第55話
僅かな手足の痛みと、纏わりつくような冷たさにふっと目が覚める。何か温かいものに寄りかかっていたようで、上半身は寒くなかった。見れば、すぐ隣で千翔が私の肩に寄りかかるように眠っている。
手足に違和感を感じ、視線を落とすと金属製の手錠と足枷がつけられていた。明らかに頑丈そうな銀色の鎖は、私が力任せに外そうとしてみたところで解けるはずもない。部屋はどこか薄暗く、コンクリート製の床に直に座らされているようで、制服のスカートから伸びた足が冷たかった。いわゆる牢のような場所なのだろうと推測する。
相手のナイフに刻まれた紋章、あれは間違いなく「影」のものだった。ということはつまり、私たちは「影」に捕らわれているのだろう。厄介なことだ。千翔を誘拐しようとしていたようだが、金目的の犯行だろうか。
状況を把握したところで、私は肩を揺らして眠り続ける千翔を起こすことにした。だが、何度揺らしてもなかなか目覚めない。一瞬、ただの眠りではないのではないかという不安が過ったが、それはすぐに打ち消された。千翔は眠そうな目で私を見上げ、数秒の後に飛び退いた。寝起きから賑やかな奴だ。
「す、すみません。重かったですね……」
「この状況で第一声がそれとはな……。その度胸だけは見上げたものだ」
そう言われてから彼女は、自分の手足が拘束されていることに気づいたようだった。がしゃがしゃと銀色の鎖を揺らし外そうと試みている。
「……あの黒い服の人たちに、捕まっちゃったんですか?」
「その可能性が高いな」
見る見るうちに千翔の表情が青ざめていく。私は溜息をついて、冷たい壁に寄りかかった。本当に、面倒なことになってしまった。眠っていたせいで、あれからどれだけ時間が経過しているのかも分からない。
「私の……せいですね。彼らの狙いは私のようでしたし」
「気にするな。千翔一人が誘拐されるよりかはよっぽどましだ」
「でも……」
明らかにしゅんとして肩を落とす千翔の頭を撫でてやることもできない。私は代わりに微笑んで見せる。
「本当に、気にするな。千翔のせいだなんて思っていない。むしろ、守り切れなかった私の方が不甲斐ないよ」
その言葉に嘘はなかった。正直、「影」を侮っていた部分もあったかもしれない。あの道化師の半面をつけた青年は、異様に強かった。たとえ私が銃を所持していたとしても、勝てるかどうかは微妙な線だろう。
「……私たち、どうなるんでしょう?」
辺りを見渡しながら、千翔は再び肩が触れるほどすぐ傍に寄ってくる。彼女の横顔は酷く不安げだった。部屋の壁にところどころ残されている茶色い染みが不穏な空気を醸し出している。
「……人質はすぐには殺さないものだろう。少なくとも、あいつらは千翔に用があるのだから……しばらくは、きっと大丈夫だ」
「そんな、憐姉様は……っ」
その瞬間、部屋のドアが耳障りな音を立てながら開いた。金属製のドアのようで、随分と錆び付いているらしい。自動ドアでないなんて、ここはよほど古い時代からある部屋なのか、特別な目的に使用される部屋かのどちらかなのだろう。――この状況からして、恐らく後者なのだろうが。
入ってきたのは、大きめのタブレット端末を手にした白衣の青年だった。例の道化師の半面を付けた青年とは違い、傍から見れば「白」を出歩いていても不思議はないようなまともな雰囲気の持ち主だ。彼は私たちを無関心な目で一瞥し、すぐに視線を逸らそうとしていたが、なぜか私に目を留めた。その表情は、何かに驚くような、唖然とした表情だった。
「……アザレア様?」
彼は、確かに私を見つめてそう言った。その名は音森財閥の第一研究所でも聞いたことがある。信者たちが口にしていた名前だ。
白衣の青年を追うようにして、例の道化師の半面をつけた青年も入室してくる。私を見て固まっている白衣の青年を見るなり、くすくすと笑っていた。
「まあ、無理もないよねー。でも、その子、アザレアじゃないから大丈夫だよ。アザレアはさっきあっちでお茶してたでしょ」
「……でも、そっくりだ」
「俺でも戸惑っちゃったくらいなんだから、君に区別できなくても当然なんじゃない?」
そう言って、半面を付けた青年が私たちの前まで歩み寄ってくる。その手には、短刀とでもいうべき長さの銀色の刃物が握られていた。
「お目覚めみたいだねー。最後の夢はどうだった?」
その刃先は、私に向けられていた。猟奇的な青年の目が私を見下ろしている。怯えたくはないが、この青年の持つ異様な雰囲気に思わず寒気がした。この状態では逃げようがない。簡単に殺されてしまう。
