第46話
サイドテーブルに飾られた人工花をぼんやりと眺める。人工花は一週間程度ならば色褪せることは無い。むしろ空気に長く触れていると、次第にその色は深く染まっていくのだ。昨日は可憐な印象だった花束も、今日は凛とした鮮やかさを誇っていた。
柊に真相を教えてもらった後、ほどなくして彼は端末で呼び出され、病室を後にした。もともと一日中一緒にいられるとは思っていなかったが、一人になるとやはり寂しいものだ。手を動かせないので、暇を潰す手段もない。
「憐姉様!」
不意に開けられたドアの先から、明るく澄んだ声が響き渡る。見るとドア付近には、制服姿の千翔と合崎が立っていた。二人ともその手には紙袋を提げている。
「お加減はいかがですか?」
二つに結った明るい茶色の髪を揺らしながら、千翔は軽やかにベッドサイドの椅子に座る。彼女の登場で病室が一気に華やいだ気がした。
「昨日よりずっといいよ」
「それは良かった! 千翔も嬉しいです」
屈託のない笑顔を浮かべる千翔とは反対側のベッドサイドの椅子に、合崎も腰を下ろした。
「ちゃんと安静にしてたか?」
「それはもうおとなしくしていたぞ」
合崎にさりげなく心配されているような気がしなくもない。彼の不器用な優しさも、千翔の素直な言葉と同じくらいに嬉しかった。
「柊から連絡があって、飲み物を飲む許可が出たと聞いたから……」
そう切り出した合崎は、先ほど手に提げていた紙袋から次々とレモンティーのパックを取り出す。千翔もそれに続くように紙袋から飲み物を取り出し始めた。大部分がレモンティーのようだが、微妙にパッケージが違う。あっという間に、私の目の前には15本ほどのパックが並べられた。
「最近話題の紅茶専門店に行ってきたんです! 全部味が違うんですよ!」
千翔は得意げに言い放った。成程、その類の情報ならば千翔は詳しいだろう。
「憐姉様にお勧めしたいのは、このハニーレモンティーです! まさに先輩のイメージにぴったり!」
嬉々として進めてくる千翔に悪い気はしなかった。それにしても、数が多い。思わず笑い出してしまう。
「味わって頂くことにするよ。折角だから、一緒に飲もう」
「はい!」
私は千翔に勧められたハニーレモンティーとやらを手に取ってみた。彼女の勧めてくれるものだから、きっと美味しいに違いない。
そんな中、不意に合崎に手を差し出される。思わず彼を見上げた。
「……なんだ?」
「貸せ」
「あげないぞ」
「……馬鹿だな」
そう言って彼は私の手からパックを掬い取ると、ストローを挿してから再び私に手渡した。微かに甘い香りが漂う。
「……ありがとう」
確かに片手でストローを挿すのは難しかった。思いがけない合崎の細やかさに、少々動揺してしまう。
「そ、空兄様にそんな気遣い出来たんですね……」
心底驚いたと言わんばかりに、千翔は私たちのやり取りと見守っていた。失礼な奴だな、と合崎は千翔を一瞥する。この二人も相変わらずだ。私はそんな二人を見つめながら、レモンティーを口に運ぶ。何日かぶりに口にする糖分は、想像以上に甘かった。
「そうそう、学院は今も暗い雰囲気ですが、そんな中でも空兄様と憐姉様のご活躍は噂になっていますよ!」
不意に、千翔はレモンティーを片手に目を輝かせて言った。
「今日、『至心の広間』でのお二人の銃撃戦の映像が公開されたんです!」
その言葉に、私も合崎も軽くむせてしまった。千翔は酷く驚いたように、慌てて私の背中をさする。
「大丈夫ですか!? 憐姉様」
大丈夫だ、と返しながらもその実はかなり動揺していた。あの銃撃戦が公開だなんて、聞いただけでも頭が痛い。大方、監視カメラの映像でも残っていたのだろうが、あれを公開する学院の気が知れなかった。
「あの銃捌き、素晴らしかったですね! 平然と戦い続けるお二人のあのお姿……妹ながら、惚れ惚れしてしまいます。特に、お二人で最後に同時に狙撃するあの瞬間には、ぞわっとしました。あの銃撃戦は『至心の戦い』と言われていて、今や学院の最注目トピックです!」
血飛沫に塗れたあんな姿が公開されたとは。これは千翔の前とは言えども、溜息をつかざるを得ない。この様子では、音森がいなくなった後の教室にもなじめそうになかった。
「もう、私まで注目されちゃってるんですよ! お二人と同じ班だからという理由で。私としては友人が増えるので、万々歳ですけれどね!」
どこまでもプラス思考な子だ。私たちが原因でいじめられたりしていないのならば一安心だが、事あるごとに下手に目立ってしまうのも可哀想に思えた。もっとも、当の本人はそんなことを気にしている様子は微塵もないので良かったのだが。
だが、あの映像を公開する学院も学院だ。生徒たちの精神面に与える影響を考慮しなかったのだろうか。それとも、この程度の映像を平然と見られるくらいでないと、帝国軍に入るなど夢のまた夢であると暗に言い聞かせているのだろうか。
