こんなおてんば姫のお守りじゃメイドも大変だろうな、と同情する面はあるが、これ以上居候が増えるような事態は断固お断りな紘人だった。


「お爺さまには私が言っておくから、ね?」


 だがあかりのときと同様、彼の意向は汲まれない。


「私は適当に宿を取りますから。ただでさえお嬢様が厄介になっているのですし」


「そんなことないわ、家の中が賑やかだと嬉しくなるの。ね、泊まっていってくれないかしら?」


 ゆきの必殺技、慈母スマイルが放たれる。これを受けた若者は心の奥底にある甘えたい欲求を呼び起こされ、母性の下に屈服してしまうのだ。


 かたくなだったささらの態度に、わずかな亀裂が走る。


「…………いいの、かな」


 ささらは主とゆきを交互に見る。二人とも歓迎ムードを出している。沈んでいるのはこの場で紘人だけだった。


「ゆっくりしていってね」


「私が三倉を案内してあげるわ」


 この家から賑やかさを奪ってしまった。


 ゆきは紘人を責めないが、彼の心には負い目がずっとある。


 三人の紡ぐ輪を背に、紘人は一人、リビングに飾られた星の描いた地図を眺めていた。

 


◇◇◇

                 


「ほら、行くわよささら。せっかくお休みもらったんだから」


 夜まで自由にしてていい、と紘人はあかりに伝えた。ささらと話す時間をわざわざくれたのだと受け取り、あかりはお言葉に甘えることにした。


「お嬢様はのんきでいらっしゃる。本来すぐにでもお館様に連絡をして説得すべきでしょうに」


 ささらも自らのクビがかかっているだけあって小言をやめない。


「だから、私は旅に出る前にきちんと伝えたのよ。夏の間帰りません、世界を見てきますって」


「お嬢様がお母様のことまで引き合いに出すから、お館様も何も言えなかったんですよ。納得なんかしてません」


「だって、お爺さまが自分で言ってたのよ。お母さまは外を知らなすぎたって。だから見識を広めようとしているだけなのに」


 結局、見くびられているのだとあかりは思う。祖父は自分の庇護なしにあかりが生きていけると考えていないし、今までずっと従順にしてきたせいで強く言えば命令を聞くと信じているのだ。


「それで飛び出したかと思えば、結局しょーもない男に引っかけられている。血は争えませんね、おいたわしい」


「あなたね、私のお付きのはずでしょう。どっちの味方なの?」


「担当はお嬢様ですけど、雇い主はお館様なので」


「屋敷に戻ったら担当を変えてもらうわ」


「お嬢様の相手なんてわたし以外に務まりませんよ」


 最近は減りつつあった癖の舌打ちを鳴らしてしまう。


「あかりちゃんそれやめろって言ってるじゃん。パワハラだから普通に」


 二人きりのとき限定の口調に、あかりはハッとする。


「……ごめん」


「ドンマイ。あんまイライラすんなよ」


 ささらはあかりの肩をぽんと叩いた。年も同じで、主従関係で縛り上げるようなことはしたくないから、ささらが舐めた態度を取ってきても怒ったりはしない。


 だがささらはそれをわかっていて、苛つくあかりを見るのが面白いから、わざと煽るような言葉を選んできている。


「本当、あなたって人はぁ……っ」


「さて、お嬢様。この町を案内してくれるのでしょう? さっさと行きましょうか」


 あかりは舌打ちを連打しながら蛍火の門をくぐった。

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