↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スノードームを殺してくれ  作者: 染井由乃
第2章 千を翔ける憐れみ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/232

第70話

 壁一面に表示されたディスプレイには、帝国内のあらゆる連絡通路や経路図が表示されていた。憐が囚われている場所を、対策本部総員で捜しているのだ。憐が持っている端末の電波をキャッチできればこちらのものなのだが、電波を遮断するような施設にいるのか操作は難航している。千翔の身代金要求の際の犯行声明も解析しているが一向に手掛かりがつかめない。


 合崎は対策本部が置かれている第一の塔司令室の隅で、今までに上がってきた情報を洗い直していた。「影」のネットワークはどこまで広がっているのだろう。帝国側に知られないように抜け道や施設を造るには、やはり有力なパトロンが不可欠だ。音森財閥のように、帝国有数の企業だって信用できるとは限らないのだ。


 こうしている間にも、憐は苦しんでいる。たった一人で不安と闘っている。一刻も早く助け出さなければならないのに、焦りばかりが募って進展が見られない。合崎は頭を抱えながら深い溜息をついた。


 憐の件は、千翔のように公にはなっておらず、帝国の一部の人間のみが知る重要案件となっていた。学院には、不慮の事故による怪我で休養していると伝えてある。この対策のおかげで、当然報道などは行われないため「影」にこちらの動きを知られる可能性が低いという利点はあるが、その分憐が誘拐された日の目撃情報が寄せられづらいという難点も存在した。あと、もう一息で辿りつけそうなところまで来ているだけにもどかしかった。


 会いたい。一目だけでもいいから、憐に会って話がしたい。こんな現実は、笑い話にしてくれればいい。下らない話と言い争いをしながら、一緒にレモンティーが飲みたかった。


 ふと、これじゃあ「実験」の日々と何ら変わらないじゃないかと、合崎の顔に自嘲気味な笑みが浮かぶ。己の無力さを嘆くばかりで、今日も憐を救えない。


「――『影』からの電波を受信! 正面第一ディスプレイに表示しますっ!!」


 対策本部に騒めきが走る。軍の黒衣姿の柊が、通信用のディスプレイの前へ駆けていく姿が見えた。


 次の瞬間、巨大なディスプレイに映像が表示される。そこに映った光景に、合崎は自分の目を疑った。


「――っ憐」


 思わず椅子から立ち上がってしまう。嘘だ。嘘だ。信じたくない。この目がおかしいのだと誰か否定してほしい。


 表示された画面には、シアンと呼ばれた主犯と、手を拘束されて椅子にもたれ掛かる憐の姿があった。美しい亜麻色の目が位置するはずの場所には、黒い布が巻かれている。


 憐の体には、無数の傷跡が残されていた。一目で重症だと分かってしまう。まだ生々しい赤が白い制服に飛び散っていた。


「やあやあ、『白』の皆さん、こんにちは。また会っちゃったね―。僕は会いたくなかったんだけど」


 短刀と呼べるような銀色のナイフを片手に、シアンは笑う。道化師の半面から覗くその顔を、今すぐに引き裂いてやりたかった。


「憐ちゃんから色々教えてもらおうと思ってたんだけど、なかなか話してくれないんだよね。先生、ちょっと洗脳強すぎません?」

 

 くすくすと笑いながら、シアンは憐の座る椅子に寄りかかる。その所作の一つ一つには余裕が満ちていた。


「……憐を返して貰おうか」

 

 柊の声は冷え切っており、怒りさえも感じられるものだ。普通の人間ならば、この声の鋭さに委縮してしまうところだが、今回の相手はそうはいかない。


「嫌だな、拾ったのはこっちなんだから返してほしかったら見返りがなくちゃ」


「……何が望みだ?」


「憐ちゃんがお話してくれることかな」


 不吉な笑みを見せて、シアンは憐に顔を寄せる。


「ねえ、憐ちゃん。教えてよ。――『白』の主電源はどこにあるの?」

 

 主電源。それは帝国で最重要警備対象のものだ。主電源は文字通り、「白」の電力を司どり、調節を行っている。予備電源はいくつもあるが、帝国の破滅を願う「影」にとっては、この上なく都合のいい目標だ。実物は見たことがないが、以前何かの機会に主電源取り扱い室のことを耳にした。憐の記憶力からすると、僅かに垣間見た程度の情報でさえも、はっきりと覚えているのだろう。対策本部には、明らかな動揺が広がっていた。


「ほら、憐ちゃん。教えて?」

 

 くすくすと笑いながら、シアンは憐の顔を覗き込む。憐は目隠しをされたまま答えようとしない。それどころか唇を噛みしめ、ひとことだって発するまいとしているようだった。


 それを見かねたシアンが不敵な笑みを見せたかと思うと、次の瞬間には彼の持つナイフの刃先が憐の右手首に沈んだ。鮮やかな赤が溢れ出し、流れるように床へ滴り落ちていく。


「――――っ!!」


 声にならない憐の叫びが聞こえてくるかのようだった。シアンは苦しむ憐を横目ににやりと笑ってみせる。


「教えてくれたら、やめてあげるよ」

 

