手術と返り血
「やはり本体は損耗が激しく……データの復旧はかないませんでした。ここから差し込まれていた記録媒体の修理を行うことになります」
あかりが案内された部屋は集中力が気化して充満したような部屋だった。全体としては薄暗いのだが、作業をする職人の手元だけはLEDライトが煌々と照らしている。
卓上には極細のピンセットやはんだごてが並べられ、帯電防止マットの上に顕微鏡がしつらえてある。
横から覗き込むと、カバーに亀裂の入ったSDカードがあった。
あれが、春乃の遺志。
これから職人の腕で分解され、フラッシュメモリチップを移植しデータを吸い出す作業に移る。
「どうか……助けてちょうだい」
肩越しに技術者へ声をかける。
「最善を尽くします」
見ていて息が詰まるような細かい手技の繰り返しだった。手術台に乗った患者の命を絶やすまいと慎重に、迅速に、処置を施していく。
「…………っ!!」
パキッと音がするたびあかりの鼓動が跳ねた。
あかりは手元と、正面モニターに映し出された作業風景を交互に眺める。カバーが外されSDの内臓がまろびでる。それは思いの他小さく、無防備に映った。
丁寧に、記憶媒体を傷つけぬように心臓を摘出していく。
これほどの精密さが必要なら素人にはとても手出しできなかっただろう。
「…………ふぅ」
無事にチップは取り出され、次は別の基板へと載せ替えてゆく。
焦げた松脂の匂いが鼻をつく。はんだが電子回路をバイパスで繋いでいく。
見守るしかできない。
蘇れと祈るほかなかった。
はんだごてが役目を終えると、透明な液体を綿棒に浸してチップの汚れを拭っていく。基板が本来の輝きを取り戻していくさまは、あかりを安心させた。
やがて、職人が前屈みをやめ背筋を伸ばした。道具を卓上の元の位置へと戻す。
「終わった、の?」
「少々お待ちを」
真横で見ていたからわかった。彼は一度だけ目を閉じた後、再びカッと見開いた。血眼になって、という表現がまさに似合う。顕微鏡に貪りつくように再び前傾し、作業のアラがないかを探っていく。
「このチェックを怠るとデータを紛失しかねないのです。我々にとっては慣れた作業でも、お客様にとっては取り返しのつかない大切な記憶ですからね」
あかりの後ろに控えた案内役が言う。
そうか、もう会えないと一度は諦めたデータも取り戻せるかもしれないんだ。思い出を掬い上げて、最新技術でより鮮明に写真を現像することができる。やはりこの事業は捨ててはいけないとあかりは確信した。
「……導通、確認。ショートなし。いけます」
職人の短い宣言とともに、むき出しの基板がカードリーダーの溝へと滑り込んだ。数十秒のちに、PC上にポップアップが浮かぶ。
『新しいドライブを検出しました』
「やった!」
あかりは拳を握り喜びを露わにする。
「まだです。読み込みには成功しまたが、中のデータが無事かどうか。お嬢様、場所を移しましょう。ここからは別部門です」
そうか、まだわからない。すぐにでも確認したい欲求はあったが、この部屋はパソコンに読み取らせるまでが仕事なんだ。
これ以上ここにあかりがとどまっては彼らの精緻な作業の流れを乱してしまう。
「あの、本当にありがとう。あなたのおかげで希望を繋げた」
春乃のSDを担当した職人に深々と頭を下げる。
「お嬢様、顔を上げてください。当たり前のことをしたまでです、來宮の職人として」
「いいえ。あなた方が普段から手技を磨いてくれていたから、データをサルベージ出来たの。ありがとう、これからも会社の中枢を担っていってちょうだい」
技術者はあかりの笑みをじっと見つめる。次期社長として名が上がっている相手が現場に来るなんて思っていなかったのだろう。
あかりは彼の手を取り握手をした。この場に立ち会えてよかったと感じる。カメラ屋の本懐を知れ。会社を支える屋台骨が技術であると、祖父はあかりに伝えたかったのかも。
「おじょうさま……」
「さて、中身を確認しに行きましょう。案内頼むわね」
◇◇◇
紘人の目の前には様々なフォーマットの書類が並んでいる。その一番上にあるのが『個人事業の開業・廃業等届出書』となっており、今にも廃業の欄に丸をつけようとペンを走らせるところだった。
ゆきから受け継いだときには希望に満ち溢れていた場所を、閉じるための書類。
「山ほどあるな。事務処理って」
言葉では愚痴って見せても、紘人の表情はどこか晴れやかだった。着々と支度を進めている間は雑念を抱かない。結論があって、それは動かず、タスクを淡々とこなしていくのは性に合っていた。
「消費税の届け出。消防設備の廃止……そして、保健所か」
きっちり精算してこの場所を返さなければならない。ゆきが困ることのないようにしなくては。
自分を愛してくれた義理の母に向けて。
最後に報いることができるとしたら、これしかないから。
判を押した指が朱く染まる。
まるで蛍火の返り血を浴びているような気がして、紘人はしばし、拭うのを忘れそれを眺めていた。




