開く者と閉じる者
てっきり都内の屋敷に連れ戻されるかと思っていたのだがどうやら違うらしい。伊豆の本社に向かうルートだ。あかりは内心ほくそ笑む。
好都合だ。用があるのは頭の固い老人ではなく、來宮の技術者なのだから。
交渉はさっさと終わらせて作業に入らなければ。
相手の言い分など聞く気はない。こちらの出せるチップをどかんと積んで納得させる。電撃戦だ。
あかりは何度も深呼吸をしてここまでの歩みを振り返る。
屋敷に居た頃はいつも気詰まりだった。母があんなことになって、祖父の期待はあかりに降り注いだ。あらゆる物を与えられ、自らの後継者となるべく育て上げられた。
自分の意思では動けなかった。別に勉強もお稽古も嫌いではなかったし、安全に舗装された未来への道を踏み外してまでやりたいことなどなかったから。
三倉を訪れるまでは。
あの人のことを想うと、胸の中で痛みと熱が混じり合う。鼓動が自然と速くなる。今まで色んな男性に出会ったけれど、こんな気持ちは知らなかった。
あかりにとっては彼こそが夜空に輝く一等星なのだ。
想いを裏切るようなことはしたくない。一番の大切と巡り会ったのならば、手を離してはならない。
一位を守るために二位、三位を犠牲にしたって構わない。
呼吸を定め、まぶたを開く。
遠目に錯覚かと疑うほど巨大な本社工場が映り込んでいた。
「……よし」
決戦に向かう前にあかりは、スマホのメモに先程の素敵ポエムを打ち込んだ。
ここからは恋する乙女ではなく、次期指導者としての振る舞いが求められる。
両の頬を軽く叩いて、建物の中にいるはずの祖父を睨みつけた。
◇◇◇
「はい、申し訳ありません。一度休暇をとらせていただきたく……はい、はい。営業再開日は未定でして」
旅行サイトからの新規予約を止めてしまったせいで、ちょくちょく問い合わせの電話が鳴り始めている。ゲレンデから一時間弱の立地のため気の早いスキーヤーからせっつかれているが、応じてやれないのは心苦しく思う。
「盛況ですね。常連も多くいるのではないですか?」
「なんでついて行かなかったんだよ」
紘人は問いに答えず問い返す。主がこの場にいないのに何故このメイドは蛍火で仕事をしているのだろう。
「言われなくてもわかっているでしょう? お目付役、ですよ。八島紘人がヘラって短慮を起こさぬよう見張りをしているのです」
「必要ないからお嬢様の下へ行ってやれ」
「いきなり家からJKが二人も消えたら寂しいでしょう? お嬢様の優しさですよ」
ふざけた返答だが、譲る気はなさそうだ。
「それに、ここにわたしを置いていくということは、必ず戻るという意思表示でもありますから」
「そもそも何をしに行ったんだ。逃げてきた場所に自分から戻ったりして」
昨夜の会話では要領を得なかった。脳内のスペースを割かれるのが鬱陶しい。自分の定めた終わりの儀式を直前で台無しにされるかもしれない恐怖。
「ネタばらしをしたら身構えてしまうでしょう? 不安で眠れない夜を過ごすといいです」
ささらは紘人の内心を見透かしたかのように不敵に笑う。
「毎朝起こしに来る奴がいなくなって昨夜は快眠だったよ」
「死人みたいな面でよく言うわ」
彼女が突っ込みたがるのも無理はない。紘人の顔色からは、死相と呼んでもいいくらい生気が抜け落ちていた。
「はっきり言いますけど、あなたが浸ってる終わりの美学? みたいなのめちゃくちゃ格好悪いですからね? 相手してあげてるお嬢様が不憫でなりませんよ」
「…………だから、そう思うなら目を覚まさせてやれって前にも言ったぞ」
「目を覚ますのはお前の方。産まれてこられなかった命と、生きられなかった命がある。ならお前は歯を食いしばってでも生きろって。めそめそすんなや」
紘人は席を立ち、その場を後にした。言い返すだけ時間の無駄だ。未来の煩わしい予約やあかりの行動の意味など知ったことか。俺はするべきことを淡々とこなしていくだけだと思い定める。
もうすぐ会える。まやかしの熱ではなく、本物の彼女に。




