けじめをつけに
「ただいま戻りました、お爺さま」
部屋中に威圧感が満ち満ちている。会長室の椅子であかりを迎えた祖父、來宮善蔵から放たれるプレッシャーが大気を絞り上げているようだ。普段から緩みなど一切見せたことのない祖父が、身の内で猛る怒りをなんとか押し込んであかりの言葉を待っている。
どんな申し開きがあるのか。自らの愚行を理解しているのか。
鋭い瞳があかりを射貫く。
「この度は自由時間をくださり感謝しております。おかげで視野が広がりましたわ」
「今までどこにいた」
「とある山奥で、わさびを摘んでおりました」
「それは、來宮を継ぐよりも重大な事柄だったのか。先方との顔合わせまで欠席しおって」
ちょうど星華祭の頃、あかりと婚約者、そして両家の重鎮が集まるパーティが開催される予定だった。主役と連絡が取れなかったため会は流れたのだろう。面子が潰れただけでなく、協力関係も悪化したはずだ。
「いいえ、來宮を継ぐために必要だったのです」
「ふざけたことを申すな。これは会社の二十年先を懸けた縁談だったのだぞ。どう落とし前をつけるつもりだ」
善蔵の凄みは増していく一方だ。幼い頃から言いつけを聞いていたからあかりは本能的に彼の望む言葉を吐いてしまいそうになる。
だがもう以前の自分とは違うのだ。
折れぬ芯を中心に抱えているから、あかりは祖父相手にも食ってかかる。
「私の性や容姿を売り物にして会社を大きくする。それでお爺さまは納得できるのですか?」
顔中の皺が怒りの形を作る。
逆鱗とはこんなわかりやすい場所にあったのか。
「使える物は何でも使えと教えたはずだっ! 経営者とは、従業員の命を預かる立場だと何故わからない!!」
なるほど、自分は祖父にとって『物』か。わかってはいた。けれど言葉にされてしまうと、やはり寂しさが勝つ。
家族の絆を知る前ならこんな感情を抱かなかっただろうか。
「吸収されて生きながらえてなんになりましょう? 先方がほしがっているのはうちの看板ではなく、フィルム制作で磨き上げたコーティング技術でしょう。本当にいいのですか? カメラのキノミヤの魂を喪っても」
写真や画面をより美しくという思いで職人が心血注いで会得した技術が、リチウムイオンバッテリーの絶縁体に使われる。過去の記録を残すカメラよりも未来を走るEV車の部品になっていくのは時代の流れとしては正しいのかもしれない。
「魂ならすでに売ったわ。父親から継いだ事業が落ち目になって、液晶に手を出したときに。その結果どうだ? フィルムカメラなど一部の愛好家以外使っておらん。スマートフォンで事足りてしまうからだ。判断の遅れは死を意味する。何も背負っていない身で口を挟むでない」
「これから背負うのです」
あかりは毅然と言い返す。善蔵の目をまっ十分に視線で射貫く。
戻れなくなる寸前、あかりの脳が一瞬だけあり得たかもしれない未来を描いた。
ゆきと、ささらと、紘人と、自分が、蛍火を続けていく光景。毎朝を自然な笑みで迎えて、今日もペンションは繁盛していて、夜になれば星が空を彩って。
ここで生きていたいって思える場所に出会った。
まぶしいくらいの、光に満ちた夢想。
浸っている暇はないが、最後に、もう一度だけ。
噛みしめて捨てる。
「高校を卒業後、私の力を総動員して來宮を発展させることをここに誓います」
それは、この先実家から逃げることなく、また政略結婚で供物にもならないという力強い宣言だった。
「私が、この会社を継ぎます。相手方の下請けに終始するお飾り社長などではなく、來宮として再び立てるよう会社を強くします」
自分が会社を建て直す。それが出来るなら文句はあるまい。
存続のために長いものに巻かれようとしていたくらいだ。あかりが継ぐことでそれ以上の益をもたらせばよかろう。
「お前の才覚は評価しておる。幼いころから後継者として手塩にかけたのだからな」
祖父による英才教育はあかりの自信の源になっている。だが会長がそれでも身売りを選んだと言うことは、会社の地盤はかなり揺らいでいると見ていい。
「あと十年、時代の進歩が遅ければ。お前が経営者として成熟してからこの時代を迎えていれば、縁談など組まずともよかったやもしれぬ」
知るか。勝手に諦めて人を差し出そうとしやがって。価値観のアップデートが出来ていないから置いて行かれるんだ、
「まだ間に合う。なんとしてでも良い条件で先方の仕事を請けなければならない。着替えろ、あかり。今すぐにでも出向いて謝罪しにいくぞ」
「お言葉ですが」
ここにいるのは6月までの純粋な少女ではなかった。
あかりはすうっと目を細め、色気を纏った声で、祖父に告げた。
「……私、もう縁談の道具としては使い物になりませんよ」
