第54話
学園裏通りというのは、まさに名称の通り、いかにも裏という感じがするほど人が少ない。私もこの学院に入って3年経つが、足を踏み入れるのは初めてのことだった。清掃用のドアと繋がっていることから、清掃係の人が利用する程度なのだろう。学生の姿は、先ほどから一人も見られなかった。
「なんだか、わくわくしますね! この帝国にここまで人通りの少ない通りがあるなんて!」
「でも、合崎もいないぞ」
この裏通りには、大通りで巡回しているような浮遊型監視カメラさえもやってこないようだった。煌煌と白い光に照らされた通りは、人がいないせいかどこか不気味に思えてしまう。
「大丈夫ですよ! そう焦らずとも、今に来ますって!」
「……別に焦っているわけじゃない」
千翔は相変わらずご機嫌なようで、にこにことした笑顔を崩さない。本当に私と合崎を仲直りさせたいのだろう。物好きな子だ。
それにしても、と私は辺りを見渡す。いくら裏通りだからと言って、こんなにも人はいないものだろうか。この帝国は必要とされるものを一つずつ積み重ねて広がった国だ。時代の流れに沿って不要となった通路は、「影」などに悪用されることを防ぐためすぐに閉鎖されるのが習わしだった。これほど人がいないのならば、閉鎖候補に挙がっていてもおかしくない。
やはり妙だ。人がいない割に張り詰めたこの空気は何だろう。
「どうかされましたか? 憐姉様」
無邪気に問いかけてくる千翔の表情を見ていると、考えすぎなのかとも思う。合崎との口論のせいで気が立っているのかもしれない。だが、それを分かったうえでも見えない何かに狙われているような感覚を捨てきれないのだ。
「……なあ、一旦戻らないか? 合崎もいないようだし……ここで待たずとも、紅茶店にあいつを呼び出せばいいだろう」
千翔は私と目が合うなり表情を変えた。普段はあまり見せない真剣な面持ちだ。私の不安を察してくれたのだろう。
「……憐姉様がそう仰るのなら」
私たちはすぐに元来た道を辿り始めた。この裏通りから出る曲がり角を目指す。考えすぎだと後で笑われてもいい。今は一刻も早くここを去りたかった。
「あれ? もう行っちゃうの?」
背後から軽い口調で話しかけられる。聞き覚えのない青年の声だった。こちらの行動を面白がるように、その声には笑みが含まれている。
咄嗟に千翔の腕を掴み、彼女を後ろ手に庇う姿勢を取って振り返った。生憎、今は銃を持っていない。身を守れるものは、制服のポケットにしまわれた護身用のナイフ一本のみだった。
声の主はいつの間に姿を現したのか、私たちと10メートルほどの距離を取ったところに立っていた。背の高い青年で、顔の半分は道化師の半面で覆われている。見た目からしてふざけたやつだ。だが、あいつ一人くらいならばナイフ一本でどうにかなるだろう。
「一人で来てって言ったのに……なんか余計なのいるし。まあ、いっか。学院の生徒殺すのも一興かもね」
背後で僅かに千翔が震えているのが分かる。恐らく、千翔目的の犯行だ。千翔の端末をハッキングでもして、合崎を装った偽のメッセージを送りつけ、ここに呼び出したと思われる。目的は誘拐だろうか。
見たところ、その青年が銃を手にしている様子はない。ならば、戦うよりも逃げるほうが賢明だろう。私は千翔の手を引き、曲がり角を目指して走り出す。
しかし、進行方向を塞ぐように黒い外套を纏った数人が立ちはだかる。彼らの手には、銀色に光るナイフが握られていた。
「水野財閥の令嬢を捕らえろ。もう一人は殺しても構わない」
背後で、青年の冷酷な声が響く。指示を受けた黒い外套の手下たちは、すぐさまこちらに駆け寄ってきた。
