第40話
「本当によかったよ、憐。どんなに心配したか……」
柊が手で私の髪を梳きながら、もう何度目か分からないその言葉を告げる。私の意識が戻ったという知らせを聞いた途端、彼は私の病室へ飛び込んできて数分間抱きしめて離さなかった。心配なんて言葉では言い表せないほど、彼は私を気にかけてくれていたようだ。
その後、私は精密検査のため一旦病室を後にしたが、一通りの検査を受け終わり帰ってきたところだった。仕事が忙しいはずの柊も、合崎と共に病室でずっと待っていてくれた。
まだ自由に体は動かせず、右手の感覚はないままだが、目覚めた直後よりは随分と軽くなったように思う。
「目覚めなくてもおかしくないと言われたときには、もう、どうしようかと思ったよ」
あれだけ死を覚悟しただけあって、やはりそれなりに危ない状況には陥っていたらしい。聞くところによると、10日間は眠っていたようだ。
合崎の怪我は私ほどではないらしく、この10日間の間に相当回復したようで、殆どいつも通りだ。軽い火傷を負った程度だというから、悪運の強い奴である。
「ところで目はちゃんと見えてる? 目覚めても失明の可能性があるって話だったんだよ」
柊が私の目元に手を当て、私の瞳を覗き込む。過保護な柊らしい行動だ。だが、間近でその綺麗な瞳に見つめられると何だか照れてしまうので、思わず視線を逸らしてしまった。
「柊、いい加減にしろ。憐が疲れるだろ……」
合崎の呆れたような溜息を聞いて、柊は渋々私の目元から手を離す。いつも通りの私たちだ。この絶妙な距離感と会話のリズムに、帰ってきたのだと改めて実感する。思わず、くすくすと笑ってしまった。
「……憐が、こんな他愛もない会話で笑うなんて、後にも先にも今日だけだろうな」
合崎はぽつりとそんなことを言ってのける。感動の再会から30分も経った頃には、既に合崎はこんな調子だった。柊とは大違いだ。
普段なら苛立つところであるが、合崎の皮肉めいた言葉すら嬉しくて、ついつい微笑んでしまう。合崎はそんな私を見る度に、調子が狂うと言わんばかりに視線を逸らしていた。
「一週間ほどしたら、車椅子で移動できるようになるから頑張るんだよ、憐」
柊は、私の亜麻色の髪を編みながらそう励ましてくれた。病院服姿に三つ編みなんて、いかにも怪我人らしい見た目だ。
「……柊、お前、そんな器用なこと出来たんだな」
合崎は、私の髪を三つ編みにする柊の手捌きを見て、驚いているようだった。実際、私も同じ気持ちである。私が自分で編むより、ずっと上手いのではないか。柊は手先の器用な人だということは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「昔はよくこういうことしてたからね。慣れてるってだけだよ」
何でもないことのように言い放った柊だったが、私と合崎の視線を集めていることに気づいたのかそれ以上は何も言わなかった。柊が過去のことをちらつかせるなんて珍しいこともあるものだ。私の意識が戻って、気が緩んでいるのだろうか。
「……ほら、できたよ」
柊の手によって編まれた三つ編みは、綺麗に整っていた。普段は下ろしっぱなしの髪だが、たまにはこういうのも悪くないと笑みが零れる。
「さてと、名残惜しいけど仕事があるから僕は行くよ。何かあったら空に言ってくれ」
柊の手に軽く頭を撫でられる。私は彼を見上げ、言葉の代わりに微笑みを返した。柊もそれに応えるように頬を緩めてくれる。
病室を出ていく柊の後姿を見送ると、病室内には私と合崎だけが残された。ベッドを少しだけ起こして貰っているので、視線は合わせやすい。
「……今日は、よく笑うんだな」
まるで独り言のように合崎は呟いた。私は視線を彼に送る。目が合うと彼はふっと笑った。
「……悪くないと思うぞ」
相変わらずの上から目線だ。言い返す言葉もないので、ただ微笑み続ける。そう言った合崎だって、今日は笑う回数が多いではないか。
レモンティーのパックにストローを挿し、何気なく飲む彼が羨ましかった。今日、明日くらいまでは飲食禁止と言われてしまったので我慢しなければならない。許可が出たら、真っ先にレモンティーが飲みたいものだ。
「さっき、千翔に連絡したから放課後には来るだろう。あいつ、見舞いに来る度泣いてたぞ」
ベッドサイドで、目を覚まさない私の姿を見て号泣する千翔の姿は容易に想像できた。危うく、千翔との約束を果たせないところだったのだ。会ったら必ず、抱きしめてあげようと心に決める。
それにしても、と私は合崎に視線を送る。目覚めたときから抱いていた疑問ではあるが、シャッターに行く手を阻まれ、炎に巻かれていたあの状況から、私たちはどうやって生き延びたのだろう。あの場から立ち去るには階段を使うしかないが、階段はシャッターの先にあったはずだ。無論、閉じ込められたあの20メートルの間にエレベーターもない。現実的に考えて、あの場から生還することなど不可能であるように思えるのだ。
「……何か難しいこと考えてるのか? 起きたばかりだっていうのに」
合崎は苦笑いを浮かべる。私はいつもの調子で口を開くが、やはり声は出なかった。そんな私の様子を見て、合崎はポケットから端末を取り出すと、メモの入力画面を私の目の前に投影させる。
「言いたいことがあるならここに書けばいい」
言いたいことも聞きたいことも山ほどある。何から始めるべきかと逡巡しながら、私は左手をディスプレイへと伸ばした。




