第74話(合崎視点)
合崎は、やりきれない気持ちをぶつけるかのように、「白」の幹部会の面々を睨んだ。
「……待てよ、憐の命を……そんな簡単にあしらっていいのか? 何だよ、人工知能で代用可能って。こんな時まで情報流出を心配してるなんて。一人で死ぬのが怖くないわけないだろ……」
そう、憐は今も一人ぼっちだ。たった一人で痛みに耐えている。帝国に害を及ばせぬよう必死に口を閉ざしながら、増えていく傷に、流れていく血に一人で怯えているのだ。
「憐が……何のために、傷つけられてまで口を割らないと思っているんだ。憐はきっとお前ら幹部会のことを訊かれようとも、決して話さなかっただろう。傷ついてまで自分を守ってくれた人を……そんな簡単に殺していいのか?」
「空……やめるんだ」
デスクに手をついた柊は、俯いたまま合崎に視線を送る。過度のストレスがかかっているのか、いつになく暗く沈んだ瞳だった。
「感情論は相手にしていられないな。次期軍師君。これは幹部会の問題であり、君の出る幕ではない」
室長は合崎に一瞥もくれることなく続けた。
「それに、口を開かないことは次期軍師として当然のことだろう。確かに彼女は勇敢な軍人候補生だとは思うが……特別に配慮するようなことではない」
「当然? 憐が傷つくことが、か?」
分からない。こいつらが何を話しているのか。分かりたくもない。
「合崎、少し落ち着くんだ。このままじゃ、また錯乱状態に陥ってしまう」
雪柳塔長は合崎との距離を少しずつ詰めながら、彼を気遣うように表情を曇らせる。だが、合崎の目にはそのあからさまに心配そうな顔がむしろ白々しく映った。加えて、白衣姿の塔長は例の「実験」の日々の科学者を思い起こさせて、不快で仕方がない。
ああ、やはりこの帝国は、人を人とも思っていない。ならば、何のための帝政なのだろう。何のために存在しているのだろう。
分からない。判らないよ、憐。
――大丈夫、憐が一人にしないから。ずっと空兄様のこと、大好きだから。
幼い君が言った言葉。それは今も、変わらないのかな。
「――憐……」
こんなにも自分を大切にしてくれた人を、見捨てるわけにはいかない。何もしないなんてありえない。何をしたって、憐を助けに行く。絶対に、一人でなんか死なせるものか。
合崎はすっと視線を上げると、距離を詰めてくる塔長に向かって、ぐく自然な仕草で銃口を向けた。もしもの時のために、学院から持ち出しておいてよかったと思う。
塔長の目は明らかな動揺を表すように揺れたが、すぐに両手を軽く上にあげ、その場で足を止めた。
「……何の真似かな、合崎」
「交渉決裂の合図だ。近付いたら、撃つぞ」
部屋中の人間の視線が集まるのを感じる。きっと大丈夫だ。ここにいる奴らは実戦派ではない。どうとでもなる。
「――空? どういうことだ?」
柊が青ざめた表情で、呆気にとられたように合崎を見ていた。隙の無い彼のそんな表情は珍しい。合崎は、柊の色素の薄い瞳を睨み、自嘲気味に微笑んだ。
「憐を殺す気ならば、俺は帝国を捨てる。――憐と生きられるのならば、『影』に堕ちたって構わない」
「――裏切るのか?」
「裏切る? 憐がいない時点で帝国に忠義を尽くす必要はない。切り札は、大切にしておくべきだったな」
「……ここにいる誰かを傷つけたら、許さないぞ」
今度は柊が合崎を睨む番だった。ああ、こんな時まで彼は「先生」であろうとするのか。何年共に過ごしていても、彼との間にはいつまでも見えない壁があるようだった。
「……じゃあ、殺すならお前からだな、柊。『影』にこの身を堕とすのならば、お前の命はいい手土産になりそうだ」
「……そんなことして、憐が喜ぶと思うか?」
まあ、まず泣き叫ぶだろうな、と合崎は笑った。憐は、柊に良く懐いている。時に二人の姿を見ていて、醜い感情が湧き起こるくらいには、二人の仲は良い。もしも、柊が殺されるようなことがあれば、憐は一生犯人を許さないだろう。
「……それでも、憐が死ぬよりはマシだ。憐を殺そうとした人間の命を奪って何が悪い」
結果的に憐に一生分の憎悪を向けられたとして、それも悪くないかもしれない。そんなに強い感情を、自分に向けてくれるのならば殺意でも構わないのだ。そう思ってしまうくらいには、憐に絆されているのだと気づいて再び自嘲気味な笑みが零れる。
「……自分だけ、苦しんでいると思うなよ」
柊にしては珍しい、低く怒気の含まれた声だった。いつもは一瞬の隙もなく、完璧な「先生」だというのに、ちゃんと人間らしい面もあったようだ。何年間も共に過ごしてきたのに、柊の本当の表情を見たのはこれが初めてのような気がする。
「お前だってそれは苦しんでいるんだろうな。俺も、それが分からない馬鹿じゃない。――でも、お前は自決命令を出すんだろう? 人間じゃないよな」
柊の瞳に一瞬暗い影が差した気がした。いつもの優しさと慈愛に満ちたような善人面からは想像できない。もしかすると、地雷を踏んでしまったのかもしれないが、まあいい。もう関係のないことだ。
「……俺は諦めない。どんな手段を使ってでも、どんな結果を招いたとしても、憐を救い出してみせる」
最後に合崎は不敵に笑ってみせた。そしてそのまま銃口を壁に埋め込まれた警報システムに向け、躊躇いを見せることもなく発砲する。瞬間、赤色灯とけたたましいアラーム音に包まれ本部は騒然とした。人工知能が一斉に状況を分析し、人工音声で報告を始める。街中に劣らない騒音と対応に追われた大人たちで司令室はごった返した。
そんな中で、合崎はもう一度柊ににやりと笑ってみせる。
「それじゃあな、柊。さよならだ。――場合によっては、永遠に」
「――っ!」
柊はすぐさま合崎の方へ駆け寄ろうとするも、機械類の対応に追われた白衣たちに行く手を阻まれる。
合崎はそんな柊の姿を一瞥して、踵を返した。僅かに胸に残る罪悪感を掻き消して、司令室を後にする。
何もかも、全てを捨てていく覚悟で挑まなければならない。全ては、もう一度憐の笑顔を見るために。
合崎は、使い慣れた銃を握りしめ、そっと目を閉じた。
「――憐」
彼女の笑顔を、声を、香りを、過去の思い出にはさせない。まだ確かめていないことも、伝えていない言葉も沢山あるのだから。
やがて目を開いた合崎は、まっすぐに前を見据えた。その口元に、僅かな微笑みを浮かべて。
憐。
今、助けに行くから。
もう少しだけ、どうか、待っていてほしい。




