継ぐ者
吉崎夫妻を見送りに駐車場まで揃って出て行く。ゆきとあかりが見送りの言葉をかけている姿を紘人はやや距離を取って眺めていた。
あかりが、母に抱かれたるいに小指をピンと立てて差し出している。
「あ、かぁ」
それを包み込むように、るいの小さな手が握った。あかりは手首を何度か揺すり、約束事を交わす。
「るいくん、来年もまた会おうね」
言葉の意味を理解しているのだろうか? るいは満面の笑みを浮かべている。
「さ、るいくん。あかりお姉ちゃんにまたねって言おうか」
微笑ましい一幕なのに、紘人は目を背けようとする。
「ありがとうね、今年も世話になったよ」
失敗した。吉崎がわざわざ紘人の方までやって来て握手を求めてくる。
「いえ、大したお構いもできずすみません」
「今年は流星群は白眉だったな。これまで長いこと星を眺めて来たけれど、今年ほど多くはっきり見つけられたのは記憶にない」
「ええ、やはりベースが暗いと映えますからね。俺も三倉に来て過去一の条件でした」
「あかりちゃんやささらちゃんがるいの相手をしてくれてたから、妻もリフレッシュできたみたいだ。感謝するよ」
「未熟なスタッフ達ですが、ご満足いただけたならよかったです」
「未熟と言えば」
吉崎は、何かを思い出したのかくすりと笑んだ。
どうかしたのかと窺う紘人に、すまないと手で制して。
「……春乃さんが初めて接客してくれたとき、お茶、ぶっかけられたなあって」
「ああ」
彼女が蛍火を継ぐために働き始めたばかりの頃。
吉崎夫妻に振る舞いの茶を出す際に、盛大にずっこけてしまったのが運の尽き。そのまま熱いお茶が吉崎の服にかかってしまったのだ。
幸いにも笑って流してくれたけれど、心臓がぎゅっと縮むような出来事だった。
「その節はすみませんでした。あいつの指は、シャッターを切るためにだけに進化していましたから。お盆を持つようには出来ていなかった」
「あれだけ繊細な感性と着眼点で夜空を切り取る人が、どんくさいだなんて。人には向き不向きがあるね」
かくいう彼も、春乃の写真に惹かれて三倉に来た一人だ。代表作以外にも、四季を通じて星座を捕まえる春乃の腕は界隈で評判だった。
「春乃に比べたら、よく出来た子たちですよ」
春乃は、あかりとは違う意味での世間知らずだった。
自分の興味あるものとないもので接し方が決定的に違っていた。カメラや被写体のこととなると信じられないくらい集中力を発揮するが、日常生活能力は大きく欠落していた。宿屋の娘であるのに。
呆れることも多かったけど、それでも春乃は常連たち皆に愛されていた。
「あの二人が来たからかな、君も少しだけ明るくなったね」
「そうですか? 実感ないですけどね」
「そう見えるよ。去年より、一昨年より。時間が解決、なんてことはないけどさ。少しずつ顔を上げてみれば、星は輝いているからね」
吉崎は、どうして春乃が亡くなったのかまでは知らない。
だが多くの常連が紘人を見放した中で、春乃の話題を避ける中で、こうして普通に話してくれるのはありがたかった。
自分とゆきだけではなかった。沢山の繋がりの中に、未だ彼女が息づいている。
「それじゃあ行くよ。またな、紘人くん」
「夜更かしした後ですので。運転はお気をつけて」
吉崎は手を振って車へと向かう。
あかりは抱っこしたるいを母へ返し、別れを惜しんでいた。
車が去り、祭りが終わり、日常が帰ってくる。
「……さよなら」
紘人はテールランプに向けてそっと吐き出す。
春乃の命日まで一月ほどだ。
それまでに支度を終えなければならない。
もう時間がない。
◇◇◇
「決めました」
星華祭を二日間やりきって、ようやくチェックアウトを済ませた直後に、あかりは全員をリビングに呼び出した。
蛍火は本日、休みとなる。
この日は宿泊予約を受け付けていなかった。スタッフはみな、祭りの疲労が色濃い中であかりは眉をきりりと引き締め高らかに宣言する。
「私、学校を卒業したら蛍火で働くことにしたの!」
自信満々に、どうだと言わんばかりに、紘人の方を向いて台詞を放ったのに。彼はあくびをして「冗談もほどほどにしろ」という顔をした。
「本気だから。ゆきさんともちゃんと話したのよ」
紘人はゆきに目配せするも、うんと頷いた。正気かよとは思ったが、どうせあかりの実家が連れ戻しに来るからせめて夢を見させてやろうという配慮なのかも。
次いでささらを窺う。
こちらも話は通してあったのか、表情に変化は見られない。つまらなそうに自分の爪の伸び具合を気にしていた。
「あのさ、もう閉めるんだってここ。言っただろ」
「ひろくんが続けていけなくても、私とゆきさんで蛍火を守る。あなたも働きづめで疲れたでしょう? 少し休んで、のんびり旅行にでも行ってきたらいいわ」
どこから突っ込んでいいのかわからなくなり、紘人は相手するだけ無駄だと結論づける。それよりも、この二日間の疲労が身体と脳を重くしている。早く横になりたかった。
「そか。じゃあとりあえず今日は任せたから、守っといてくださいな」
こちとらお客を深夜の天体ショーに連れてったせいで眠くてたまらないのだ。大きなあくびをかみ殺す。
「無理は禁物だから。身体も、心も、休息が必要なのよ」
その場を辞そうとした紘人は引っかかりを感じ、一度だけあかりの方を振り返る。
「たくさん眠って、すっきりして、お風呂にでも入ってさ。そうしたら、ふと美味しいものが食べたくなるかもしれないわ」
「とりあえず寝るから。ゆきさん、今日はフリーでいいですよね」
相当疲れているようだ。おかあさんと呼ぶのも忘れている。
「美味しいもの食べたら、食べ過ぎちゃって、動けなくなって。また眠って、次の日はちょっと元気になったりするの。少しだけ自分に優しくしてあげるの。そんな自分を、赦してあげてほしい」
「……おやすみ」
向けられる言葉すべて、自分を立ち直らせるための優しさなのはわかっている。
けど紘人の痛みは紘人だけの物だ。そして結論は下した、もう揺るがない。
眩しさに目を背ける。自分は、泥のような闇の中に包まっていたい。
疲れ切ったときの睡眠は、余計な夢を見なくていいから、好きだ。




