デッドエンド
「おい、聞いているのか。姿を」
第二撃は、思いも寄らないところからやってきた。
「離れろと言ったぞ」
正面の物陰にいると思っていたのに、その声は上から降ってくる。屋根の上からの急襲。気づいたときにはもう遅かった。あっという間に背後を取られ、抵抗の出来ぬまま彼は地面に転がされ自由を奪われていた。
「ひろくん!!」
あかりの悲痛な叫びが聞こえるも、何もしてあげられない。体重をかけられ砂利が頬を擦る。砂の味が不快でたまらない。なんて惨めな格好だろうか。痛みを堪えながらしゃにむに、身体の動く部位を暴れさせる。なんとかしなければ、あかりに危害が及ぶ前に。
「はなせえええええ!!」
力の限り咆吼する。心臓が再び動き出すような気がした。凍りついた血の巡りが、どくんと跳ねるように脈を打つ。自分の中に眠っていたことが信じられないほどの膂力で、押し返す。紘人はもう、後悔はしたくないのだった。
「このぉぉぉっっ」
「あ、っばれるな!」
「離してあげて、ささらっ!」
悲痛な叫びが空気を切り裂く。あかりの言葉に反応し、ピタリと圧力が止んだ。自由を取り戻した紘人が身体を転がし仰向けになると、我が目を疑うような光景が。
メイドがいる。クラシカルなメイド服を纏った少女が、臨戦態勢で紘人の次の行動を窺っている。想像していた犯人像とかけ離れすぎて夢でも見ているのかと思う。だが、使用人に襲われる心当たりなら紘人には一つだけあった。
「ひろくん、大丈夫っ? けが、してない」
あかりがそばへ駆け寄ってきて、紘人の身体を診察するみたいに見たり触れたり。痛みはかなりあるが裂傷などはなさそうだった。
「なに、知り合い……?」
「あの、ごめんなさい。うちのお屋敷のメイドさん……」
「お嬢様、その男から離れてください。そいつは――――」
「彼になんてことするのよっ」
あかりはメイドに向けて怒声を発する。紘人も初めて見る、怒りを露わにしている姿。確かな敵意を持って従者を睨みつけている。対してメイドの方は、主人の不興を買ったとは思えないほど焦りも怯えもなく淡々としていた。
「ささら、いきなり現れてどういうつもり? それも襲いかかるなんて、私を消しに来たの?」
穏やかじゃないワードが飛び出したので紘人は内心でビビり始めていた。もしかしたら自分は泥沼の後継者争いに巻き込まれてしまったのではないかと戦々恐々である。
「お嬢様は來宮の未来そのもの。襲いかかるなどとんでもない、保護しようとしたのですよ」
「夏の間は自由にしていい約束でしょ。お爺さまも了承済みのはず」
「お館様はお嬢様を呼び戻せとおっしゃっています。ほんの数日の旅行程度に考えていたのでしょうね」
「やけに物わかり良く送り出してくれたのはそういうこと……。わかったわ、ならお爺さまに伝えて。私はしばらく帰らないと」
「両家の顔合わせも欠席するおつもりで?」
どうやら金持ちにはどろどろの人間模様があるらしい。関わり合いになりたくないしとっとと帰りたい。この様子だとあかりに危害を加えることもなかろう。先ほど感じた勇気と熱はすでに紘人の中で燃えカスに転じつつある。
「いかない。いかないよ……私はまだ、納得してないから」
あかりがどさくさに紛れて紘人の手を握る。彼女が間近に寄り添っているせいで、はね除けないことには立ち上がれそうもない。自分に無関係のドラマはよそでやってくれと紘人は思う。
ささらの視線が二人の結び目に注がれる。
「なるほど……この男がお嬢様をたぶらかしたのですね」
「なるほどじゃないよ。勝手に決めつけるのやめてもらっていいかね」
たぶらかしも連れ去りも洗脳もしていない。せめて匿っていたとか言って欲しいものだ。後継者を“消し”てしまうような家にターゲットにされたらたまらないと紘人は焦りを感じていた。
「ただならぬ関係とお見受けしますが」
「ただの居候と家主だよ」
「あの気難しいお嬢様が懐いているなんて、何もなかったとは考えられません。お嬢様、お身体は無事ですか? まだ処女ですか?」
「あなたね! 恥ずかしいこと言わないでよ!!」
突如降りかかる主ディスにあかりは即座に反応しささらに飛びかかる。暗かったせいで目立たなかったが、おそらく顔を真っ赤にしていた。
「恥ずかしい? 性の乱れがちな昨今において、純潔を守り抜いているなんて立派な事ではないですか。社交パーティーでも引く手あまたなのに」
「容姿と家柄で引く手あまたなのに経験がないなんて、性格に難アリって思われてしまうでしょ!!」
こいつもこいつで妙なこじらせ方をしている。そして済みだろうがまだだろうが紘人にとってはどうでもいいことだ。
「それほどこの男によく思われたいと? やめておいた方がいい」
「ねえ、うるさい。本当に黙って。帰って」
あかりはささらの両肩を掴み前後に激しく揺さぶる。
「ですから帰れないのですよ。お嬢様を見つけておきながら取り逃がしたとなれば、わたしが処罰されてしまう」
「わかってる。私がそんなことはさせないし、ちゃんと口を利くから。だから……」