相手は相当の手練れと見え、ナイフ捌きは実に鮮やかだった。だが、合崎には遠く及ばない。5人まとめて合崎一人分くらいだ。しかしながら、ナイフを使った訓練では、銃以上に私は合崎に差をつけられていた。ナイフの訓練では、一度も勝ったことがないのだ。毎回決まって押し倒されるか、壁に追い込まれるかして、首筋にナイフを当てられてしまう。その時の合崎の余裕たっぷりの微笑が腹立たしいことこの上ないのだ。
そんな個人的な恨みが功を奏したのか、今日の私のナイフはよく当たった。どうやら気が立っているほうが素早く動けるらしい。
相手は私の動きが予想外だったようで、明らかな戸惑いを見せていた。女子生徒ということで油断していたのかもしれない。一方で私は2人を床に伏したことで余裕が生まれていた。大丈夫だ、何とかなる。
必死の攻防の中で、ふと、相手のナイフの柄の部分に刻まれた紋章が目に入る。それは嫌でも記憶に刻まれた忌まわしき紋章だった。さっと血の気が引いていく。
「影」だ。
「千翔! 逃げろ!」
私は相手のナイフを交わしながら、背後で震える千翔に訴えかけた。本当ならばもう少し人数が減ったところで避難を促す予定だったが、相手が「影」なら話は別だ。形振り構わず逃げるべきだ。
「い、嫌です! 一人でなんて逃げられません……!」
「いいから早く行け! 私の命令だぞ!」
本当はこんな言い方はしたくない。それでも、今の千翔を動かすには強く言わなければならなかった。背後の青年が近づいている気配もないので、今が逃げるチャンスだろう。私は何とかして千翔の方へ駆け寄ろうとする敵を斬りつける。もうすっかり息は上がっていた。このままではそう長くはもたない。
その瞬間、僅かに手の甲が斬りつけられ、血飛沫が待った。鋭い痛みが襲う。
「憐姉様!」
「早く行け! 千翔!」
私はほとんど叫んでいた。彼女だけはこの場から逃がさなければ。
「そうはさせないよ」
不意にすぐ後ろで例の青年の声がする。思わず振り返ると、私の予想以上に彼は距離を詰めていた。嘘だ。近づいてくる気配など、全く感じなかったのに。
「君、なかなかのやり手だね。面倒だけど、あっちで殺すことにするよ」
青年のその言葉の間に、控えていたらしい10人ほどの手下たちが現れた。一瞬で、千翔が捕らえられてしまう。
「千翔っ!」
思わず絶叫して彼女の方に手を伸ばすも、青年がナイフを振りかざしてくる。咄嗟に避けることは出来たが、間一髪だ。冷や汗が頬を伝うのが分かる。彼は、明らかに他とは違っていた。相当な実力者であると今の一撃で理解する。異常な速さも躊躇いの無さも、合崎に劣っていはいない。何より悪質なのが、相手が傷つくのを楽しんでいるようなその微笑だ。半面から覗く整った顔立ちが、一層恐怖を駆り立てる。
ナイフを避けるのに精いっぱいで、なかなか攻撃をできずにいた。その間にも、千翔は鼻と口を白い布で押さえられぐったりとしている。
「千翔っ!」
そう叫んだと同時に、背中に壁がついた。追い詰められてしまった。そのまま相手は何のためらいもなく、私の首筋すれすれのところへナイフを突き刺してくる。完全に動きを封じられてしまった。
「残念でしたー」
青年は茶化すように笑って、私の乱れた髪に手を伸ばした。青年の前に私の顔が露わになる。その瞬間、彼が怪訝そうに眉を寄せた。
「君は……」
ぽつりと何かを言いかけたが、青年はすぐに視線を逸らし注射器を取り出した。逃げ出したいが、動けば首のすぐそばに刺さっているナイフで傷ついてしまう。青年は、そのまま慣れた手つきで私の首筋に注射器を刺した。すぐに、ぐらりと視界が揺らいでいく。
「……君にはいろいろ話を聞いてみたいな。――にそっくりなお嬢さん」
青年の言葉はとぎれとぎれにしか聞こえなかった。そのまま遠ざかる意識に抗えず、地面に膝を着ける感覚を最後に私は静かに目を閉じたのだった。




