死なせてあげない
翌日から始まったあかりのかいがいしいお世話は、紘人の居心地を実に悪くした。
部屋に入ることを禁じていた今までと違い、毎朝起床時間に呼びかけにやってくる。
「起きなさい。まだ生きてるんでしょう? 仕事の時間よ」
紘人は慢性的に眠りが浅い。だからアラームはかけていても、定刻より大分前に起きてしまう習慣がついている。
わざわざ起こしに来る必要などない。
「…………」
無視して死んだふりをしていると、わざわざ左胸に触れたり手首を掴んだりしてくるのだからたまらない。
「ん、今日も生きてた。よしよし」
生存を確認するとカーテンを開き陽を取り込む。
「この前はゆっくりしろと言ったり、今は働けと言ったり……」
「ゆっくりするなら能動的にしなさい。部屋に籠もっていても腐ってしまうわ」
夏休みに外に遊びに行けと叱る母親のようだった。
「……ちっ」
不服ながらも行動開始のスイッチを入れる。元より起きるつもりだったのに、起きろと強制されたために気分が悪い。
「おはよう、ひろくん」
「…………はよ」
朝の挨拶一つで、何故この子はこんなに嬉しそうなのか。
ベッドから立ち上がると、すかさず彼女は紘人の寝ていたシーツや布団を整え始める。
「あのさ、しなくていい。そういうの」
急に距離が縮まってしまったと紘人は嘆息する。遠ざけるために過去を開陳したのにこれでは逆効果――――なのは最初からだった。忘れていた。この子は厳しくするほど悦びに震える性癖だった。
「いきなりお客様のベッドメイクはできないから、あなたので練習しているのよ」
どうやら本気で蛍火を継ぐ、つもりらしい。
屋敷はどうするのかと問うても意味はないだろう。ゆきも、ささらも、自分も。誰も彼女の意思を貫き通せると思っちゃいないはずだ。なのに本人だけがやる気に満ち溢れ、アピールし続けている。
「くしゃくしゃにするなあ。ひろくんって、寝相悪い人?」
自分で自分の眠る姿は知り得ないが、良い方だと聞いているのだが。死んだように眠るとかつて評されたほどなのに。
「はじめに言ったろ、色んなお客様がいるって。文句つけるくらいならやめちまいな」
「文句じゃないわ。どうやったら安眠できるか考えていたのよ」
「鬱陶しい同居人が起こしに来なければ安眠できるかも」
「なら明日からは耳元で子守歌でも歌ってあげようかしら」
紘人のイヤミは“起こしに来なければ”にかかっていたのではないのだが。
「いいね、灰になる瞬間にレクイエムでも歌って――――んご」
あかりの人差し指が、紘人の言葉を遮った。開かれた唇に無理矢理押しつける荒技。
「だめよ。朝から暗いの禁止」
とまあこのように、一人にしてくれないのだ。
一人にならなければ、思い出と対話できない。
朝の光が部屋に差し込む。
また今日が、幕を開けてしまった。
◇◇◇
「ああなってしまっては、わたしではどうすることも出来ませんね」
掃除の最中にわざわざささらの下を訪れ、あかりがどういうつもりなのかを問いただす。
「この旅を始めた時点で、自分の人生に疑問を抱いていましたし。迷い迷った果てに、運命の出会いを感じてしまえばもう、その道しか見えなくなっちゃいますよ」
あかりにとって、あの夜が分岐点だった。
差し伸べられた手を掴んだせいで、歯車が狂ってしまった。
「ならばもう、止めるのは野暮というもの。わたしは、行く末を見守ることにしました」
「君は俺たちの前に現れたとき、随分俺を警戒していたように見えたが」
紘人には半ば確信がある。
ささらは自分の過去を調べた上で接触してきたのだと。町の噂好きに聞けば、紘人がどういう成り行きで蛍火にいるのか教えてくれるだろう。
「あなたの評判は最悪でしたからね」
自分が恨まれているのは知っている。
春乃はこの町で生まれ育ち、愛されていた。観光資源の星空を一躍有名にして町を潤わせた功績も大きく、彼女を嫌う者など存在しなかった。
それを余所から来た男がいきなり、奪った。
だから未だに町の若い衆や蛍火の常連から、紘人は疎まれているのだ。悪口ならそこかしこに飛び散っているはずだ、ささらもそれを耳にしたに違いない。
「ただまあ、危害をくわえるつもりがないのはもう、わかっていますから。後は当人同士の問題です。こんなのに惚れてしまったお嬢様の見る目が悪いせいなので」
「だから、こんなののために人生捨てることないだろって話だ。なんとか説得できはしないか」
「ですから、無理。あなたが突き放したのに向かってくるんですよ? 他人の言葉なんか聞きやしませんって」
ささらは眉間に皺を寄せ不快感をあらわにしている。
「おかげでわたしの人生設計も台無しですよ。お嬢様つきの秘書として來宮で出世しようと画策していたのに」
恨みがましい視線を紘人に向けてくる。
「本当に逃げおおせると思うか? このまま過去の鎖を断ち切って、ペンションの従業員として生きていけると」
「無理でしょうね、追っ手は必ず来るので。逃げるのは無理ですけど……戦うなら。お嬢様が意思を示し、お館様と対立すれば、勘当くらいで済むかもしれませんね」
「どうすればあの子を巻き込まずにいられるのか。
今はいい、感情が先行しているから。麻痺していられる。自分の恋心が一番大事で、それを守れる選択肢を探しているのだ。
だがいずれ、間違いだったと気づく時がくる。あかりは持つ者だ。それ故に身軽にはなれない。恵まれているために捨て身にはなれない。立場が、才能が、重荷になる。
未来と恋心を天秤にかけたとき、こちらに傾くことはないのだ。
「しかし、本当に嫌そうですね。あれほど可憐な若い女の子に迫られたら、少しくらいは靡きそうなものですが」
「十年前に出会っていたら、きっと一目惚れしてただろうよ」
「今の、あかりちゃんに言ってあげなよ」
言うわけないだろ、馬鹿め。
「八島紘人、あの子を泣かせたらぶっ飛ばしますからね」
もう遅い。何度も泣かせてしまった。
だから、これ以上は涙を見たくない。
解決策は一つだけ浮かんでいる。
なるべく急いで彼女を解放してあげることだ。そのためには、予定を早めて、自分を閉じてしまえばいい。
そうすれば、涙を見ることも、あかりが人生を捧げることも、ないから。




