第50話
「いやあ、久しぶりにぞくっとしたな。流石は死神の子」
消灯1時間前、私の病室にはそう言って笑う雪柳塔長と合崎、柊の三人が揃っていた。皆、式典に参加した際の礼服のままであり、私だけ病院服に着替えさせられたので何だか心許ない。
「嫌なあだ名で呼ばないでいただけますか?」
レモンティーを片手に合崎はふてぶてしく言い放った。相手が「白」の第二位に君臨する権力者であろうが、彼には関係ないらしい。
「まあ、そう怒るなって。良かったぞ、あの冷笑。幹部会では院長の再来だって震え上がってたんだから」
呑気に笑う塔長を横目に、柊はぱっととしない表情を浮かべていた。
「よくないですよ、塔長。ちゃんと叱ってくださらないと。……献花の際に憐を抱き上げるなんて……見ていてはらはらしたよ」
「結果的に評判になったんだから良かっただろ」
合崎はレモンティーをテーブルに置き、軽く溜息をついてみせた。柊の小言はまるで耳に入っていないらしい。
「そういう話をしているんじゃない。憐の……憐の傷に障ったらどうするつもりだったんだ」
そう言って柊は私の頭を撫でる。その言葉と行動通り、柊にはひどく心配をかけてしまったようだった。幸いにも薬が効いていたので、大した痛みはない。
「本当に……気持ち悪いくらい過保護だな、柊は」
合崎は心底呆れたとでも言わんばかりに、眉を顰める。そんなやり取りを塔長だけがくすくすと笑いながら傍観していた。礼服に似つかわしくない他愛のない会話だったが、不思議と今はそれが心地よい。あの重苦しい空気や無惨にも散ってしまった命のことを忘れたわけではないが、こうして当たり障りのない会話に花を咲かせることで少しは気を紛らわせたかった。どうせ、夜一人で眠るときにはあれこれ思い巡らせてしまうのだから。
「院長は、合崎に殺されたくないからもう一条を引き離すような策を取ることは無いだろうと仰っていたぞ。良かったな」
「……本当かどうか疑わしいですね」
「院長のお言葉は絶対だと、学院で習わなかったのか?」
合崎は塔長の言葉を微塵も信じていないようだった。彼は基本的には人間不信なのだと思う。対して親しくもない人間の言葉を迂闊に信じるようなことはしない。軍人としては望ましい姿勢なのだろうが、彼がそうして警戒心を剥き出しにしなければ生きてこれなかったのだという証のようにも思えて素直に喜べないのも事実だった。
一方で塔長はそんな合崎の態度にも表情を変えることなく、紙パック入りのレモンティーを嗜んでいた。やがて、紙パックに挿したストローが鳴ったのに気づくと、手早く折りたたんでゴミ箱に投げ入れる。帝国の中心人物と言っても過言ではない最重要人物が、市販の紙パック飲料など飲んでいいものなのか。彼女の部下の溜息が、遠くから聞こえてくるようだった。
「まあ、とにかく院長は合崎のこと気に入ったようだぞ。こちらも合崎と一条に負けない次期院長候補を立てねばと仰っていた」
院長というと帝国の中枢機関「白」のトップであるので、実質、帝国の支配者と言っても過言ではない存在だ。一応、院長よりも上の地位に当たる皇帝の座はあるにはあるらしいが、帝政成立直後に皇帝を務めた初代を除いては、その座についた者はいない。つまり、もう何百年も空席なのだ。そのため、中枢機関「白」のトップが事実上の帝国の支配者となる。それで何の不都合も生じなかったので、初めから皇帝はお飾りの地位だったのだろう。
つまりは、次代の支配者を探し始めるということなのだ。私たちが軍師として仕える相手にもなる。これも内々に人材を集めては調査を進めていくのだろう。できれば私たちのときのような悲劇は起こってほしくないが、それも恐らく無理な話だ。
「……塔長と院長のお嬢さんがいらっしゃるではありませんか」
私は記憶を辿りながら、それとなく探りを入れてみる。塔長には、今年6歳になる夢様という娘がいたはずだ。その愛らしい振舞いは、両親に似ず、世話係たちを魅了しているという。将来が楽しみな令嬢だった
「夢はどうかな……。あまり支配者の気質は感じないから、政略結婚にでも使われるかもね」
何でもないことのように夢様の母親である塔長は笑う。支配者の令嬢ともなると、政治に巻き込まれるのはやむを得ないのだろうが、それにしても抵抗のない物言いだった。
「……合崎、将来の相手に夢なんてどうだ? 相手がお前なら院長も納得するだろうし」
「……突拍子もない話を始めるのはやめていただきたいですね」
ふと思いついたにしては、繊細な話題だった。下手な発言をして怒るような塔長ではないだろうが、愛娘のこととなるとどうかは分からない。合崎だってこの話題はぞんざいに扱っていいようなものではないと分かっているのだろうが、態度を改める兆しは見せなかった。
