第35話
千翔との約束、守れなかったな。
ぼんやりとした意識の中でそんなことを思った。まるでうたた寝でもしているような気分だ。
千翔は、きっと泣くんだろうな。私を姉と慕ってくれる彼女のことだから、きっとそれはそれは悲しんでくれる。涙を浮かべて私の棺に縋る彼女の姿が目に浮かんだ。
柊は、大丈夫かな。私がいなくなったらきっと、過保護な彼のことだから寂しがってしまうだろう。もっと素直に、甘えておけばよかった。
レモンティー、もう飲めないのかな。あんなに見飽きた「白」も、もう見えなくなるのかな。もう、誰のことも思い出せなくなるのかな。
何だか、溶けそうなくらいに熱いな。どこもかしこも切り裂かれたみたいに痛い、痛くて仕方がないよ。
こんな私を見て、空兄様は何て言うかな。
笑ってくれるのかな。
どうか、笑ってほしいな。
そうして、憐を忘れてほしいな。
憐がいたことを全部、嘘みたいな作り話にして、憐を無かったことにしてほしいな。
ねえ、空兄様。
痛みと熱さに、不意に目を覚ました。あの微睡が一瞬のことなのか、それとも長い時間が経ったのか、それすらも分からない。銃創が今にも叫びだしそうなほどに痛むが、最早絶叫する気力も残されていなかった。掠れた声で小さく呻くことしか出来ない。
霞んだ視界ではっきりとは確認できないが、どうやら爆発で飛び散ったがれきの下敷きになっているようだった。その隙間から、橙色に揺らめく炎が見える。熱気はそのせいなのだろう。
胸が息苦しく、呼吸をする度に痛む気がした。がれきの下敷きになった際に、新たに負傷したのかもしれない。だが、今となっては傷が増えようが増えまいがどうでも良いことだった。この様では、直にこの命は絶えるのだろう。
あと数分、ほんの少しだけこの痛みに耐えれば、私は解放される。満身創痍の体で、意識さえも靄がかかったようにぼんやりとしているのに、痛覚だけちゃんと残っているなんて皮肉なものだ。
腹部が、杭で打たれたように痛かった。自然と目に涙が溜まり、もう感覚のない右手を左手で掴んで自分の体を抱きしめる。
死んでしまうって、どういうことなのだろう。
必死に痛みに耐えながら、混濁する意識の中でそんなことを思った。私が今日、葬ってきた数十人の研究員たちと同じ末路だ。
彼らにはきっと家族がいて、愛する人がいて、そして愛されて今日まで生きてきたのだろう。そんな彼らの明日を、私がこの手で奪ってしまった。彼らの秒針を、私が止めてしまったのだ。彼らはもう、彼らの愛する人の未来には現れない。それは酷く悲しいことだった。
神様なんて信じない。異端とされている「外」の世界の「天」からの罰があるだなんて思わない。けれども、世界が何らかの報いの連鎖で成り立っているのならば、きっと逃れられないのだろう。私が殺めた何十人もの命の代償に、今日、私は死ぬのだ。
どうせ死んでしまうのならば、寂しく笑う彼の分の罪も背負って逝かせてほしい。いつか戦場に足を踏み入れるあの子の痛みを、道連れにしたい。
不意に、呼吸が急に早まった。胸が苦しい。体中が痛み、頬に涙が伝うのが分かる。視界が眩んでいくようだ。
死ぬのはもっと痛いのだろうか。どんなに苦しいのだろうか。今のこの状況よりも、もっと酷い現象だというのならば、肩が震えるほどに怖かった。
「――……っ! 憐っ!」
私の名を叫ぶ声が聞こえる。ついに幻聴まで聞こえてしまった。また一歩、死に近づいた証だろうか。だが、その幻聴は空兄様の声によく似ていて悪くない。死の恐怖も、少しは紛れるというものだ。どうせなら千翔と柊の声も聴きたいな、などと呑気なことを考えられる余裕ができた。たとえ幻でも、空兄様と千翔、柊を傍に感じられれば、安らかに終われそうだ。
「――憐! 憐!!」
不意に、覆いかぶさっていた重いものが無くなる。霞む視界に、揺らめく光が差した。
「――――憐っ!!」
悲痛な声が、すぐ傍で響く。黒グローブの手に、体を抱き起された。そうしてそのまま、私の傷を庇うように抱き寄せられる。
「憐っ! 大丈夫か? 今、手当てしてやるからな」
空兄様によく似た声だ。霞む視界にぼんやりと、人影のようなものが私の顔を覗きこんでいるのが見える。私は震える左手でその人影に手を伸ばす。すぐに黒グローブを付けた手にぎゅっと握られた。確かな感覚がある。どうやらこれは、現実に起こっていることのようだ。
「……空……兄様……なの?」
予想以上に私の声は弱々しかった。燃え上がる炎の音に負けてしまいそうだ。
「そうだ。空兄様だよ、憐。もう、大丈夫だから……」
「……そこに、いるの?」
揺らめく空気の中では、霞む視界では分からなかった。焦点が合わず、全てが水に滲んだようにぼやけている。
「――憐、見えてないのか!? すぐ傍にいるのに……」
「すぐ……傍にいるの……? 良かった……」
彼が、空兄様が来てくれた。それだけでもう怖くない。自然と笑みが零れる。
ふと、私の手を握る彼の手が震えているのが分かった。ここはこんなにも暑いのに、なぜだろう。私は彼の手をそっと握り返す。
「震えているの……? 空兄様」
「……うん」
「……どう、して?」
「どうしてだろうね」
彼は私を強く抱きしめて顔を寄せた。傷は痛むはずなのに、不思議と不快には思わない。
「変な……空兄様」
額と額が触れ合うのが分かった。彼の深い色の瞳は、私を見つめているのだろう。その目もとは少しだけ笑っているようにも見えた。
「空兄様、笑っているの……?」
「うん、笑っているよ」
あたりのあらゆるものが燃えていく音が、まるで遠い世界のことのように感じられる。ここはきっと非現実だ。
「どうして、笑ったの……?」
「憐が笑ったからだよ」
その言葉に思わず笑みが零れる。だが、何か大切なことを忘れているような気がした。私が忘れるだなんて、ありえないことなのに。
その瞬間、今までとは比べ物にならない激痛が襲った。




