第72話(合崎視点)
犯行声明を受けて一層騒がしくなった対策本部の中、合崎だけが妙な冷静さを保っていた。けたたましいアラーム音も、淡く発光する大量のディスプレイの光も、妙に非現実じみて感じた。
「まだ、居場所は分からないのか!?」
「死刑囚のリストが挙がりました!」
「もう一度監視カメラの情報を洗い直せ!」
様々な指令とともにディスプレイが移り変わっていく。合崎は憐の居場所の候補として挙がっているいくつかの地点を確認していた。どれも、閉鎖候補に挙がりそうな人気のない経路と繋がっている場所ばかりだ。
ふと、本部の人間たちが一様に騒めく。彼らの視線の先を追って入口の方を見やれば、帝国警察の制服姿の男性とそれに従う数人の部下たちがいた。彼らを従えているのは、二十代後半の若い男性だ。一目でわかった。彼は帝国警察の総監に次ぐ権力者だ。総監である父親の影響で、その若さで要職についたと聞いている。将来は、彼も総監になるのだろう。
彼の家は、今でも血縁を重視する家だった。政界や帝国警察の中にはそういう家もまだ残っていると言うが、彼の家がいい例だ。次期軍師には及ばないとしても、彼らの家の発言力は今でも大きい。そして、血を守り続けている彼らからすると、次期軍師であれど、身元不詳の合崎たちを良く思っていないのは事実だった。
そして何より、帝国軍と帝国警察は不仲なのだ。帝国軍に入れなかった者が帝国警察に所属していることも多く、二つの組織の間の溝は浅くない。他にも、二つの組織の幹部同士の対立や長年のしがらみなど、面倒な問題が山積みだった。最近ではそれを受け、いっそ帝国警察を帝国軍の下部組織にしてしまえばいいという案も上がっており、帝国警察は吸収の危機に晒されている。
柊が、そんな若き次期総監に応対した。二人とも同年代だが、柊の方がずっと落ち着いて見えるから不思議だ。
「難航しているようですね。柊さんも随分とお疲れのご様子で」
次期総監は物腰こそ柔らかだが、掴みどころのない人間だった。柊はあまり彼を好いていないらしく、あくまでも事務的に受け答える。
「……そちらの決定は、どうなりましたか」
柊のその問いに、対策本部の誰もが手を止め答えを待った。この案件の行く末を左右する決定が今から下されようとしているのだ。言いようのない緊張感の中、次期総監は僅かに微笑んで告げる。
「収容所の責任者と厳正に討議を重ねた結果、やはり例外は認められないという決断に至りました」
音森財閥の案件で、収容された死刑囚たちの解放。犯行声明で「影」が憐の身柄の代わりに要求してきたことだが、当然ながらそんな前例もそれを許すための法律も整備されていなかった。特例として、収容所を管理する帝国警察に死刑囚の解放を打診してみたものの、やはり叶わなかったようだ。悔しさと失望感ばかりが広がっていく。
「……誘拐された少女は、次期軍師だぞ? 将来の帝国を担う者といっても過言ではない存在だ」
柊が苦し気に抗議の声を上げていた。だが、次期総監はそんな柊の焦りを楽しむかのような微笑みを浮かべる。
「将来は、そうなんでしょう。でも、今は違う。そうでしょう? 収容所の責任者はお堅い連中ばかりですからね……。たとえ、誘拐されたのが『白』の院長であっても、死刑囚は解放しないとのことでした」
収容所の扱いに関しては、収容所の責任者に最終決定権があり、こればかりは帝国軍も「白」も手出しできない。むしろ、雑務に近い囚人の管理を収容所に押し付けるように託したくらいなのだ。
「お伝えすることはそれだけですよ。帝国警察一同、次期軍師様のご無事を心より願っております」
そう告げた次期総監の目は、確かに笑っていた。唐突に芽生えた殺意に耐えるように、合崎は手を握りしめる。あいつは、あの目は、憐が死ぬことを願っている。それは、火を見るよりも明らかだった。
ああ、もう、あいつも、誰も彼もすべて消えてしまえばいいのに。
次期総監の一行が去って行く様子を眺める柊の横顔は、いつになく悔し気だった。対策本部にも重い空気が流れ始める。
