第39話
無機的な電子音が響いている。重い瞼の先に、淡い光を感じた。
薄く瞼を開いてみると、白い光が目に刺さってきた。痛みにも似た衝撃に、すぐに瞼を閉じる。たったこれだけのことで、既に随分と疲労を感じていた。
ここは、どこなのだろう。
徐々に覚醒してきた思考で、記憶を手繰り寄せる。電子音と白い光。すぐにわかった。
ここは、「白」の中だ。
少しでも辺りを確認しようと、再び薄目を開く。体は重くて動かない上に、ところどころ刺すように痛んだので動かすことは断念した。顔に違和感を感じると思えば、口と鼻を覆うように酸素マスクがつけられている。無機的な電子音の正体は、ずらりと並んだ医療器具類のものだった。私の体には沢山の管が繋がれていて、生きた心地がしない。
そう思ってから、ふと気が付いた。
私、生きているじゃないか。
あれ程泣きながら死の恐怖と闘ったわりに、目覚めた世界はいつも通り。悪い夢でも見ていた気分だ。
少しずつ、体に感覚が戻っていく。そうしてようやく、私は左手に違和感を覚えた。首を動かすと痛むので、視線だけで左手の方を確認する。
そこには、合崎がいた。ベッドサイドの椅子に座り、私の手を握ったまま、上半身だけベッドに伏せるようにして眠っている。その寝顔には明らかな疲労が滲んでいた。
彼も、無事だったのだ。嬉しさと安堵が一気に押し寄せて、涙が滲みそうになる。
ふと、合崎が軽く身じろぎした。廊下の方から僅かに聞こえてくる足音や話し声からしても、今は朝なのだろう。しかし、起きる気配を見せる合崎を前に、私は思わず瞼を閉じてしまった。視界が霞んだせいもあったかもしれない。
「……」
合崎が体を起こす気配がした。一度瞼を閉じてしまったものは仕方がない。第一声も考えていないことだし、このまま眠ったふりを押し通そう。私はなるべく自然に、瞼を閉じるように心掛けた。
「……憐」
疲労と失望感が混じった声で、合崎はぽつりと呟いた。彼のこんなにも暗い声を聞くのは、「実験」の直後以来ではなかろうか。目を閉じていてよかった。悲し気な表情を浮かべる合崎なんて見たくない。
ふと、合崎は私の手を握ったまま立ち上がり、私の耳元に顔を寄せた。予想外の行動に睫毛が震える。彼はもう片方の手で私の頬に触れると囁くように告げた。
「……憐、おはよう。もう朝だぞ、まだ眠ってるのか」
静かに囁かれるその声に、胸が熱くなる。相変わらず素直ではない言い回しなのに、言葉の一つひとつが優しすぎて、油断すると泣いてしまいそうだ。
「……今日、憐が目を覚ましてくれる夢を見た。夢でもこんなに嬉しいとは思わなかったよ」
彼は耳元で小さく笑った。それと対照的に、私の目には涙が溜まる。
「でも、あまり我儘は言わない。……憐、今日も生きていてくれてありがとう」
そう言って彼は体を起こすと、私から手を離した。やがてドアが開閉する音がして、病室は静寂に包まれる。
彼は、一体どんな思いでこうなった私を見てきたのだろう。考えるだけで胸が苦しい。ただでさえ情緒不安定な彼に、こんなにも心配をかけてしまうなんて。霞んでいる視界が涙で歪む。不器用な「空兄様」の優しさが痛いくらいに身に染みた。
次こそは、きっと目を開いていよう。酸素マスクを着けたままで声が出るのかは分からないが、せめて微笑みかけるくらいはしよう。こんな状態の私でも、合崎を笑顔にすることが出来るのならば、今度は私が彼を救う番だ。
そうこうしているうちに、病室のドアが開いた。朝食のパンらしきものとレモンティーの入った袋を提げた制服姿の合崎が入室してくる。やはり、随分と暗い面持ちだ。
彼は俯き気味に視線を伏せたまま、再びベッドサイドの椅子に座った。手にしているパンもあまり食べる気はないようで、レモンティーのパックだけを取り出していた。ひどく沈んだ目だった。
合崎は完全に塞ぎこんでしまっているようだった。いつかの錯乱状態の床の彼の姿と重なる部分がある。私が彼の精神状態をそこまで追い詰めてしまったのだろうか。考えるだけで、涙が一粒零れ落ちた。
その瞬間、不意に顔を上げた合崎と目が合う。視界はまだ霞んでいるが、このくらいの距離ならば十分に見える。数秒間、私たちはお互いに茫然と相手を見つめていたが、やがて合崎はゆっくりと立ち上がり、私の頬に触れる。途中で、レモンティーのパックが床に落ちる音がした。
微笑もうと決めていたのに、涙が止まらなかった。私はいつもこうだ。肝心な時に大切なことが言えない、笑えない。けれども合崎の姿を見ると、涙が止まらなくなってしまったのだ。
「……憐? 目が、覚めたのか……? それともまた、幻覚かな……」
私の頬に触れる彼の手は震えていた。言葉を返そうと試みるも、唇が微かに動くだけで声が出ない。代わりに、何とか微笑んでみせる。こんな拙い笑みでも、合崎にはこれが現実だと伝わったようで、暗く沈んだ彼の瞳に光が差した。
「憐……憐っ……」
彼は私に顔を寄せて、額を付けた。普段は私よりも体温の低い彼が温かく感じる。
「よかった……憐……また、会えた……」
泣き出しそうな勢いで、彼は言葉を紡いでいた。僅かに声が震えている。私はただただ彼に微笑みを返した。
「――お帰り、憐。ずっと、待ってた」
そう告げた彼の笑顔にまた少し涙を流して、「白」に帰ってきたことを実感するのだった。