その意味を善蔵が理解するまで数十秒を要した。
怒りが沸点を超えた。
振り下ろされた拳がデスクを揺らす。
「――――男の下にいたのか貴様ぁっ!!」
「ええ、一夏の経験を済ませて参りました」
あかりは動じない。むしろ状況を楽しんでいるように見えた。あの祖父に一本やり返してやったという達成感。
「貴様も母と、真夜と同じ道を辿るというのか?」
同じ道はすでに途絶えた。だって、あかりは紘人の子を授かることができなかった。
母は大学で出会った禄でもない男に孕まされ、捨てられた。そうして心を病んで、あかりを産んでからもいなくなってしまった男のことばかりを想っていた。
「そうさせぬよう心血を注いで育て上げたと言うのに……どこの馬の骨ともしれん男に引っかかって汚れた。どういうつもりだあかり! お前は、母の末路を知っておろうが!」
祖父は母のことを引きずったままなのだろう。若さ故の過ちで一族の未来を台無しにしかけた。最期には精神病院の白いベッドで娘の顔さえわからなくなって朽ちていった。
悲劇を繰り返さぬよう、祖父はあかりを厳格に縛り上げ育てた。
「お前の自由を奪ってでも、悪意に触れるように護ってきたのだ。少しの息抜きくらいと許した結果がこれでは…………やはり血の呪いではないか」
そうか、この人は私を悲しみから遠ざけようとしてくれていたんだ。
あかりの中に気づきが芽生える。外の世界は新鮮で、楽しいことが沢山あったけど、それだけじゃなかった。何度も泣いたし、心が引き裂かれるような想いもした。
籠の中にいたなら凪いでいられた。揺さぶられることはなかった。
縁談を組んだことも彼の歪んだ優しさなのかもしれない。母のような地獄を味わうくらいならと、しっかりした嫁ぎ先を用意してやろうとしたのだ。
「私はお母さまとは違います。彼女は愛に狂って弱くなった。でも私は、私は…………強くなって帰ってきました。愛を知り、自分を知りました。自らの意思で、來宮を継ごうと戻ってきたのです」
毅然と言い返す。もう迷いはなく、進むだけだから。
「お爺さまの言いなりで無理矢理継ぐのではなく、私がその未来を選んだのです。どうせ売り物としては価値がないのですから、私の覚悟に賭けてくれませんか?」
善蔵の握りこぶしが小刻みに震えている。怒りか、悲しみか。彼にだって家族の情はあっただろう。愛娘を壊した男を許せなかったろう。
絶望の中で唯一灯ったあかりを途絶えさせぬよう、祖父はずっと戦ってきていた。
「十年遅くなどありません。お爺さまの哲学を継承しながら、新しい視点で私は未来を切り開いて見せましょう」
善蔵が値踏みするようにあかりを見ている。怒りに任せて叱責するだけではなくすでに次の一手を思考し始めている。良くも悪くも冷徹な経営者だとあかりは感じた。
「こうして会社を継ぐ気なら、何故そもそも逃げ出したのだ」
「籠の外の景色を知りたかったからです。屋敷を出る前は、自分の道をまだ悩んでいました」
「外の世界に触れて來宮の裕福さがわかったと?」
「それも痛感いたしました。ですが、ここに戻ったのは別の理由があります」
「ほう、申してみよ」
さて、切れるカードはすべて切った。ここから要求を祖父の喉元にねじ込まなければならない。
「守りたいものができました。そのために私は、会社の力を借りたい」
あかりは祖父のデスクまで近寄り、春乃のカメラを置いた。
「…………データの復元か」
「ええ、私の最後のわがまま。聞いていただけませんか?」
「随分状態が悪いな。高所から落としたか、悲惨な末路よ」
「通常の復旧ではデータは吸い出せませんでした。町のカメラ屋も匙を投げたと」
「だろうな。して、これを叶えるためにわざわざ戻ったというのか?」
「そうです。來宮の技術をすべてお借りしたい。その対価として、私の首を差し出します」
あかりは頭を下げ懇願する。
「…………男か」
「闇の中にいる人です。彼に光を届けなくてはならない」
「本当に覚悟があるのか? 写真を吸い出せたとして、そやつと結ばれることはない。お前はこの先來宮のために身を粉にして働くのだから」
「承知の上です」
折れぬ覚悟を携えここまで来たのだ。祖父に伝わると信じたい。
長い沈黙があった。その間もあかりは頭を上げずにいた。
自分の息づかいさえ響くほどの静寂の中で。
善蔵の舌打ちが緊張を弾けさせた。
「わかった。やるなら徹底的にやれ。カメラ屋の本懐を目の当たりにしてこい。これから、お前が率いていく社員の力をな」
「お爺さま……っ!」
「話は終わりだ、行くがよい。家を継ぐという発言、忘れるでないぞ」
「ありがとうございます!!」
春乃さん、もうすぐ会えるよ。あなたのこと、信じてるから。




