第67話
「憐は? 憐のお友だちは、どんな人たち?」
アザレアは私の膝の擦り傷にガーゼを当てながら訪ねてきた。私でさえ気づいていない怪我を良く見落とさないものだと感心する。
「……私も、お前と似たようなものだからな。いるのは、友だちというよりも……腐れ縁の仲間だけだな」
「仲間? 千翔ちゃんも?」
私はそっと頷いた。この程度のことならば、特に影響はないだろう。アザレアに絆されてきている部分は否めないが、こうして会話をすることで心の傷が僅かに癒えていくのも感じていた。やはり、私は自分で思うよりも弱い人間らしい。
「……千翔は、妹のようなものだ」
「仲がいいんだね」
「それから……とても優秀な教育係がいる」
「教育係? 先生みたいな人?」
「まあ、そんなようなものだ」
もっとも、教えてくれる内容は学院で習うよりもえげつないものばかりなのだが。綺麗な笑みを浮かべて、虐殺ともいえる信者狩りの歴史を語ったときには肌が粟立つのを感じたものだ。
「いいなあ、先生がいるんだね。私も、手当てのこととか教えてもらえる先生が欲しいなあ」
確かに、アザレアがここに来ることを嫌がっているシアンが、彼女に手当ての仕方を教えるとも思えなかった。そんな彼女の制限された世界を思うと、少しだけ胸が痛む気がする。
「他には仲良くしている人はいないの?」
純粋な好奇心で尋ねているのであろうが、完全に警戒を解いたわけではない私は彼の存在を口にするかどうか躊躇った。もっとも、「影」の情報網を考えれば、私と彼の関係性などとっくに入手している情報だということは容易に想像がついたので、そっと口を開く結果にはなったのだが。
「――兄が、いる」
兄と形容することが正しいのかは分からないが、咄嗟に彼を形容する言葉が他に見つからなかったのだ。
「お兄さん? ……私たちのお兄さんではないよね?」
そう言われてふと、先日アザレアに見せてもらった家族写真を思い出した。確かにあの写真を見る限り、私たちには年の離れた兄がいたようだ。アザレアもそれを思って淡い期待からそう尋ねたのだろうが、残念ながら私たちの兄は両親と同じように亡くなっているのだろう。私は控えめに首を横に振った。
「兄のような存在というだけで、血の繋がりも法的な繋がりもない」
「千翔ちゃんのような存在なんだね。どんな人なの?」
「とても強くて、怜悧で、無愛想な奴だ」
「……ちょっと、怖そうだね?」
お前が慕っているシアンよりは数千倍マシだと思うが、という言葉を飲み込んで私は少し微笑んで見せた。
「……でも、本当はとても優しい人なんだ。こんな私でも、妹として扱ってくれるし、私に何かあるとものすごく心配してくれる」
「……じゃあ、今もきっと憐のこと、心配してるね」
ずきり、と胸が痛んだ。合崎の精神状態が悪化していたらどうしよう。今になって、いつかの柊の言葉が蘇る。
――空を、あんまり病ませないように。
私は、きっと合崎を傷つけてばかりだな、と自嘲気味の笑みが零れる。アザレアが小さく小首をかしげ、私の様子を窺っているようだった。
「心配、しているだろうな。あいつは、お前にとってのシアンのような人だから」
目を逸らすように軽く笑って、何とか話題を変えようとした。だが、シアンの名前を出したのが失敗だったのか、アザレアは再びきらきらと目を輝かせた。
「じゃあ、憐はそのお兄さんのことが大好きなんだね!」
一瞬、思考が追い付かなかった。そして数秒経ってから、やはりシアンの名前を出したことは失言だったと気づく。アザレアの中でシアンの存在はすべてと言っていいほど大きいものなのだ。私と合崎の関係を表すには適切ではなかったかもしれない。
「大好きだなんて……そんなこと」
正直嫌いなのか好きなのかもよく分からないのに、そんな振り切った表現が出来るはずもなかった。いっそ、アザレアの単純さが羨ましい。
「照れてるの?」
「……どうだろうな」
誤魔化すように小さく笑うと、アザレアは満面の笑みを見せて手を合わせる。
「私、ずっと誰かとこういう話がしたかったの! 好きな人の話をするのは楽しいね」
「別に、好きというわけでもない。……多分、嫌いではないが」
「駄目だよ、憐! ちゃんと、好きって認めなくちゃ。言葉で伝えないと伝わらない時もあるんだよ。憐に好きって言われたら、お兄さん喜ぶと思うなあ」
華やいだ声を上げるアザレアから苦笑交じりに視線を逸らし、上体を僅かに動かすとシアンに蹴られた背中の辺りがひどく痛んだ。思わず咳き込んでしまう。
「――憐っ!?」
慌てたようなアザレアの手が私の背中を摩る。手当てをしてもらって安心していたが、劣悪な状態からは抜け出せていないらしい。アザレアは沈痛な面持ちで私を見ていた。
「大丈夫、だ。このくらい……」
強がりにしか見えないのだろうが、それでも私は何とか笑いかけてみせた。だが、アザレアは浮かない顔のままだ。
「無理しないで。――だって、すごく痛いよ?」
その瞬間、金属のドアが悲鳴を上げた。入室してきたのは他でもない、去り際に私の殺害予告を残していった張本人だった。
「……シアン」