「『白』と帝国軍の連携を深める意味でも悪くないだろう。夢にとっても、この上ない良縁だ」
確かに帝国軍軍師と帝国の支配者の息女の縁談は悪い話ではない。一層の帝国の団結も望めるかもしれない。
「……御冗談を」
合崎はふてぶてしく言い放って、レモンティーを口に運んだ。この手の話題は苦手なのだろう。若干機嫌が悪そうだ。
「夢は美人になるぞ? 私にも院長にも似ず、素直な子だ。10歳くらいの年の差なんて、この帝国にはありふれているだろう」
「……仮に俺がその縁談を受けたとして、憐はどうするんですか?」
いきなり私を巻き込んでくるから質が悪い。他人事だと高を括って聞いていただけに、僅かに戸惑ってしまった。
「一条はそれこそ次代の院長となんてどうだ? 実は候補になる人物には目をつけているんだ。確か合崎と同い年だから、年も近いぞ」
恐らく、深い意味で言っているわけではないのだろうが、この人の持つ権力からするとこんな思い付きで私の人生を決められてもおかしくはなかった。そもそも私の縁談が政治的利用価値のあるものだとは思っていなかっただけに、むしろそちらの事実の方に驚いていた。
ひとまずやんわりと断りを入れておこうかと思った矢先、合崎が先に口を出した。
「憐はただのエリートの手に負えるような人間ではありませんよ。次代の支配者殿があまりにも不幸なので、その縁談はやめておいた方が無難です」
そう言って、合崎も空になったレモンティーのパックをゴミ箱に投げ捨てた。黙って聞いていれば腹立たしい奴だ。私を災厄か何かだと思っているのだろうか。
「合崎も素直じゃないなあ……。嫌なら嫌とはっきり言えばいいだろう」
「……そういう訳ではありませんよ」
静かな声で否定した合崎を、塔長は一人にやにやとしながら眺めていた。一見するとからかって遊んでいるようにも見えるが、彼女の持つ権力が強大なだけに質が悪い。
「じゃあ、ここにいる教育係なんてどうだ?」
その言葉に一瞬、心臓が跳ねたような気がした。あまりにも予想外な言葉だったからだろうか。慌てて柊を見やると、彼はいつも通りの穏やかな笑みを崩すことなく塔長に進言する。
「……あまり、空に意地悪をしないでください、塔長。あまりからかって銃口を向けられても知りませんよ」
柊の冗談交じりの言葉に、塔長はそれは困るなあ、と笑っていた。恐らく今出た話の何一つとして真剣なものはないのだろう。他愛のない世間話の域を出ない。だが、相手が塔長なだけに万が一の可能性を覚悟して聞いていたため、生きた心地がしなかった。
「まあ、分かっているとは思うが冗談だよ。合崎から一条を離したら使い物にならないしな」
「それを分かっているのなら、精々切り札は大事にしておくことですね」
「そうさせてもらうよ。……院長が二人を引き離すような策は取らないと言ったんだから、信じていいと思うぞ」
さて、私はそろそろお暇するかな、と伸びをしながら呟いて、塔長は立ち上がった。それに倣うように柊も立ち上がる。きっと塔長を送り届けるつもりなのだろう。部下としては当然の判断だった。
「邪魔をしたな。たまにはゆっくり休むといい、一条」
「ありがとうございます」
塔長は含みのない笑みを見せ、そのまま病室を後にした。柊も間を置かずに彼女に続く。病室には私と合崎の二人だけが取り残された。
穏やかな静寂が訪れる。合崎はサイドテーブルに飾られた人工花に手を伸ばし、ぼんやりとその花びらを眺めていた。
「……信じて、いいと思うか?」
沈黙を破ったのは合崎だった。彼の視線は人工花に注がれたままだ。
「何をだ?」
「さっきの、塔長の言葉」
二度と私たちを引き離すような策は取らない。本当ならばどんなによいだろう。一応、発言者は院長であることから信憑性は高いのだろうが、素直に喜んでいいのか迷うところだ。
「……もし本当なら、嬉しいと思うよ」
答えに迷った挙句、私は正直な気持ちを口にした。合崎の視線が私に向けられる。やがて彼は、切なげな微笑を浮かべた。それは「空兄様」の笑みに近い、とても優しいものだった。
その笑みに応えるように私も頬を緩める。本当かどうかも分からない大人の言葉一つで、こんなにも心を躍らせてしまうなんて。私も合崎もつくづく憐れだ。
こんな風に笑い合えるのならば、忌々しいとばかり思っていたこの記憶力も悪いものではないのかもしれない。何度だって私は、この瞬間を味わうことが出来るのだから。
今、私がこんなにも嬉しいのは、彼のいる未来を想っているからだろう。たとえ、再び彼と引き離されたとしても、私はきっと彼の許へ帰ってみせる。二人で過ごせばいつか、暗い過去を乗り越えられる日も来るかもしれない。
だから、どうかその日までは、
一緒に生きてもいいかな、空兄様。




