22
気持ちの良い風が吹く昼下がり、シャノンは学校の中庭にあるベンチに座ってぼんやりと空を眺めていた。
―――さて、どうしたものかな⋯⋯。
薄水色の空に浮かぶ白い雲がゆっくりと流れるのを見守るも、いい考えなどはさっぱり浮かばない。
膝に抱えている包みに目を落とし、ふうっと短いため息をつきながらシャノンはゆっくりと包みの結び目をほどいた。
中身は今朝作ったケークサレ。
アレックのマフィンを作った残りの材料で作ったもので、塩味のある生地にジャガイモやベーコン、玉ねぎブロッコリー、そしてたっぷりのチーズを加えて焼き上げた。
アレック用に掻き集めた超高級食材を使って作ったものだからめちゃくちゃ美味しそうに出来上がったとシャノンは満足している。
マフィンはアレックの為だけに作らないとうるさそうだったので、同じ材料でできるケークサレをフローラと一緒に食べる昼食用に作ってきたのだ。
包を開けると香ばしいチーズとベーコンの薫りが漂い、美味しく作れたであろう事を確信する。
「フローラはまだかな⋯」
シャノンが昼食を用意したお礼だといってフローラは飲み物を買いに行った。
シャノンはじゃあ、とお言葉に甘えて甘いカフェラテをお願いしたけれど、お昼時のカフェは混んでいるから少し時間がかかっているのだろう。
シャノンはくぅ〜とお腹を鳴らしながらさっきの悩み事を再考する。
正直“約束”を取り付けた事で婚約解消は楽勝だと思っていた。
遊び人が“約束”なんて守れる訳がない、女の子にアプローチされたらすぐに靡くと思っていたからだ。
現にシャノンの父は母に浮気を激しく責め立てられた時、もう二度としないからと許しを乞いながら、その舌の根が乾かぬうちに新しい女の人と深い関係になっていた。
何度も母との“約束”を破り続ける父をシャノンは心底疑問に思い父に聞いたことがある。
―――なぜお父様は一人の人を愛し続ける事ができないのですか?
その問いかけに父は不思議そうな顔をした。
「シャノン、何を言っているんだ?私は妻をずっと愛し続けているよ?他の女性を愛したとしても妻への愛はなくならない」
その的外れな答えにシャノンは子供ながら苛ついた。
「そうではなくて、なぜ一人のひとだけを愛し続ける事ができないのですか?」
言い換えた問いに父はやれやれと言わんばかりに軽く笑った。
「シャノン、お前はまだ小さいからよく分からないだろうけれど、男という生き物はより多くの子孫を残すという本能があるんだ。だから沢山の愛を持っていて、その愛を沢山の女性に捧げるのは自然の摂理なんだよ」
優しく諭すような口調でそう言う父がまるで知らない人のようで心底気持ち悪いとシャノンは思った。
父への敬愛は失ってしまったけれど、それと引き換えに大切な事を学んだのだと自分に言い聞かせた。
だから自信があった。アレックほどの遊び人ならすぐ本能のままに行動するはずだと。
けれど、アレックが思ったより理性があるのか、父ほど軽率で愚かな人間ではなかったのか、何にせよ今の状況は完全に予想外である。
作戦がバレた以上、新たな作戦を練らなければ、このままではアレックと結婚する羽目になってしまうと、シャノンは空を仰ぎ目を閉じて良い方法はないかと頭を巡らせた。
シャノンが眉間にシワを寄せたしょっぱい顔をしていると背後から「あの⋯」と声がした。
完全に油断していたシャノンは口から心臓が飛び出るほどびっくりして後ろを振り返る。
そこには美しく可憐な令嬢が立っていた。
艷やかなベージュ色のロングヘアに透き通るような白い肌。キリリとした大きな瞳にピンクの瑞々しい唇。
同性でありながら見惚れてしまうほどの容姿を持つこの令嬢をシャノンは知っていた。
「⋯⋯貴女がシャノン・カスタラント⋯さん?」
鈴の音のような可愛らしい声でシャノンの名を呼ぶ。
「⋯⋯はい。そうです」
そう答えると彼女は少し驚いたように目をぱちくりとさせ、シャノンを上から下までまじまじと見つめた。
シャノンはその視線に気まずさを覚える
なぜなら彼女はアレックと親しい関係だったクラリッサ・リットン侯爵令嬢だから。
「いきなり声をかけてしまってごめんなさい。あの、私は⋯⋯」
「存じ上げております。クラリッサ様」
美しい彼女を知らない人間なんてこの学校にはいない。
アレックは色々な令嬢と浮名を流していたけれどクラリッサが本命なのでは?と噂になった時、二人のその美貌が釣り合いすぎて美男美女の理想のカップルだと注目を浴びていた。
「知ってくれているのね。⋯⋯それはアレック様に関係する事も?」
