未完成のアルバム
「やっぱりデータは読み込めない、か」
あかりは持ち帰ったカメラに残っているデータを早速吸い出そうと試みる。だが、紘人が壊れていると断じただけあって、ケーブルを繋ぐだけでは当然反応はない。
レンズには罅が入っているし、あちこちに擦り傷があって損耗が激しい。確かにこれを遺品として抱えておくのはつらいかもしれない。
紘人は一応カメラ屋に修理に出したという。彼だって春乃の最期の写真に執着していたはずだ。ならば、相当厳しい戦いになる。
「どうしよう。もう時間がない……」
「何かお困りですか、お嬢様」
「音も気配もなく背後に立つのはやめろと言ったはずよ」
呼びかけられてようやくささらがいることに気づいた。集中していた、というわけではなく、彼女はワープでもしてきたかのようにいつも突然現れる。
「それは、春乃さんのカメラですか?」
「あなた……知っているの?」
「お嬢様が懐いている男がどんなクソ野郎なのか、徹底的に調べ上げましたからね。最初から知っていましたよ」
自分が踏み込めずにやきもきしてた時間を返してほしいとあかりは思う。
「だったらなんとなくわかるでしょ? 彼、ここを閉じると同時に……自分も」
「それでなんとかしたくて元嫁に泣きついて助けてもらおうってわけですか」
「私だって、春乃さんの力じゃなくて、自分でなんとかしたいわよ」
壊れたカメラを握ってみる。敵わないのはわかっているから、共同戦線を張るしかないのだ。
「でしたら、お嬢様にしかできない方法がありますね」
「…………うん」
その選択肢は、ささらに言われずとも頭にあった。
自分にしかできない大仕事。いや、それでも可能かどうかわからない。そして仮に上手くいったとしても、そこに宝が眠っている保証はない。
「お爺さまの、來宮本社の力を使えば……なんとか出来るかもしれない」
できすぎた巡り合わせだと自分でも思う。乙女な思考回路が暴走する。
自分は春乃の写真に惹かれ三倉にきた。その地図の示す場所で彼と出会った。これはただの偶然じゃなく、そうなる運命だったに違いない。
私ならまだ、希望を繋げる。
「でも、頭を下げた程度でお館様は力を貸してはくれませんよ」
「そんなのわかってる。首を差しださなければ、納得してくれないでしょうね」
このか細い糸を紡いでいくには、ようやく手にした自由も、自分の心も捨てなくてはならない。
それでも。
「ひろくんが、生きていてくれるなら」
「あかりちゃん」
ささらが肩を組んできて、頬をぎゅっと寄せてくる。
「どんな道を選んでも後悔しないように。わたしは隣にいてあげるからさ」
「うん、ごめんね……」
最近涙もろくていやだ。
どんなにきついお稽古も音をあげたりしなかったのに。母親が死んだときでさえ、涙は涸れていたのに。
「あ、りがと。ささら」
泣いてる場合じゃない、行動しなければ。
すぐにでも覚悟を決めろ。もうすぐいなくなってしまう愛する人の、そばから離れる覚悟を。
◇◇◇
「いきなりこんなの渡されちゃって。どう扱っていいのかしらね」
ゆきは紘人にもらったアルバムを迷いなくあかりにも見せてくれた。春乃の部屋に飾ってあった写真達が若いページに並んでいる。
「懐かしみたいけど、本人ほとんど映ってないの。いっつも撮る側だったからね」
春乃のアルバムと銘打ちながら、やはり中身の殆どは風景写真で、それも大半が三倉のものだ。
「あの、仏壇の写真……見たの。撮られ慣れてない感じがすごくした」
「ふふ、あれ、面白いでしょう? いつも通りにしていればいいのに、無駄に力んじゃって」
でも、上手くいかなかった写真も愛おしいのだ。家族にとっては。
「仏壇を見たなら、けいちゃんのことも聞いたのね」
「……うん」
アルバムはちょうど夜の森に場面を移した。そこにヒメボタルの姿はなかったが、差し込む月光が樹皮を照らす様子が美しく捉えられている。
「夏に生まれるからって、名前も決めていたの。蛍の字を入れるんだって紘人さんが言ってくれたときは、嬉しくて泣いちゃったわよ」
あかりは、アルバムに添えられたゆきの手にそっと自分の手を重ねる。
「……ありがとう。あなたが居てくれて本当によかったわ。一人で向き合うのは、とても苦しかったから」
