春乃の写真
画面上にサムネイルがいくつも表示されたのを確認し、あかりは今度こそ喜びを爆発させた。残された一番古いデータを開く。
そこにあったのはあかりがよく知る町の光景。
ちょうど中央広場の足湯からばぁーやの店内を映したもの。あかりの大好きな居場所。饅頭の甘さや立ち上る湯煙があかりの五感に響く。
「どこで撮ったのか、全部わかる……」
一つずつ写真を捲っていく。あかりが暮らしていた世界のアルバムのようだ。微笑ましい気持ちで眺めていたがふと違和感を覚える。
春乃は風景を切り取る写真家だと理解していた。だがここに撮られている多くに人の息遣いがあった。サンパウロの店主は欠けた歯を見せ笑っている。漬物屋の村木は昼間からビールを飲んでいる姿を激写されていた。
「春乃、さん……?」
春乃の自室に飾られた写真を思い返す。やはり夜空と星が大半だ。
紘人が纏めたアルバムにさえ、人物が写り込むのは稀だった。ゆきと紘人以外は登場すらしない。彼が意図的にそういうアルバムを作っていたのか、普段から人の写真は撮らなかったのか。
ばぁーやの変わらない優しい笑みが画面に映じる。
春乃は人の繋がりを縋って、絶望から這い上がろうとしていた。と考えるのは都合がよすぎるだろうか?
「あっ……」
スライドビューの流れが止まった。
突然現れたマゼンタ色の血の川があるべき部分を塗りつぶしてしまっていた。
「え、ちょっと……待って」
蛍火の中庭が毒々しい反転色に書き換えられている。砂嵐のようなノイズも混じり始める。毒を垂らしたようなショッキングな色合いにあかりの動揺が加速する。
「どうにかできないの!?」
付き従った技術者が答える。
「データが破損しておりますので、元の写真そのまま現像というわけには参りません。ソフトに読ませてデータを解析し、アルゴリズムに則りそれらしい色に補正する作業になります」
「それじゃあ……っ」
あかりは唇を噛む。春乃の写真だから意味があるのに、これでは紘人に届かないかもしれない。
しかしそれしか手がないのなら、受け入れて修正を――――
「うっ……」
改めて異質な写真に向き合う。これまで見てきた彼女の写真にはどれも、映った場所へ足を運んでみたくなる引力があった。しかしその魅力も、色がズタズタになるだけでグロテスクな光景へと変貌してしまっている。
せっかくここまでこぎ着けたのに。胸のうちに悔しさが滲んでいく。こんなものをそのまま渡せば、紘人の論理はより一層強度を増すだろう。
壊れたものは、なくしたものは、帰ってきやしないと。
出来ることはなんでも試す。諦めない。
「一度処置してみましょうか。この写真からでいいですか?」
「おねがい……」
あかりは用意された椅子に座り、現像師の手腕を眺めた。画像を読み込ませると画像生成AIが壊れる前のデータに近づけようとノイズを潰し、写真の骨格を組み直した。当初覚えた忌避感は早い段階で取り払われた。さらにそこから、逐一あかりに効果の説明をしつつ露出、コントラスト、色温度等を手作業で追い込んでいく。
蛍火の中庭に陽光が差す風景が画面に映し出される。
「すごいね。ここまで出来るんだ……」
「どうでしょう? きちんと再現できていますか?」
技術の進歩には実際に舌を巻いた。綺麗な写真に仕上がっている。けれど、このまま進めていいのか? あかりの胸の中で何かがつかえている。違和感と呼ぶには微細なもの、思い出せ、この中庭をリビングから眺めたときの――――
「これ、撮影は夏よね? だったら、木漏れ日の形が不自然ね……。庭を囲む樹はもっと葉を茂らせているはず。あえて陰を作って日差しを避けられるようにしていたの。こんなに明るくはならない!」
あかりの脳内には中庭の絵図がある。朝食を用意するのはまだ陽が昇りきる前だった。チェックアウトを済ませ一息ついた昼下がりや、お客様が夕食をとりながら美味しいねと笑う姿。どれもリビングから見える中庭が背景にあった。鮮明に焼き付いている、どの時間帯でさえ。
だから気づけた。夏ならばこんな光の差し込み方はしない。
「……なるほど。AIはレンズの絞り値から『理想的な露出』を計算しましたが、実際の遮蔽物までは考慮していなかったようです。実際にここを知るお嬢様が補正をかければ、より実物に近づくかと」
「…………春乃さん」
このノイズの中に、あかりは彼女のメッセージが眠っていると信じている。だからここまで来たのだ。
遺志を掬い取り、彼を救うために。
やろう。私がこの写真を復元してみせる。
「もうちょっと光の加減を落とせる? シャドウを強めていって……そう、そう……嘘、やり過ぎた。一段階戻して」
これは長丁場になりそうだ。
しかしあかりには時間がない。
没入しろ、データの海へと。
「待っててね、ひろくん……」
◇◇◇
あかりが出て行ってからもう三日になる。必ず戻ると彼女は言ったが待ってやる気はもちろんなく、粛々と支度を済ませそれが終わればさよならするだけだ。
クローゼットを開いて仏壇に線香をあげる。両手を合わせて祈りを捧げる。
「春乃……」
遺影に向けて語りかける。もうすぐ会える。話したいことが沢山ある。謝らなきゃいけないことも、いくつか。でも、赦してくれるよな? その先はずっと一緒にいられるのだから。もう離れない、離さない。
紘人は机の上にあった最後の繋がりを取りに行く。
結婚指輪だ。食材を扱うため二人とも日常的につけていたわけではなかったが、ずっと大事にしてきた物だ。
これも遺影の前に飾ろう。春乃が選んだ青と金の宝石を自分たちの前に。
「あっ……」
指輪の横にある空の写真立て。子供が産まれたら三人で並んで撮ろうと用意していたものだが、ついぞ埋まることはなかった。
天国にフレームは持って行けるだろうか? いや、それならカメラもいるな。いつも肩から提げていた、ずしりと重いあの黒い一眼レフも持って……おいおいあかりに渡しちまったよ。
必ず戻るとあかりは言った。やっぱりカメラ返してと頼んだら応じてくれるだろうか?
また、あの子のことを思い出している。
「くそ……っ」
紘人は髪をかきむしりながら、すでに物がなくなった春乃の部屋で、彼女との楽しかった記憶を必死にたぐり寄せた。




