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スノードームを殺してくれ  作者: 染井由乃
第2章 千を翔ける憐れみ

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第80話

 私たちは、薄暗い廊下の終わりまでやってきていた。合崎の話によると、この先は信者たちがうろついているようだ。黒い外套を纏っていたらしいので、シアンの手の者だろう。戦闘の心得のある信者たちだ。


 合崎は曲がり角の手前で歩みを止め、彼のすぐ後ろで控える私を振り返った。


「……まだ、この辺りは人が少ない。厄介なのは、このフロアを抜けた先なんだ」


 ここは、アザレアの言う通り、特別なフロアなのだろう。アザレアを守る意味でも、信者の中でも特定の人間しか出入りしていないはずだ。人が少ないのも頷けた。


「まあ、手っ取り早くいくか」


 合崎は曲がり角の先の明るく照らされた廊下を一瞥し、不敵な笑みを浮かべた。彼はいつだって、余裕に満ちている。


「ちょっと離れるが、大丈夫か?」


「問題ない」


 口では即答したものの、本当は立っているのも辛かった。ここ数日間殆ど何も口にしていない上、睡眠不足で今にも倒れそうな体で、命を絶つだけの薬を飲んだのだから無理もない話なのだが。


「強がりだな」


 合崎は苦笑いを浮かべて私の傍から離れると、黒い外套の裾を翻して曲がり角の先に躍り出た。不覚にも、その光景に目を奪われる。冷酷だと畏れられる支配者の目で、口元には余裕綽々の不敵な笑みを浮かべ、整った目鼻立ちを白い光の下に晒しながら、銀色のナイフを何のためらいもなく振りかざす。全ては一瞬のことなのに、信じられないほど長く鮮やかに私の目に焼き付いた。


 「空兄様」とは正反対の合崎の姿だというのに、どうしてこうも心動かされるのだろう。脈が早まっているのを感じる。認めるのは非常に不服だが、軍師を目指す身として、合崎への憧れの気持ちが一気に大きくなる。


 曲がり角の先で、どさりと何かが落ちる音とわずかな呻き声が聞こえたかと思えば、颯爽と合崎が戻ってきた。右手には、血の付着したナイフを、左手には、合崎が着用している物と同じ黒い外套を手にしている。ほんの十秒ほどのことだった。彼は手早くナイフをしまうと、私の肩にその外套を羽織らせる。確かに、この姿の方が目立たずに移動できそうだ。私にはサイズが少し大きかったが、贅沢は言っていられない。


「……殺したのか?」


 信者は人間ではないとはいえ、この外套を手にいれるためだけに合崎が命を殺めたのだとしたら、やはり胸が痛む。外套に袖を通しながらも訊かずにはいられなかった。


「どうだろうな」


 彼はにやりと笑いながら、私の外套のボタンに手を伸ばした。随分と甘やかしてくるものだ。


「……それくらい、自分でできる」


「そんな手でよく言えるな」


 合崎の手を避けようとするも、あえなく制される。多少の気恥ずかしさはあるが、おとなしく従っておくことにした。確かに私のこの傷では、合崎に手伝ってもらった方が効率が良いだろう。


 合崎の長い指は、あっという間にボタンを留め終えると、そのまま外套のフードを私に被せた。サイズが大きいので、思ったよりも視界が遮られてしまう。


「憐は小さいから、黒い布が動いているようにしか見えないな」


「失礼な奴だ。私は同年代の女子の平均身長よりは高いぞ」


 私は特別背が高いというわけではないが、小さいと罵られるほどではないと自覚している。そもそも、合崎の背が高すぎるのだ。人混みの中でもすぐに見つけられてしまうほどなのだから。


 ふと、フードの間から覗いた合崎の表情がいつになく優し気で戸惑ってしまう。今日の合崎はらしくない。一週間ぶりに会ったせいか、いつもより柔らかい気がする。


 合崎は、フードの上から軽く私の頭を撫でると、有無を言わさずに私の手を取った。傷に障らぬよう、そっと手を繋がれている辺り、気を使われているのだと感じる。その不器用な優しさが、終末を前にした私にはあまりにも温かすぎた。どれだけ腹立たしくとも、私は、この手だけは離せないらしい。


 