「……引き続き、一条憐の居場所を捜してくれ」
「――はいっ!」
柊の部下や、白衣の人間たちが再び動き出す。死刑囚の解放が許可されなかった以上、交渉は殆ど絶望的だった。何とかして憐の居場所を突き止め、軍の部隊を向かわせる他に無い。
今日でちょうど、憐が誘拐されて一週間になる。「実験」の一か月以降、こんなにも長いこと会わないことは無かった。だからこそ、余計に胸が苦しかった。他愛のない会話も、言い争いも、一瞬だけみせる「憐」の笑顔も、全てが懐かしかった。こんなことになるのなら、と今でも自分の浅はかな行いを後悔する。言葉では済まされない。このまま憐を失ってしまったら、恐らく自分も後を追うだろう。憐にいない毎日など、ありえなかった。
彼女は、幸せにならなければならない。出来れば、常に危険と隣り合わせの軍師にもなってほしくないのが本音だった。危ないことはしてほしくないのだ。だが、残念ながらこの帝国で生きていく限り、よほどのことがなければ軍の決定を覆すことなど不可能だろう。だからせめて、憐のすぐ隣で彼女が危険に晒されることのないようにサポートしていくつもりだった。
そうしていつか、憐はいい奴に巡り会って、幸せを掴むだろう。そうなればこんな自分からも解放されて、彼女はようやく自由になる。そのときには、一歩下がって見守れるような余裕が欲しいものだ。
だが、そんなこと本当にできるのだろうか。自分から離れていく憐を、ただ見守るだけだなんて考えただけでも気が遠くなりそうだ。
――合崎くんは、憐さんのことをどう想っているんだろうね?
不意に蘇る友人の言葉に、一人溜息をついてしまった。そう訊かれたときには、適当にはぐらかしたが、本当は自分でもよく分からないのだ。
孤児院で育ったせいで、憐は未だに合崎を「空兄様」と呼ぶ。もちろん合崎だって、憐を「妹」のように大切に想っていた。
だが、今でこそ「妹」だが、初めて会った時の感覚は「友だち」だった。誰も大切ではなかったのに、憐に会ってからは大切な「友だち」が出来たと思った。
「実験」の一か月の間は、ひたすら「妹」としての憐の姿を求めていた。自分が彼女に兄と慕われる存在でありながら、助けに行くこともできない己の無力さを嘆いたものだ。誰よりも大切な「妹」だった。
学院へ入学してからは、「ライバル」であり、「仲間」にもなった。日々着実に成長していく憐の姿は美しく、こちらも負けていられないと思わせてくれた。億劫でしかなかった訓練も、憐と一緒なら少しだけ楽しみに思える。日頃どれだけ罵りあっていても、いざという時は頼ってくれることが嬉しい。憐はかけがえのない「仲間」だった。
そして、今は。
合崎は俯き気味に、自分の掌に視線を落とす。何度も憐の白い手を握った手だ。
憐に「嫌い」と言われてあれ程不安になったのは、恐らく、憐のことが「好き」だからだ。これが恋なのかと言われると断言はできないが、まあ、似たようなものだろう。憐に会うたびに、確かに心惹かれている自分がいる。気づかなかっただけで、もうずいぶんと前からそうだったのかもしれない。
だから、誰にも奪われたくない。ただ黙ってみているわけにはいかない。
合崎は、顔を上げることもなく溜息交じりに微笑んだ。
憐は、幼馴染で、妹で、ライバルで、仲間で、好きな人、なのだ。本来ならば数人分の役割であるはずのそれらを、見事に一人で掻っ攫っていってくれたものだ。やはり、失うわけにはいかない。むしろ、憐さえいてくれれば他は必要ない気がした。
絶対に、何をしてでも救い出す。絶対に。
「――一条憐が所持している端末及び犯行声明の発信元を確認! 正面モニターに表示しますっ!!」
その声に合崎は顔を上げ、正面モニターの前へ駆けよった。すぐに、淡く光る経路図が表示された。対策本部が、千翔の解放以来の吉報にどよめいているのを肌で感じる。これで、憐を助けに行ける。
だが、数秒遅れて詳細化した経路図に、本部の誰もが言葉を失うことになるのだった。