「はい。お二人は有名でしたので⋯⋯」
アレックと親密な仲だった彼女が私に何の用だろうとシャノンは身構える。
「自分の婚約者と噂のあった令嬢がいきなり何の用かと思うわよね。不快にさせてごめんなさい。でも、言い訳ではないのだけれど、私はアレック様とお付き合いをしていたわけではないのよ」
申し訳なさそうに謝るクラリッサを見て今までの令嬢達とは違っていい人そうかもとシャノンは思った。
「⋯⋯ええ、知っています。その⋯、アレック様は誰とも正式にお付き合いはしないって有名でしたから」
「ああ、そうね。確かに有名な話だったわよね」
クラリッサがクスっと鈴を転がしたように笑う。
「だからその通りなの。アレック様は誰ともお付き合いはしていないわ。私も含めて誰一人としてアレック様の特別にはなれなかったの。何故だか分かる?」
クラリッサからの質問にシャノンは答えるべきかどうか迷う。
何故ならその質問の答えは自分に結びつくかもしれないと分かっているけれど、それが真実ではないと知っているから。
微妙な表情を浮かべ言葉に詰まるシャノンを見てクラリッサは言葉を続けた。
「彼には昔からずっと想っている人がいるそうよ。だから、付き合う事はできないって、そう言われたわ」
「⋯⋯そうなんですか」
その話はアレックが女性と遊びでお付き合いする為の作りです、と言うわけにもいかないシャノンは気不味そうに答える。
「あら?この話も知っていたの?」
「ええ、まあ⋯⋯」
「その“想い人”が貴女だって事も?」
「⋯⋯⋯⋯」
そこは認める気になれないシャノンはどう答えていいのか分からず言葉に詰まる。
そんな様子のシャノンを見てクラリッサが不思議そうに首を傾げた。
「私ね、アレック様が婚約されたと聞いてようやく長年の想いが叶ったんだと嬉しかったの。だけど、周りのご令嬢から変な噂を聞いて⋯⋯」
「噂、ですか」
「ええ。なんでも、この婚約はアレック様がたまたま選んだ相手でタイミングが合えば誰でも良かった。だからそのうち婚約も解消されるかもしれないって」
「⋯⋯⋯⋯」
クラリッサは腹立たしげに少し頬を膨らませて話を続ける。
「どこから出た噂か分からないけれど、誰でも良かったなんてとんでもないわ。沢山の女性に言い寄られてもアレック様の想いは一途で揺らぐ事はなかったもの。本当よ?」
「そうなんですか⋯⋯」
噂に腹を立て、シャノンを気遣うクラリッサにシャノンはいたたまれなくなる。
「私はね、もしその噂を婚約者である貴女が聞いて心を痛めているのであれば誤解を解いて安心させてあげたかったの⋯⋯だけど⋯⋯」
そう言うとクラリッサはシャノンを訝しげに見つめた。
「どうしてかしら、私の話を聞いても貴女はちっとも嬉しそうじゃない。むしろ困っているように見えるのだけれど⋯⋯」
それはどうして?と口には出さないものの、首を傾げてこちらをじっと見つめるクラリッサのあまりの美しさにシャノンは固まる。
こんなにも美しい人を差し置いて自分がアレックの本命だなんて、ますます信じられない。
クラリッサはこれまでの令嬢達とは違い、シャノンの為にと善意で話しかけてくれたのが分かるので、シャノンは嘘や誤魔化しで応えては駄目だと思った。
「クラリッサ様⋯⋯実はその噂話の出所は私です。私がご令嬢達に話しました」
「えっ?貴女自身が?」
クラリッサは驚いた表情でシャノンを見た。
「⋯⋯アレック様は貴女にご自分の気持を伝えなかったのかしら?」
「いえ、そういう訳では⋯⋯」
「ならどうしてそんな話を?彼は本当に一途に貴女の事を―――」
「―――っ、本当に一途な人は、クラリッサ様をはじめ、あんなに沢山の女性と親密な関係にならいと思います」
もうその話を聞きたくないとでも言わんばかりにシャノンはクラリッサの言葉を遮る。
「正直、信じられないのです」
「アレック様の事を?」
「はい。昔からずっと私の事が好きだったって、無理があると思いませんか?」
「そうかしら?」
「女性関係派手すぎる人が言う言葉ではないと⋯」
「そうかしら?」
「⋯⋯⋯」
共感してくれないクラリッサにシャノンは続ける言葉を失う。
そんなシャノンを見てクラリッサはクスリと笑った。
「ごめんなさい。シャノンさんの言うことは間違ってはいないかもしれないわ。昔の私ならその通りだと言っていたと思う」
「え?」
昔の私とはどういう意味だろうとシャノンはクラリッサを不思議そうに見る。
「でもアレック様と出会ってそういう価値観が少し変わってしまったの。心に決めた人がいて好きだからって、一生その人を見続けられるかなんて誰にも分からないことでしょ?」