いずれにせよ、千翔にはあまり見られたくなかったなと思う。今はよくても、いつか彼女が戦場に足を踏み入れるときが来たら、私たちの凄惨さに気づくだろう。それで嫌われるなんてことは考えにくいにしても、彼女の前でだけは最後まで「憐姉様」でいたかった。
「道理でいつもより見られてると思ったわけだ……」
合崎は呆れたように深く溜息をついて、レモンティーを口にする。
「空兄様の人気がまたしても高まったのを感じます! 合崎先輩になら撃たれてもいい……と話していた友人が何人もおりましたので」
「それは……また、変わったご趣味の友人だな」
苦笑いとともに精々そんな言葉を返すのが精一杯だった。合崎に撃たれてもいいだなんて、変わったことを考える生徒もいるものだ。合崎は本日何度目か分からない溜息をついて、軽く頭を抱えている。
そんな中、不意にノック音が響く。どうぞ、と返せばゆっくりとドアが開いた。その先でふわりと黒衣の裾が揺れる。柊だ。先ほどまでは白衣だったのに、今は正反対の色を纏っていた。恐らく、軍絡みの仕事の最中なのだろう。
「やあ、お楽しみ中すまないね」
小さく笑いながら、軍の司令部の黒衣姿で柊はこちらに近づいてくる。千翔は、慌ててその場に立ち上がり、敬礼をした。思えば、千翔と柊は初対面だ。軍の司令部の黒衣を纏っているということは、学院の教官よりもはるかに地位の高い軍関係者ということになる。すぐさま敬礼をした千翔の判断は、学院の生徒としては正しいものだった。
「ああ、水野さんも来てくれていたんだね。わざわざ憐のためにありがとう。そう硬くならなくていいよ。僕は憐と空の教育係で、この身分だってお飾りなんだから」
柊はそう言って、千翔に着席を促す。だがそう言われたところで緊張が解けるはずもなく、千翔は「承知いたしましたっ」と訓練張りの返答をしてきちんと椅子に座った。柊は少し困ったように笑っていたが、すぐに本題を切り出した。
「水野さんがいるなら、ちょうどよかった。少し、君たちの空兄様を借りて行っても構わないかな?」
突然の申し出だったが、断る理由もない。千翔に至っては、「どうぞお連れになってくださいっ」と、合崎に対する礼を完全に欠いた返事をする始末だ。確かに、学院の教官長でさえ精々将校レベルであり、軍の司令部の人間になど、帝国軍に入軍しても出会うかどうかわからないような存在だ。もっとも、軍師が事実上の帝国軍トップを務めるので、千翔のその過剰な敬礼は、普段、次期軍師を相手に談笑している者にしては少々奇妙にも思えるのだが。
合崎は手にしていたレモンティーをサイドテーブルに置くと、素直に立ち上がり柊の傍へ寄った。柊は笑ってこそいるものの、目は真剣そのものだ。合崎も、何かあると察したのだろう。
「悪いね。じゃあ、ちょっとお借りするよ。水野さんはごゆっくり」
柊は紳士的にそう告げて、私たちに背を向けた。合崎も一瞬私たちのことを見つめていたが、すぐに柊の後に従う。二人の後姿にぼんやりとした不安を覚えた。何事もなければよいのだが。
「……緊張しました!」
ドアが完全に閉まったのを見て、千翔は大きく深呼吸をしていた。無理もない。突然、司令部レベルの軍関係者が訪れたら緊張して当然だ。私は苦笑しながらも、彼女の気をなだめる。
「……それにしても、空兄様がだいぶ元気になったようで一安心です」
ひとしきり、深呼吸をし終えた千翔は不意にそんなことを口走った。彼女も、情緒不安定な合崎を心配していたのだろう。
「まあ、あれだけ皮肉を言えるくらいなら、もう大丈夫だろう」
「憐姉様も素直ではありませんね」
くすくすと千翔は笑い、レモンティーを口にする。
「――……このレモンティー、買いに行こうと言いだしたのは空兄様ですよ」
どこか大人びた表情で、千翔は微笑む。私は思わず左手で持ったレモンティーのパックを見つめた。
「何がいいのか分からないから教えてくれとおっしゃったので、私が専門店へお連れしたのです。珍しいですよね、あの空兄様が人に頼みごとをするなんて」
別に普通のレモンティーでも、私のために用意してくれるだけで嬉しかったのに。妙なところで優しいから私はいつも気づけない。今までだって、見逃してきた優しさが数えきれないほどあっただろう。それでも彼は何も言わない。見えないように、気づかれないように不器用な優しさを積み重ねていく。
そんな彼の存在が本当に温かくて、不覚にも微笑んでしまう。心が温かいもので満たされていく気がした。やはり、彼は私の大切な「空兄様」なのだ。
少しぬるくなったレモンティーも、ちっとも不味いとは思わなかった。穏やかな甘さが心地よい。そんな私を見つめながら千翔も少し微笑んで、再びレモンティーを口にした。