 シアンの持つナイフが、憐の手首の内側から肘の方へとゆっくり移動していく。瞬間、憐の絶叫がディスプレイの向こう側から響いた。それが久しぶりに聞く、愛しい憐の声だった。


「あ、やっと叫んでくれたね。……ってことは、ちょっと深く切りすぎたかも。これで死んじゃったらごめんね?」


「やめろっ!! 頼む、もう、それ以上は……っ!!」


 柊が叫ぶように懇願した。柊にしては冷静さを欠く言動だったかもしれない。だが、それも無理はないのだろう。おびただしい量の鮮やかな赤と、肩を震わせる憐を見せつけられたのだから。憐の黒い目隠しの隙間からは、赤い涙が伝っていた。


「あれ? もしかして、もう一人の次期軍師くんもいる?」

 

 シアンはようやくナイフを憐の腕から離し、どこか面白そうにこちらに視線を送ってきた。


「君たち仲良さそうだもんね。どうかな? 憐ちゃんのこの姿。なかなか綺麗だよね」


 言葉が、見つからない。嫌、この感情は言葉では表せない。喧騒さえも一瞬、遠のいたかのように感じた。


 憐が、目の前で、今、ナイフで、傷つけられた。嘘だ、嘘に決まっている。


 あんな傷を追ったらすぐに死んでしまう。憐が、いなくなってしまう。憐がいなくなってしまったら、一体何が残るのだろう。何か残るのだろうか。


「次期軍師様のこんな姿を間近で見られて、つくづく僕は幸せ者だな」


 耳障りな笑い声が響き渡る。この場にいる誰もが、「影」のおぞましさに言葉を失っていた。憐は今も赤い涙を流して震えている。


「こんな状況下でも凛としてて、憐ちゃんは本当に素敵だよね」


 そう言って、シアンは憐の左頬に口付けた。そのままシアンが挑発的な視線をこちらへ向けて意味深に笑う。


 ああ、もう駄目だ。心の奥で、何かが崩れていく。


 悪いな、千翔。折角、気遣ってくれたのに。


 全部、全部壊してしまいそうだ。


「もう憐を傷つけないでくれ! 我々に出来ることがあるはずだ!!」


 冷静さを失った柊の声さえも、遠くに響くようだった。どんどん思考が奪われていく。まるで歯止めが効かなかった。


「そうだなあ……。君たちに出来ることなんて、本当にあるのかな」


 茶化すようなシアンの声音に、怒りが募っていく。あいつを、殺さなければ、憐は。


「まあ、音森財閥の件で捕まっちゃった仲間を解放してくれるならいいけど」


「なっ……」


 対策本部が再びどよめいた。「影」の人間は帝国でも最も厳重に管理された刑務所に送られる死刑囚ばかりだ。


「冗談はよせ。そんなこと、できるわけないだろう」


 司令室の室長が、柊の横から口を出す。死刑囚の解放など前例がない。室長がそう言うのも無理はなかった。


「じゃあ、君たち幹部会の10人分の心臓で手を打ってもいいよ」


 10人? 合崎の口元に、笑みが浮かんだ。当然それだけの幹部会の人間が死ねば混乱が起こる。そこを「影」に責められたら、帝国だってどうなるか分からない。


「君たちがどこまでできるのか、お手並み拝見だね。君たちが何もしないっていうなら……憐ちゃんは僕たちと楽しく生きることになるよ。まあ、それも彼女が心を開いてくれたらの話だけど。もし死んじゃったら、先生宛に憐ちゃんの心臓を送るよ。あ、それとも目とか手の方がいい?」


「ふざけるなっ!! 憐に……憐に手を出すな」


 これほど怒り狂った柊を目にするのは初めてだった。その激昂ぶりは、一教育係のものとはとても思えないほどだ。


「それは、君たち次第だよね。特に、前者の要求なんて安いものだと思うけど。本当に憐ちゃんが大切なら、それくらいやってみせてよ」


 それじゃあね、とシアンはひらひらと手を振った。その次の瞬間にはもう、通信は絶たれてしまった。柊はデスクを殴るように手をつき、やりきれない気持ちをどうにか押さえつけているようだった。


 合崎はそんな本部の様子を眺めながら、一人考えていた。今の話を聞く限り、自分の力で達成できるのは、後者の要求だ。


 10人。たったそれだけの命で、憐を救えるのなら。


「……安いもんじゃないか」


 再び動き出した喧騒の中、合崎はぽつりと呟いた。その目は確かに、柊の後姿を捉えていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。