 特別フロアを抜けた先は、想像以上に広々としており、解放感があった。ホールのような場所にはソファーやテーブルが並べられ、信者たちの憩いの場となっているようだ。所々に「影」の忌まわしき紋章が掲げられていること以外は、帝国の施設と何ら変わりない光景だ。行き交う人々も、楽し気に世間話に花を咲かせている。思っていたよりも、「普通」だった。


 ホールの中心から、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。思わずそちらを見やれば、彼らの周りは見たこともない人工花のようなもので埋め尽くされていた。


「……合崎、あれは?」


 私は子供たちの方を指さして、合崎の背中に尋ねた。フードを目深に被った彼は、軽くフードを上げて私の指さした方向を目で辿る。


「……本物の、『植物』だったりしてな」


 冗談交じりに合崎は笑う。帝国には、外界由来の「植物」はない。全て、スノードームが出来てから人工的に造られたものばかりだ。人工花なんかが良い例だろう。


 もし、合崎の言う通り、あれが外界由来の本物の「植物」だとしたらとんでもなく危険で、そして貴重なものだ。それをこのように一般開放しているのだから、「影」の技術も侮れない。

 

「――こっちだ」


 不意に合崎に手を引かれ、つられてそのまま歩き出す。珍しい「植物」の存在に、少しだけ名残惜しさを感じていた。どうせ死んでしまうのなら、人工花と本物の花がどれだけ違うものなのか見てみたかった。

 

 だが、今はそんなことよりも遥かに大切な使命があるのだと言い聞かせる。合崎を、帝国へ返さなければならないのだから、のんびりしている暇はない。そうこうしている間にも、私の終末は近づいているのだ。合崎が「影」に堕ちるような事態だけは絶対に避けなければならない。


「……『植物』が気になるのか?」


 私の手を引きながら、何気なく彼が尋ねてくる。少し、子どもっぽく思われてしまっただろうか。


「……死ぬ前に、一度くらい本物を見てみたいってだけだ」


 興味があるのなら、もっと本で調べてみればよかっただろうか。そうすれば、本物に触れることは叶わなくても、「植物」がどんなものなのかは知れたかもしれない。


 ああ、駄目だ。合崎と過ごしていると次々と心残りが増えていく。私にはもう、何一つ出来はしないのに。


 そう思うと寂しくなって、思わず合崎の手をぎゅっと握った。手の甲の傷が開くように痛んだが、胸も同じくらい苦しい。


「――どうした、急に」


 少しだけ先を歩く合崎は、振り返りもせずに訊いてくる。


「何でもない」


 胸の内で渦巻く感情を抑えるように、努めて無愛想に言い放つと、合崎は軽く私を振り返り、戸惑うような表情を見せる。


「……何でもないのに憐が手を握ってくるなんて、この状況よりずっと異常事態なんだが」


「悪かったな」


「だが、手の傷が開くからできればやめてもらいたいところだな」


「……もう関係ない」


 そう、どれだけこの傷が開こうがもう関係ないのだ。それならばせめて、一秒でも長くこの手に触れていたい。


「これでも、心配しているんだが?」


「悪いな、まったく伝わらなかった」


 こんな時まで嘘を並べることしか出来ない私はどうしようもない。本当は、痛いほど伝わっている。合崎の仕草や視線の一つひとつに、彼の憂いが滲み出ていることに気が付かないわけがなかった。


「――本当にやめろ。血が滲んでいるじゃないか」


 合崎は足を止めて、私に向き直った。少し威圧的な物言いだ。やはり、合崎は私の気持ちなんて少しも分かっていない。

 

 どうせ、すぐに死んでしまうのだから、もう全部関係ないのに。


「……合崎は、本当に馬鹿だ」


「喧嘩なら後で買う。今はおとなしくしてろよ」


 馬鹿だな、本当に。「後」なんて、もうどこにもないのに。


 私はそっと手の力を抜いた。合崎はそれを確認すると軽く私の指先を握り、再び歩き出す。


「……さっさとこんなところ出るぞ」


 無愛想にそう言い放って、彼は足を進める。背を向けられると、寂しさに胸が締め付けられそうだ。今更何だ、この気持ちは。いつもいつも、想いを自覚するのはすべてが終わる間際だ。そうしてきっと私は、この気持ちを伝えられないまま終わるのだろう。

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