「で、そっちの君が水野財閥の令嬢さん? 音森財閥の件では君のお父さんにしてやられたよ……。まあ、まだ殺さないからゆっくりしてて」
まるで自分の家に遊びに来た友人に接するかのような軽いトーンで彼は言う。千翔は僅かに震えていた。無理もない。私だって怖い。まだ何をされたというわけではないのに、これほど人に怯えるなんて思ってもみなかった。
青年は私に視線を合わせるようにして屈みこむと、薄く笑った。人を傷つけることを心から楽しんでいるようなその笑みを前に、何も言えなくなってしまう。
「君、強かったよねー。おかげでこっちは3人ほど欠員が出ちゃったよ。学院の生徒さんって、みんな君みたいに強いの?」
冷たく、大きな手に右肩を掴まれる。片手でも、握力は随分と強い。たとえ鎖が無かったとしても、この手からは逃れられなかっただろう。鋭利な銀色がすぐ目の前で反射していた。
先ほどから、必死にこの状況の打開策を模索している。けれども、この鎖と半面の下から覗く猟奇的な笑みの下では、殺されずに済む可能性など無いように思えてしまうのだ。
「シアン……。アザレア様にお見せしないで殺していいのか? 何か気にかかるんだけど……」
部屋の隅のデスクについた白衣の青年が、振り向くこともないままに言う。
「アザレアに見せて何になるんだよ。……まあ、代用品くらいにはなるかもしれないけど」
くすくすと笑って、半面の青年は私を見つめた。きっと彼は人を殺すことに慣れている。躊躇いのようなものは微塵も感じられなかった。そんな青年を前に、本当は今にも震えだしそうなほどに怯えているが、千翔の手前、私が取り乱す姿を見せるわけにはいかなかった。
「さてと、どこから手をつかようかなー」
片手で刃物を弄びながら、私の反応を楽しむような素振りを見せている。随分と質の悪い奴に捕まってしまったものだ。これではどんな殺され方をするか分からない。
「……せめて、千翔の前で殺すのはやめてくれないか」
「わあ、声もアザレアにそっくり」
青年はにやりと笑って食い入るように私を見つめた。冷え切ったその目に見つめられるとぞっとする。半分本音で、半分は移動の際に僅かな隙が出来ることを目論んでの発言だったが、この分ではまともに受け合ってもらえる可能性は低そうだ。
「いろいろと考えたんだろうけど、残念でしたー。折角、二人分の苦痛な表情を拝めるチャンスなのに、みすみす捨てるような真似はしないよ。君が死んだ後も、しばらくはそこの令嬢さんにバラバラになった君と過ごしてもらおうと思っているくらいなんだから」
笑みを含んだ声で、青年はいとも簡単に私の策を打ち砕く。絶望感と喪失感に、うなだれるように顔を伏せることしか出来なかった。今ここでこいつに殺されれば、千翔にどれだけ深い心の傷を負わせてしまうだろう。こんな状況で何もできない自分が悔しかった。何が、次期軍師だ。情けなくて、今にも涙が零れそうだ。
そんな私の反応さえ、目の前の青年は楽しんでいるようで、頭上からくすくすと笑う声が降ってくる。やがて、私の肩を掴んでいた彼の手が頬に移動して、無理やり上を向かされた。完全に、私は敗者だった。
「下向かないでさ、もっとちゃんと顔見せてよ」
その言葉と共に、首筋にひやりとした銀色が当てられる感触があった。もう、覚悟しなければならないようだ。随分と短くて下らない人生だったと振り返りながら、そっと目を閉じ、最後に千翔に謝罪の言葉を述べる。
「……千翔、ごめん――」
「穢れた手で未来の軍師様に触れるな! 外道め!」
一瞬、その言葉を誰が口にしたのか分からなかった。ほとんど叫ぶように放たれたその声は怒りに満ちていたが、確かに聞きなれた可愛い妹のものだ。目の前の青年の視線が、千翔に移される。千翔は、一部の熱烈な帝国支持者のごとく叫んでいた。
「そのお方は、次代の帝国軍の支配者であらせられるぞ! 下賤な貴様が触れるなど、言語道断。恥を知れ!」
「ああ! そうか、君、追悼式に出てたあの子だ!」
不意に白衣の青年が、回転椅子を回してこちらを振り返った。それを聞いて、目の前の青年の表情も僅かに変わる。
「ほら、シアン……。あの献花した……もう一人の次期軍師に抱き上げられてた白い子だよ。覚えてるだろ? アザレア様にちょっと似てるねって話してたじゃないか」
「……覚えてるよ。……成程ね」
にやりと、目の前の青年は笑った。
「確認してみようか。もし本物なら――」
冷え切った青年の目に貫くように見つめられる。
「――帝国の切り札、拾っちゃった」




