第96話
長い、夢を見ていた気がする。無機質な電子音が耳元で響いていた。重い瞼の先には確かに光を感じる。
ああ、そうだ。私は千翔に背負われて、合崎と共に帝国に辿り着いたのだ。けれども、その後のことは何も覚えていない。
とりあえず、思考回路が生きていることに安心する。夢を見ることもできたし、記憶は飛んでいないようだ。
酸素マスクでもつけられているのか、僅かな閉塞感があった。少しずつ、感覚が目覚めていく。
不意に頬に触れる温もりを感じ、睫毛が震えた。とても安心する優しい手だった。その手の持ち主が知りたくて、私はゆっくりと重い瞼を開ける。白い光に少しだけ目が痛んだ。
「――――……憐?」
眩んだ視界の中に、白いシャツ姿の柊の姿が映る。いつもよりラフな印象だ。数秒して、ようやく彼に焦点が合った。いつも表情の読めない彼が、私を見つめて茫然としている。
「っ憐!!」
その声と共に、ぎゅっと柊に抱きしめられる。目覚めて早々驚いた。いつも冷静沈着な柊が、感情的に行動を起こすなんて。その原因が自分だと思うと少々気恥ずかしいが、今は彼にもう一度出会えたことが嬉しかった。
私も抱きしめ返したかったが、手が上手く上がらない。それに気づいた柊は小さく笑って私の手を握り返した。
「……良かった、憐。目を覚ましてくれたね」
柊には多大な心配をかけてしまったのだろう。申し訳なさが込み上げ、言葉を紡ごうとするも酸素マスクが邪魔で話せない。
「今は、何も言わなくていいよ。もう、大丈夫だから」
柊の背後には、いくつもの医療器具が並んでいた。真っ白な部屋は普通病棟の病室よりもずっと広そうだ。集中治療室か、特別病棟にいるのかもしれない。
「よく頑張ったね、憐」
いつになく優し気な柊の笑顔を見ると、思わず私も微笑んでしまう。
ああ、私は帰って来たのだ。
言いようのない安心感が広がっていく。触れた柊の手は、ひたすらに温かかった。
それからほどなくして、白衣の医師団が駆け付けた。その中には塔長もいた。
酸素マスクを外され、ベッドに横になったまま様々な検査を受ける。白衣姿の人間や看護師に囲まれるのは「実験」の日々を思い起こさせるので好きではないが、すぐ傍に柊がいてくれるおかげで怖くはなかった。
柊曰く、合崎や千翔も十分な治療を受け、今は療養しているらしい。早く会いたいとは思ったが、まずは私がある程度動けるようにならなければ余計な心配をかけるだけだと思い直し、数日はじっとしていることにした。
「それにしても、一条の精神力には驚かされるよ」
柊とは反対側のベッドサイドを陣取って、塔長は笑う。彼女に褒められることは滅多にない故に、素直に嬉しい言葉だった。
「よく耐えきったな……。なかなかできることじゃない」
塔長は今日も今日とて、洗練された空気を身に纏っていた。好ましいとは思えない白衣も、彼女が着ると不思議と嫌な印象は受けない。
「ありがとうございます」
まだ本調子ではないが、会話をする分には何ら支障のない程度の声は出せていた。全体的に、意識を失う前とは比較にならないほど回復している。
私はどうやら三日間もの間、眠り続けていたらしい。その間に塔長たちが投薬やら治療やらを必死に施してくれたおかげで目覚めることが出来たのだ。迷惑をかけっぱなしで申し訳ないが、今は感謝で一杯だった。
「でも、もう耐えなくていいよ。あんな状況には、もう二度と陥らせないから」
そう言って穏やかに笑う柊を塔長はどこか面白そうに見つめている。
「相変わらずの過保護っぷりだな。今度はどうする? 一条を『白』から出さないにでもするのか?」
「何言ってるんですか」
柊は小さく溜息をついて、さも当然だとばかりに告げる。
「第三の塔から出しませんよ」
「……最早、過保護を超えて犯罪臭を感じるのは私だけなのか?」
冗談交じりに笑ってはいるが、半分本気で受け取ったらしい塔長があからさまに引いてみせる。そんな二人のやり取りが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃないぞ、一条。柊は本気になると何をしでかすか分からないからな……」
「嫌だな、流石に冗談だよ、憐。こんな冗談の通じない大人にはならないようにしようね」
当然だ。本気だったら困るなんてレベルではない。
「ひどい言い草だな。……まあ、柊まで合崎のようなことをし始めたら、一条はまともに生きて行けそうにないもんな。……もしそうなったら私が保護してやるから安心しろ」
「それだけは、もう二度と御免ですね」
柊は穏やかな口調ながらも言葉に鋭さを滲ませて告げる。少し意味ありげな言い回しが気になってしまう。
「いいだろう。結果的に戻ってきたじゃないか」
くすくすと塔長は笑いながら私を見つめ、やがて柊に視線を送る。
「それとも……余計な付属品がついてきたのが気に食わないか?」
柊は、ほんの一瞬だけ激しい感情を乗せた瞳を見せた。殆ど睨むと言っていいかもしれない。
「――冗談じゃない。俺は今でも幸せだ」
強い意志の込められた柊の声に、塔長はただ微笑を浮かべた。柊の一人称が、「俺」なのは初めて聞いた気がする。また一つ、意外な一面を知ることが出来た。
「それで、一体何の話なんだ? さっきから私を置き去りにして……」
状況が上手く掴めずに、私は柊を見上げ尋ねた。彼は私を見つめると、ふっと優しげに笑って頭を撫でてくれる。
「何でもないよ。ごめん」
「教えてやればいいのに。そうすればきっと、何もかもお前の思い通りだぞ?」
塔長はにやりと笑って、柊をけしかける。本当に、この二人の間に何があったのか気になるところだ。
「……『これ以上』を望めば、きっと何かを壊してしまうでしょう」
「馬鹿だな。何も壊さずに前に進めるわけがないのに」
エリートたちの会話は、よくわからない。いや、塔長と柊という、「白」の中でもトップレベルに扱いづらい人物が会話しているせいもあるのかもしれないが。
そんなとき、病室のドアが人工知能の音声と共に開いた。軽く靴音を響かせて入室してきたその人物に、思わず息を呑む。柊さえも、意外そうな表情をしていた。
その人物は何の迷いもなくこちらへ足を運び、ごく自然な動作で塔長の傍らに立った。一気に病室の空気が引き締まったような感覚を覚え、私は病衣の乱れと姿勢を正し、その人物へと向き合った。