少し遠くを見つめながら話すクラリッサの横顔は儚げで美しくて、なぜだか少し悲しそうに見えた。
「他の人を知らないのになぜその人が自分の唯一無二だと思えるのか、他の人を知りたくなった時自分の欲求に抗えるのか、将来後悔しないと言い切れるのか、そんなこと神様でも分からないわ。そう思わない?」
クラリッサの問いかけにシャノンは母の言葉が脳裏によぎった。
「――それは⋯⋯でも⋯」
否定も肯定も出来ないシャノンにクラリッサは言葉を続ける。
「シャノンさんは幸せなのね」
そう、ポツリとクラリッサがつぶやいた言葉はシャノンには聞き取れなかった。
「⋯え?」
「私ね、この学校を卒業したらすぐに結婚する事が決まっているの。相手は⋯会ったことがないけれど、七つ年上の方らしいわ。親の決めた結婚をすることに異論はないの。侯爵家の次女として生まれたからには家の利益になる結婚をするのは当たり前だもの」
でもね、とクラリッサがため息混じりに続ける。
「私はこのまま恋やときめきなんてものを知らずに結婚するんだと思ったら人生がとてもつまらなく感じてしまったの」
クラリッサに結婚が決まった相手がいるとは知らなかったシャノンは少し驚きながらも、クラリッサの話しに相槌を打つ。
「だからって結婚までの間だけの都合のいい相手なんて見つかる訳ないじゃない?ときめくなら素敵な男性じゃないと無理だし、身分が釣り合わないと執着されそうで怖いし、期間限定なのに本気になってしまったりしたら最悪だし⋯⋯」
クラリッサの話を聞きながら確かに、そんな都合良く条件に当てはまる人なんてそうそういなさそうだなと考えていると、不意にシャノンの頭の中にある人物の顔が浮かんだ。
「もう人生詰んだわと諦めかけたのだけれど、その奇跡的な条件を満たす“都合のいい相手”がいたの」
誰だと思う?とでもいうようにクラリッサが意味ありげに微笑みかけてくるけれどそれが誰なのか聞くまでもない。
「⋯⋯なるほど。確かに条件にぴったりの人がいましたね」
「うふふ、そうなの。アレック様のことは噂で聞いていて、この人しかいないって思ったわ」
「ほんとうに⋯」
「私ね、アレック様には感謝しかないの。アレック様がくださった素晴らしい経験と思い出のおかげで私は思い残すことなく結婚することができるわ」
アレックとの日々を思い出しているのか、幸せそうに語るクラリッサを見てシャノンは自分の胸がざわざわとするのを感じた。
「⋯⋯⋯⋯?」
なぜこんな気持ちになるのか分からないシャノンは戸惑い、思わず顔を伏せた。
そんなシャノンのを見てクラリッサは慌てたように「ごめんなさい」と謝る。
「婚約者である貴女にこんな失礼な話をしたのは、マウントをとりたい訳じゃなくて貴女に分かってほしかったの」
「え?」
シャノンは顔を上げクラリッサを見た。
「アレック様は遊び人だと言われているけれど、誰彼構わず深い仲にはならないわ。アレック様が受け入れるのは私みたいな貴族令嬢だけなのよ」
「――⋯⋯それはどういう?」
クラリッサのような貴族令嬢とはどういう意味なのか分からずシャノンは眉をひそめる。
「アレック様と噂のあったソニアさんは父親ほど年の離れた辺境伯爵の後妻として嫁ぐことが決まっているし、ブリタニーさんは卒業後すぐ隣国の侯爵子息と結婚することになっているわ。つまりね、アレック様が受け入れてくださるのは私みたいに恋も知らず結婚することが決まっている貴族令嬢だけなの」
「⋯でも、他にも噂になった方もいました」
その二人だけではなく、アレックは来るもの拒まずという感じで沢山の令嬢と親しくしていたのを見てきたシャノンはクラリッサの話は矛盾していると訴えた。
「確かに、アレック様は優しいから言い寄ってくる令嬢達を無下にはしないので色々な方と噂になったけれど、ほとんどはお茶だけとかお食事だけという軽い関係しか持ってないのよ。アレック様が目立つから、派手に遊んでいるかのように見えていただけなの」
「⋯⋯⋯⋯」
「貴女はアレック様を“遊び人”だと思っているのかもしれないけれど、私達からしてみればそれは正しくない表現だわ。私達は遊ばれてなどいないし、むしろアレック様を都合よく扱ったのは私達の方だもの」
クラリッサが「私達」と言っているのはアレックと深い仲になった令嬢は皆クラリッサと同じ気持ちだと言いたいのだろうか。
クラリッサが言ったことが本当なら、アレックは父親のような節操のない遊び人とは違うのかもしれない。
――だけど、だからといって⋯⋯⋯⋯。