孫を亡くし、娘を亡くし、そしてその夫までいなくなってしまうかもしれない。あかりのいない蛍火は二人きりで、粛々と最後の営業日まで時を刻んでいたはずだ。
「そう言ってくれて嬉しい。私もね、あなたのことが大好き。だから共有したいの、痛みも苦しみも一緒に」
ぎゅっと指を絡めるように繋ぐと、ゆきがあかりに微笑みかける。
「ふふ、ここに来て娘が一人増えた気分」
「支倉あかり……悪くないわね」
今までの自分と決別できるなら、そう名乗ってみるのも一興だ。
「あら、八島じゃなくていいの?」
あかりの顔は途端に真っ赤になる。母親に好きな相手がバレているのはこそばゆい。誤魔化すようにアルバムのページを手繰る。
捲るごとに過去に潜っていくような構成になっている。
お腹に新たな命を授かり、この場所が最も幸せに溢れていた頃の写真。
「……うわぁ、あの人、こんな顔するのね」
上からのアングルで紘人を映していた。春乃の膨らみはじめたお腹に頬ずりしている姿を彼女自身が撮影している。
早く会いたくてたまらないのだろう。彼の表情は見たことないくらい蕩けきっていた。
「ひろくんもちゃんと感情を持ち合わせていたのね。イヤミと意地悪しか取り柄がないと思っていたわ」
「どうかしら。あの子と一緒にいた時間だけが、特別だったんじゃないかな」
「ん……? どういうこと?」
「三倉に来たばかりの頃はあの人、空っぽだったから」
ゆきはそう言ってさらにページを進める。時折被写体として現れる紘人がどんどん若返っていく。
あかりは前傾になり写真を覗き込む。確かに昔へ進むほど、紘人の表情のぎこちなさが目立つようになる。
「はるちゃんが拾ってきたときの紘人さんの目は、今でも覚えてる。星のない夜空みたいに真っ黒だった」
ゆきは語り出す。仲良くなった後に紘人から聞いた彼の生い立ちを。
小児ぜんそくを持つ弟の看病が彼の人生だったという。
母と交代で見張り番をするように、発作に備えていつでも吸入器で対応できるようにしていた。
青春も自分の時間もなげうって、18歳までそれを続けていたらしい。
「入院とかさせてあげられなかったのかな?」
「なるべく普通に育てたいって親御さんの意思だったんですって。だから特別支援級とかも行かずにいた。実際調子の良い日は弟さんも学校に行けてたみたい」
ヤングケアラーという言葉があかりの脳裏をよぎる。
「でも、そういう綱渡りみたいな日常って、本当に些細なことで崩れちゃうじゃない? 季節の変わり目だったのか、ちょっと風邪を引いたのが引き金になったのか……」
ゆきは少しだけ声を落とし、痛ましそうに目を伏せた。
「結局弟さんは亡くなっちゃったらしいんだけど。そのときのお母さんの悲しみようがすごかったみたい」
まるで世界のすべてを喪ったように母から生気がなくなっていく。もう一人、息子がここにいるのに。もういない弟のことばかり嘆く日々。
「子を亡くした母としては気持ちはわかる。けど、だからってお兄ちゃんをないがしろにしちゃいけないよね」
行き場を失った母の愛情の矛先が、紘人に向かうならまだ救いようがあったかもしれない。
「自由にはなった紘人さんだけど、今度は時間をどう使って良いかわからなくなったみたい。それで大学の夏休みで全国を回ってたんですって」
そして三倉に辿り着き、春乃と出会った。
つくづく思う。出会いは人をこんなにも変えるのに、偶然の連続でしかない。
「そこからひろくんは変わっていったのね」
「そう見えた。長期休暇のたびに蛍火に来るようになって、今のあなたみたいにお手伝いをしてくれるようになって」
ゆきが語ってくれる情景だけでも、かつての彼らの幸せが胸に染みこんでくるようだった。
この素晴らしい思い出だけを抱えて、生きてはいけないのだろうか。最初から何も持たない人と、幸福を手にして喪った人。辛いのはどちらなのか。
「ゆきさん」
「ん?」
「私、まだ諦めてないからね」
あかりは、夜の蛍火外観を映した写真を指さした。煌々と窓明かりが漏れ出ていて情緒を感じさせる一枚。
「形は変わっちゃっても、それでも、ここを守りたい」
「…………うん」
今度はゆきの方から、きゅっと手を握ってくる。
これ以上誰も、哀しんで欲しくなかった。




