第53話
終業のチャイムが鳴り、クラスメイトがぞろぞろと帰路についていく。結局、合崎とは午後の訓練でも事務的な会話をしただけで、仲直りなど出来る雰囲気ではなかった。何か言葉をかけようとしても、彼を傷つけてしまったことに気が引けて、声が出なくなってしまうのだ。私もなかなかの臆病者である。
「先輩!」
視線を伏せて歩いていると、端末を手にした千翔が駆け寄ってきた。放課後に彼女と会うのは珍しいことだった。千翔は大抵、放課後にはレッスンやら稽古事やらが詰まっていて早々に帰ってしまう。水野財閥の未来の経営者になるだけあって、彼女はいつも忙しそうだ。
「珍しいな、どうしたんだ?」
気持ちを切り替えて小さく微笑みながら千翔を振り返ると、彼女は私の目の前にディスプレイを表示させた。
「ここ、新しくできた紅茶専門店なのですが、よろしければ一緒に行きませんか?」
ディスプレイには洗練された雰囲気の店内が映し出されている。ゆっくりと落ちつけそうだ。私は放課後の寄り道というものをしたことは無いが、学生らしくて興味を持っていたので千翔の提案は非常に魅力的だ。
「是非とも行ってみたいが……千翔は大丈夫なのか?」
「はい! 今日来るはずの先生が体調を崩されたそうなので、今日のレッスンはお休みになったのです!」
やけに嬉しそうに語る千翔に思わず笑ってしまう。千翔はいつまでも、周りの色に染まらない。彼女は彼女の色のまま、周りと協調していけるのだから大したものだ。目の前の彼女の笑顔は孤児院にいたころと何ら変わりはなかった。
「そうか。じゃあ、行ってみよう。ちょうど寄り道したい気分だったんだ」
もしかすると千翔は私と合崎が仲たがいしている気まずさを見抜いて提案してくれているのかもしれない。千翔にとってはようやくできた休みなのに、私たちのことを気遣って言ってくれているのなら少し可哀想だ。
「やった! 嬉しいです! 案内は任せてくださいね!」
楽しそうに笑う千翔の隣を、私も穏やかな気持ちで歩いた。今日だけはいつも遠くに感じている街の雑踏を肌で感じることが出来そうだ。
ここ、帝立第一学院は広い。訓練室などの特殊な設備が多いせいだろうが、帝国の教育機関の中でも一、二を争う大きさだ。教室から正門までは10分ほど歩く必要がある。白と黒の制服が入り混じる中で、私と千翔は他愛もない話をして歩いていた。どんな話をするときだって、千翔は楽しそうだ。
「そうだ! あとで、憐姉様に見ていただきたいものがあるのです。我が社の新商品の端末なんですが、デザインについて意見を求められていて……」
「私に美的センスを要求するのは賢明とは言えないぞ……。それこそ、他の友人に聞いてみるべきだろう」
「何分、未発表の新商品なので信頼できる方にしかお見せできないのです。父に最近の若い女性の好みを取り入れたいからと意見を求められたのですが、私一人ではどうにも心許なくてですね……」
「……まあ、見る分には一向に構わないが、期待はするなよ」
「ありがとうございます! 憐姉様!」
本来であれば初等教育で習うであろう美術やら音楽といった芸術方面の分野には、私は全くと言っていいほど触れていない。次期軍師である以上、必要ないと判断されたのかもしれない。精々、有名な文化財の名前を挙げられる程度の嗜みに過ぎなかった。とはいえ、千翔が頼ってくれることは嬉しいものだ。出来ることならば力になりたい。
不意に、千翔の制服の胸ポケットに収納された端末が震える。千翔はすみません、と一言断って端末を手にした。友人の多い千翔のことだから、メッセージをやり取りする相手も多いのだろう。生憎、私にはそんな相手はいない。そもそも友人がいない。
ふと、端末を手にした千翔が立ち止まり不思議そうな顔をした。彼女に倣うようにして私も足を止め、様子を窺う。私たちのすぐ横を、数人の女生徒たちが抜かしていった。
「どうかしたか?」
急用でもできたのだろうか。もしそうならば、残念だが彼女を引き留めるわけにはいかない。
「……これ」
そう言って千翔はディスプレイを私の目の前に投影させる。そこには短い文面が綴られていた。
「……合崎?」
送信者欄を確認すると、送り主は合崎になっていた。
『話がある。学院裏通りに、一人で来てほしい』
彼らしい無愛想な文面だ。しかし、合崎がわざわざ千翔を呼び出すとは珍しいこともあるものだ。
「憐姉様! これはきっと、空兄様が憐姉様と仲直りしたいからどうすればいいかっていう相談を私に持ち掛ける気なんですよ! 以前もそうでした。ほら、憐姉様が入院されているときです。あの時もふらっと現れて紅茶専門店に連れていけと仰ったんです。これは仲直りのチャンスですよ!」
随分と都合のいい解釈だが、目を輝かせている千翔にそれを指摘したところで聞かないだろう。彼女は私の手を両手で包み込み、距離を縮めた。
「早速行きましょう! 空兄様も、そのまま紅茶専門店にお連れすればよいのです!」
「……そうは言ってもな。一人で来いと書いてあるぞ」
「つべこべ言わずに行きますよ! こんなの5分で片付いちゃいます」
私は半ば千翔に手を引かれるようにして歩き出した。彼女の言う通り、これを機に仲直りする方が気は楽かもしれない。少なくとも、二人で面と向かって話すよりはずっといいだろう。そんな打算的なことを考えながら、生き生きと私の手を引く千翔の後姿を何処か微笑ましく見つめていた。




