第48話
合崎を支えたまま、私は肩に乗せられた合崎の頭に軽く顔を寄せた。孤児院にいたころとは、まるで逆だ。私はいつも、空兄様に抱きしめられてばかりだった。けれども、こうして空兄様を支えられるくらいには、私も成長したのだなと思わされる。
彼は私に縋って生きていると言ったけれども、それはお互い様だった。私たちは互いに依存していると思う。それは純粋な想いから来るものではなく、同じ暗い過去を持ち、無理矢理帝国の未来を背負わされた境遇によるものだと分かっているが、それでも手放せなかった。
そんなことに、聡いはずの合崎が気付かないなんて何だか可笑しい。彼がこの苦しみから救われるならば、私は何をしてもいいという覚悟さえ持っているのに彼は一向に気づく気配を見せない。
「……憐?」
不意に耳元で、少し掠れた声が私の名を呼んだ。見ると、合崎は眩しそうに眼を開いていた。
「……目が覚めた?」
合崎の瞳に浮かぶ闇も、先ほどのように深くはない。どちらかといえば、いつも通りの怜悧な彼の瞳だった。
彼はそのまま数秒間私を見つめると、慌てて私から身体を離した。先ほどまでのことを覚えていないのか、かなり慌てている。やはり、錯乱状態だったのだろう。
「えっと……悪い。何してんだろ」
合崎は自分の額に手を当て、軽く視線を泳がせた。これほど動揺するとは思っていなかったが、珍しい合崎の姿を見るのは悪い気分ではなかった。
「傷に障っただろう、本当、悪かった」
謝罪を繰り返す合崎に、思わず笑ってしまった。戸惑い気味な彼の目が遠慮がちに私を見つめている。
「いいよ、このくらい。先に抱きしめたのは私なんだから」
「え?」
合崎の表情にさらなる戸惑いの色が広がっていく。普段は冷静を装っているくせに、私の一言で困惑する合崎を見るのは面白かった。
「本当に何も覚えていないんだな。忘れられるって羨ましいよ」
「……本当に悪かった。錯乱状態のときは正気じゃないから、何か変なこと言ってても気にしないでくれ」
必死に言い訳を始める合崎に思わず笑ってしまった。
「へえ、私は嬉しかったのに、残念だな」
「……俺は、何か言ったのか?」
「お望みならば一言一句違えず教えてやろうか?」
いつかと同じセリフを吐いて、にこりと笑ってみせる。合崎は数秒間考え込んで、やがて私から視線を逸らした。
「いや……やめてくれ。次からは……全力で拒否していいから。速やかに人を呼んでくれ」
「でも、あの状態の合崎をそんな風にあしらったら死にそうだからな……」
とうとう合崎は頭を抱えてしまった。どうやら私は、彼をからかういい切り札を手に入れたようだ。
「頼むから忘れてくれ……憐……」
「無理だな」
錯乱状態のときの彼の言葉は恐らく本心だ。普段の合崎の涼しい表情の下に隠された思いに触れられる唯一の機会だ。
私はふっと微笑んで、疲れた様子の合崎を見つめた。思えば咲さんの病室からこちらへ直行してきたはずなので、心身ともに疲れていて当然だろう。
「……そろそろ消灯だ。合崎も、もう休んだらどうだ?」
「……そうだな」
合崎は曖昧に笑ってみせた。改めて咲さんのことでも考えているのか、彼の目が物悲し気に揺れる。その心を図々しく聞くのも気が引けるので、なるべく他意のないように私は合崎に告げた。
「……何か、話したくなったらいつでも聞くからな。普段通りの合崎でも、錯乱状態の合崎でも……絶対に聞くから」
数秒間、二人の目があった。やがて、彼は「空兄様」のような笑顔を浮かべる。
「ありがとう。……いつか、きっと話すと思う」
私も静かに微笑み返した。彼が話してくれるというそのときを待っていよう。それが何日後でも何か月後でも何年後でも構わない。彼が語ってくれた咲さんを、私は私の意志で忘れないだろう。
「おやすみ、憐」
彼は椅子から立ち上がって軽く私の頬に触れた。見上げた瞳からは、当然だがまだ悲しみは消えていない。
「……おやすみ、空兄様」
きっと明日には、何事もなかったかのように彼は笑うのだろう。本当の想いを隠すように。
