第63´話(合崎視点)
憐と千翔が誘拐された。
たった今、映像の表示をやめた真っ黒なディスプレイを見上げ茫然とする。二人が行方不明になって一日、犯行声明がこの第一の塔司令室に届いたのだ。
「やあやあ、『白』の皆さん、こんにちはー」
張り詰めた空気の中、犯行声明の第一声はそんな軽い調子の言葉だった。ディスプレイには、黒い布で目隠しをされた千翔が椅子に座らされ、後ろ手に手を縛られている。所々負傷しているようだった。
そんな千翔の傍には、道化師の半面をつけた青年がにやにやと笑いながら立っていた。色素の薄いその瞳は、この世の全てを見下しているような、そんな高慢さと残忍さがあった。
ふざけたやつだ、と合崎は強く手を握りしめる。人の「妹」になんて真似を。
「令嬢さん、誘拐しちゃったー。まあ、この子の取引条件はお金にしようと思うんだけど、いいよね? 水野の当主さん」
柊の隣には、神妙な面持ちでディスプレイを見つめる水野の当主の姿があった。上質そうなスーツに身を包んでいるが、その横顔はいつになく青白く疲労を滲ませている。
「……早く、千翔を返してくれ」
「嫌だな、言われなくても返しますよ」
そう言いながら、青年は千翔に蹴りを入れた。映像で見ても、容赦のない強さだ。千翔が苦し気に咳き込む。そんな彼女の姿を見ても、犯人の顔は歪むどころかどこか愉快そうなものへと変わった。じわり、と自分の中で殺意が育っていくのを感じる。
「――無事に、とは誰も言ってないけどね」
くすくすと笑いながら、犯人は余裕たっぷりに見下すような視線をこちらへ送る。
「――その紋章、『影』だな?」
交渉役の柊が、鋭く切り込んでいった。昨夜は寝ずに憐と千翔の行方を追っていたせいか、うっすらと目の下に隈が浮かんでいる。ただの仕事ならば、たとえ徹夜してもここまでの疲れは見せない柊だが、今回は憐が絡んでいるせいで余計に彼の心を疲弊させているのかもしれなかった。
「流石、『白』のエリートは違うなあ。正にその通りだよ」
特別隠す素振りも見せず、犯人はあっさりと素性を明かした。対策本部に広がる動揺は隠しきれない。相手は「影」。これはまた厄介なものを相手にしなくてはならないようだ。
「影」の本部は帝国の最新技術をもってしても、未だ見つけられていない。科学者たちが数名「影」に取り込まれ、彼らの持つ技術を悪用された結果、帝国の最新技術でも見つけられないような事態に陥っているのだと考えられている。
「水野千翔の身代金はいくらだ」
「まあ、音森財閥の埋め合わせってことで――」
犯人は、それは法外な値段を口にした。下手をすれば帝国でも一、二を争う企業である水野財閥の有力子会社をまるまる手に入れられるほどの金額だ。
「……いいだろう」
「じゃあ、引き渡しの場所と時刻は後で通知させるよ」
まるで友人に話しかけるような親し気な口調には、妙な不安を覚える。つかみどころのない青年だ。
「――取引はそれだけか?」
柊が鋭い視線でディスプレイの先の犯人を射抜く。青年はにやりと笑ったかと思うと、余裕たっぷりに切り返してきた。
「君が心配でたまらないのは、憐ちゃんの方なんだね。君は憐ちゃんの何?」
あまりにも親し気に憐の名前を呼ぶ犯人に、殺意が更に増していく。こんなにもはっきりとした意思を持って誰かを殺したいと思ったことは、例の「実験」の一か月以来初めてだ。
「……憐の、教育係だ」
「ふーん、じゃあ、憐ちゃんの先生ってわけだ。憐ちゃんみたいな優秀な教え子がいて、さぞ鼻が高いんだろうね、先生? 羨ましいから僕も、憐ちゃんに色々教えてもらおうかなー」
犯人は、憐をどこまで知っているのだろう。犯人の口ぶりに思わず寒気が走った。
「そうだな……まずは、『白』の正確な見取り図とかね」
バレている。憐の能力を知っての上の発言だ。対策本部に言葉にならない緊張が走った。
「帝国上層部の機密事項とか……色々知ってそうだよね、憐ちゃん。次期軍師様なだけあって」
薄く笑う犯人に、柊は珍しく苦し気な表情を見せる。憐が絡むと優秀な教育係も戸惑いを隠せないらしい。
「……憐から聞き出そうとしても、無駄だぞ」
「随分と憐ちゃんの洗脳に自信がおありなんですねー、先生?」
くすくすと笑いながら犯人は、ナイフを取り出して片手で弄ぶ。
「まあ、憐ちゃんがどこまで口を閉ざせるか。お手並み拝見いたしましょうか、先生?」
あまりにも不吉なその言葉を最後に、犯行声明は終わりを告げた。
思い出すだけで、殺意が広がっていく。犯行声明を受けて一層慌ただしくなった第一の塔司令室の中、合崎は一人頭を抱えた。
まだ、憐と千翔が一緒にいるうちはいい。どんなに苦しい状況でも、あの二人の性質上、お互いの存在があればまだ強くいられるだろう。命の危険はあったとしても、心はきっと守られている。
でも、と合崎は喧騒から逃れるように耳を塞いだ。
近いうちに千翔が解放されて、一人になったとき、憐はどうなるのだろう。あんな歪んだ犯人に、たった一人で立ち向かうというのか。あの異常なほど猟奇的な目を持った犯人に何をされるか考えるだけでもおぞましい。憐でも抗えず誘拐されてしまったような相手なのだから、恐らくあの犯人も相当な戦闘力を持っているのだろう。あいつに憐が傷つけられるところを想像するだけで、気が触れそうだった。
「……憐」
ぽつり、と零れ落ちた自分の声は僅かに震えていた。こんなことなら、どんなに嫌いと言われようが、拒まれようが、憐と共に行動しておけば良かった。憐と千翔は叶わなかった相手でも、三人でいれば逃げることくらいは出来たかもしれない。それに、たとえそれが上手くいかなくても、憐と一緒ならば捕らえられても構わなかった。状況も場所も立場も関係ない。大切なのは、憐がそこにいるかどうかということだけなのだから。
「大丈夫か、空……」
不意に声をかけられ、顔を上げると、眼鏡をかけたままの柊が神妙な面持ちで立っていた。
「……俺は何ともない」
「昨夜は眠っていないんだろう。少し休んだ方がいい」
「お互い様じゃないか」
「……休めるうちに休め。恐らくここからが本番だぞ。……辛かったら、無理にここに来る必要もない」
冗談じゃない。遠回しに戦力外通告をされようとも、この案件から目を逸らすわけにはいかないのだ。一度憐と向き合うことを恐れて引き起こした結果がこれなのだ。もう、逃げることは許されない。
「……ご心配、どうも」
無愛想にそう吐き捨て、対策本部の喧騒を見渡した。せめて、自分を保たなければ。いつでも憐を助けに行けるように。