注意された後もここを頻繁に訪れている後ろめたさからなのか、アザレアが気まずそうに視線を伏せる。シアンは金属の扉に寄りかかって溜息をついた。
「何でまた君がここにいるのかな。探したんだけど」
どことなく不機嫌そうなシアンの声に、アザレアは申し訳なさそうに俯いた。
「……ごめんなさい」
「しかも、また手当てしちゃって……。それじゃあ、その子、いつまで経っても死ねないよ?」
視線がアザレアから私に移される。同じ顔を見ているというのに、一瞬でのその視線の冷め具合には最早感心してしまう。
「憐を死なせたりなんてしないもの!」
アザレアがここに来て初めて顔を上げ、シアンを見つめて発言した。一瞬、シアンが意外そうな表情をする。
「ねえ、お願い、シアン! もう、これ以上憐を傷つけないで……?」
アザレアは私の前に立ち、シアンから私を庇うような姿勢を見せた。そんな健気な優しさは、今の私には十分すぎるほど身に染みる。
「もうやめようよ。シアン、お願いだよ」
シアンはアザレアの肩越しに、これ以上ないくらい冷え切った瞳で私を見つめていた。普段にはない、苛立ちのようなものを感じる。その矛先は明らかに私に向けられているのだろう。
「……血の繋がりによる絆だなんて、割と絵空事だと思ってたんだけどな……」
まるで心の声が零れてしまったかのような、低く掠れた声だった。それに関しては私も同意見だったが、アザレアと出会ったことで揺らぎ始めていることも事実だ。
シアンはゆっくりとアザレアの前に歩み寄る。そんな中でアザレアは軽く後退りながらも、必死に私のことを庇ってくれた。
「……この子を殺すか同課の決定権は君にはないし、君は知らなくても良いことだ。双子の片割れというだけで情に流されているのかもしれないけど、この子は僕らを殺そうとする悪い人たちの仲間なんだよ。君に優しい言葉をかけるのも全部、君に取り入って殺すためだ」
ゆっくりと諭すように、それでいて有無を言わさぬ圧倒的な威圧感を伴ってシアンは言葉を紡いでいく。どことなく、柊の手法を思い出させる言い方だ。
「憐は……そんなことしないよ! 優しい人だもん!」
アザレアは必死に反論するも、シアンの前では徒労に終わりそうな気がした。私も違うと言ってあげたかったが、シアンの目は明らかにそれを許していなかった。
「ねえ、憐。違うよね?」
アザレアは真剣そのものといった表情で私を振り返った。それに応えるように口を開くが、私が声を発する前にふわりとシアンがアザレアを抱き寄せる。
「可哀想に」
シアンはアザレアの耳元で囁くように笑ってみせた。突然の事態に対処しきれていないのか、アザレアは目を見開いたままだ。
「こんなに惑わされてしまって……。君の命を奪う者を救おうとするなんて」
シアンの一言一言は、何気ないようで重く脳内に響いていく。彼は相当心理的なアプローチにも長けているらしい。合崎と柊を足してそこに猟奇性を加えたような奴だ。自分で例えておいて何だがぞっとする。シアンこそが、もしかすると帝国の最大の脅威ではないのだろうか。
「でも大丈夫。アザレアだけは、僕が守ってあげるから」
アザレアはゆっくりと睫毛を伏せた。その後ろでシアンがにやりと笑う。もう言葉もなかった。思った以上に、アザレアはシアンの操り人形だ。恐らくアザレアは一生シアンから逃れられないだろう。
「さあ、戻ろうか。――手遅れになるといけないから」
シアンは自然な仕草でアザレアの手を取り、そっと彼女に微笑みかける。その振る舞いは、どこか優雅にも思えるほど洗練されていた。殺戮を楽しむかのような残虐性を見せたかと思えば、アザレアの前では心優しい青年を演じてみせる。正直、その切り替えの鮮やかさには目を奪われていた。敵味方を考えずに言えば、シアンの才能は称賛に値するようなものだ。そして何よりも、合崎や院長と同じ支配する側の人間なのだと理解する。彼に頼っていれば、従ってさえいれば、絶対に安全で、明日も間違いなく生きていける。そんな錯覚を覚えさせ、依存させるくらいには彼には惹かれる要素があった。
同時に、こいつを倒してみたいという小さな野望が宿る。次期軍師として、自分の意思で勝利を望んだことはこれが初めてかもしれない。今までにない感覚に、我ながら自嘲してしまった。
だが、それもすべてこの鎖が解けたら、の話だ。ようやく目標のようなものを得たのに、挑む間もなく叶わずじまいの可能性は高い。
一瞬だけ、アザレアが不安げな表情で私を振り返った。小さく微笑み返すと、アザレアも少し安心したようで柔らかい表情を見せる。彼女は人を疑うということを知らないようだった。
そしてドアの前で、今度はシアンが私に一瞥をくれた。勝ち誇ったような笑みは、やはり腹立たしい。だが、彼にはいつも通り一睨みを効かせるのが精一杯だった。
やがてゆっくりと、金属のドアが閉ざされていく。残された私の周りには、包帯やら消毒液の瓶が転がっていた。手を下ろせば鎖が床について冷たい音が響く。私はそっと壁にもたれ掛かり、目を閉じた。もう眠気には抗えそうもない。冷たい灰色の空間に身を委ね、私は静かに眠りに落ちた。