でも、私がその想いに気づいているだけでも何か変わるのではないだろうか。やがて手を離し去って行く彼の後姿を見送りながら、いつかは彼を救えるのではないかという図々しくも淡い期待を抱いた。
「白」の大広間の正面扉は、その名を象徴するように巨大でどこまでも白い。私は、手渡された一輪の白い人工花をぎゅっと握りしめた。これは「ユリ」という実在した花をモチーフに作られた人工花らしい。そこらで見かけるようなものとは、桁違いに質がいいことは、美的感覚の弱い私でも分かった。僅かに甘い香りさえ漂ってくる。
遂に迎えた追悼式の今日、私は学院指定の純白の礼服姿で白い車椅子に乗っていた。隣に立つ合崎は、黒い礼服姿であり普段より改まった印象を与える。その面持ちは凛としていて、次期軍師としての威厳が十分にあった。彼もまた、白く見事な人工花を一輪手にしていた。
帝国の重役たちと学院の生徒が顔を揃え、祭壇には14の棺が並んでいるらしい。咲さんが亡くなったあと、続けて重体だった第五班の狙撃手の訃報も飛び込んできた。あの作戦で生き残ったのは私と合崎だけになってしまったのだ。
音森の遺体は、「白」に収容されたものの追悼式で祀られることは無いようだった。結果的に彼女が帝国に忠誠を誓っていたことは認められたが、それよりも彼女の一家が信者である事実の方が重視されたのだ。余計な混乱を避けるためにも、今回の作戦の犠牲者と共に音森を祀ることは見送られた。
この場に遺体はなくとも、彼女にも哀悼の意を捧げよう。密かに私はそう決意していた。追悼式は既に始まっており、私たちは献花のタイミングで正面扉から入場する手はずになっていた。やけに目立つ登場の仕方からしても、柊の言う通り私たち次期軍師の存在を世間に知らしめる目的はあるのだろう。
広間の外には要人警護の任に当たっているのか、数名の帝国軍人が整列していた。彼らは一様にフード付きの白い外套を纏っており、その表情を読み取ることは出来ない。彼らはこの「白」に属する軍の組織、通称「第六の塔」に属している軍人だ。この「白」で正式に「塔」と呼ばれる組織は、実際には第一から第五の塔までしかないのだが、非公式の存在である彼らは「第六の塔」を名乗ることを許されていた。もっとも、「第六の塔」は他の塔に比べると圧倒的に組織の規模が小さい精鋭部隊ではあるのだが。
最近知ったことだが、柊はその「第六の塔」の上層部として、軍の司令部に籍を置いているらしい。実戦的な部分は軍出身の司令官に任せているようで、柊の任務は専ら「白」や帝国軍と「第六の塔」との連携だという。私たちの教育係である柊がわざわざ一精鋭部隊の上層部を兼任する理由を考えると一つしか思い当たらない。
「……いつか、私たちは彼らの仲間になるのかもな」
白いフードをかぶり沈黙を保つ「第六の塔」の彼らは、はっきり言って不気味だ。その実力は確かだが、帝国軍の中でも浮いた存在であることは間違いない。
「柊が幹部だからな、その可能性は高いだろう。しかし、よりにもよって第六か……」
教育係である柊が上層部にいる以上、学院を卒業した後、私たちが「第六の塔」に配属されることは容易に想像できた。次期軍師と言えども、今の軍師は高齢ではあるがいまだ健在であるし、一旦どこかの部隊で経験を積まされるであろうことは想像の範囲内だ。
「でも、憐には白が似合うからいいかもな」
合崎はそんな呑気なことを言って笑った。目の前の扉の先では追悼式が営まれているというのに、緊張するような素振りは一切見せない。
「白が似合うのは、昔から変わらない。……きっと、いつか憐があの棺の中に入ってもその白さは変わらないんだ」
彼は私を買いかぶりすぎだ。私は白が似合うような、清廉な生き方はしていない。似合うとすれば、この先の棺の中で眠る咲さんのような人だろう。
やがて、傍に控えていた式典関係者から入場の合図が出る。いよいよだ。私は息を整えて、まっすぐに前を見据えた。