「お嬢様がきちんと説得してから出かけたのなら、使用人が駆り出されることもなかったのですが」
「…………それは、そうかもだけど。でも、もう少しだけ時間が欲しいの。そうすれば、何か、」
「関連会社も動き始めています。息抜きの時間はもう残されていませんよ」
そうだ、息抜きの時間は終わりだ。蛍火に帰らなければ。ようやく紘人は立ち上がり、服の砂利を払って踵を返す。あまり遅くなるとゆきに迷惑をかけてしまう。
「でも、あんなのみんなが勝手に――って待ってよひろくん、私まだ……っ」
「積もる話ならどうぞごゆっくり。俺はまだ仕事があるんですよ」
「手伝うから。ささら、絶対に悪いようにはしないから、私を信じて」
慌ててあかりも駆けてくる。ちらりと後ろを窺うが、ささらはその場所から動く気配がなかった。
「…………ほっといて平気なの?」
「うん、多分私が帰るまでは監視してると思うし。ひろくんこそ平気?」
「なにが」
「こんな目にあって、やっぱり私は……」
いない方がいい。厄介ごとに巻き込まれるのがわかっていて、ここに置いておく義理はない。紘人は優しくなどない。出会い方が違えば、絶対に手など差し伸べなかった。あの丘で、あんな邂逅をしたから咄嗟に声をかけてしまったのだ。昔を懐かしんだだけの、気まぐれに過ぎないから。
だからこの先、これ以上、距離を縮める道理はないのだ。
「ねえ、逃げてきたの? 探しにきたとか言ってたけど、本音は」
「…………そうね、そうだと思う」
あかりの表情が痛々しい。取り返しのつかない迷惑をかけてしまったと悔やんでいるのだろうか。
「もう私の道は決まっちゃってるの。選べないの。だから、現実から目を背けるように、旅に出た」
「苦労が多いのだね。お金持ちの世界と言うのも」
強制的に跡継ぎにさせられたり、やりたくもない勉強を押しつけられたり、自由など与えられなかったり。三倉にこだわっているわけじゃなく、自分の意思で行動できる時間を、少しでも長引かせたかったのかもしれない。
「時代錯誤よね。政略結婚なんてさ、高校を卒業したら、私は……」
「わお」
驚きの声が漏れる。彼女の言うとおり、今時そんな理不尽があるなんて紘人は考えていなかった。
「普通の、女子高生みたいに、自由な恋愛がしてみたかった」
紘人の方をじっと見つめる。頼られても助けにはなれそうもない、可哀想な境遇だとは思うが。
「相手の人もどっかの社長とか?」
「そんな感じ。成長が鈍化しているうちと違って、今伸び盛りの企業の御曹司。パーティーで一度会ったけど、素敵な方」
一度顔を合わせただけの相手と、結ばれなくてはならないのか。本人の意思など置き去りにして、ただ会社の利益のために。
「成立すれば、二社の絆はビジネスパートナーよりもっと強固に結ばれる、ってわけ」
「お気の毒に」
運命からは逃れられそうもない。星の地図はあかりに違う道を示してはくれなかった。
「逃げたくもなるよ、そんな人生」
「でも、良いこともあったから。ここに来てよかった。最後の夏休み……大切な思い出ができた」
強がりで笑っているのがわかる。不条理を飲み込むための大人の笑みだった。
「息苦しかっただけの人生だったけど、ここでは自然と呼吸ができた。空気が美味しかった。ね、私また三倉に遊びに来たい。今度はちゃんとお客さんとして、蛍火に泊まりたい。何年後になるかわからないけど……」
ああ、ままならない。あかりの最後の拠り所さえ、奪ってしまうのだから。伝えなければならない。嘘は毒となり、未来の彼女を失意の底へと誘うだろう。
どうせ結末は変わらない、ならば、ここで。
「申し訳ないけれど」
「ん?」
「蛍火は、この夏で営業を終えるんだ。すまないね」
「………………そう、なんだ」
長い沈黙の後に、あかりは呟く。傷つけたいわけじゃない、早めに知らせるのが最良だと思ったから紘人はそうした。
「君が来る前から決まっていたことでね」
「夏の、間は……?」
「やるよ。厳密にいつまでって決めてるわけじゃないけど」
もうすぐ8月になり、9月の終わりには三倉は秋の装いとなる。暑熱が去った頃にひっそりと、畳むつもりでいる。
「……そうだよね、私に私の事情があるように、ひろくん達にもあるんだもんね」
「ごめんね」
「謝らないで。私いま、本当に楽しい毎日を過ごしてるの」
もし仮に別の場所で過ごしていたとしても、あかりならきっと素敵な思い出を作れたのではと紘人は思う。
偶然自分なんかと巡り会ってしまったせいで、彼女の心に暗い影を落としてしまった。もっといい道があったのかもしれない。素晴らしい風景を見られたかもしれない。
何年経っても彼女の縁となるような場所に、人に、出会えたかもしれない。
「ありがとう、ひろくん。出来れば、もうちょっとだけここにいさせてほしいの」
何もしてあげられない。
「……いいよ、時間の許す限り」
あかりの疲れ切った面持ちに、紘人の心もずしりと重くなる。せめて、ここにいる間は、羽根を伸ばさせてあげたいと感じた。




