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スノードームを殺してくれ  作者: 染井由乃
第1章 空の憐れみ

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第33話

 人工知能の音声が、狂ったように人気のないフロアに響く。爆発の影響を受けているのか、あらゆるシステムに異常を来しているようだった。いよいよこの建物も終わりなのだ。


「いたぞ! 学院の生徒だ!!」


 不意に、後方からそう叫ぶ声が聞こえてくる。すぐさま足を止めて振り返れば、数名の研究員たちが銃を片手に追ってきていた。


 合崎は私の手を引き、有無を言わせず自分の背後へ追いやると射撃を開始した。今までとは比較にならない早さだった。合崎はまだ顔もよく見えぬ相手の頭を狙って、速やかにその命を奪っていく。その躊躇いの無さは最早学生のものではない。僅か数十秒で追っ手を全員絶命させ、私の手を取り走り出す。


 こんな鮮やかな手さばきは、プロの軍人でもそうそうできるものではない。共に育ってきた相手とは言えど、畏怖の念を抱いた。痛いほど、強く握られた左手に込められた思いは何だろう。比類ない実力を発揮するときの彼の後姿は、いつだって少し寂しそうだ。


 鈍い爆発音とともに、建物が振動する。今度は上のフロアらしい。着々と崩壊のときは近づいているようだった。


 再び合崎の足が止まる。行く手に研究員たちの姿が見えた。彼らがこちらに気づいたか否かという時には、既に合崎の持つ銃の引き金は引かれていた。甲高い悲鳴と絶叫が響き渡る。合崎は彼らに、攻撃する隙も逃げる時間も与えなかった。私が手伝うまでもない。彼らは、きっと状況を把握しきれないままに絶命しただろう。


 すぐに合崎は私の手を取り走り出した。走るたびに傷は痛んだが、贅沢は言っていられない。東西分離シャッターまであと100メートルほどだ。西側の崩落までに、あと5分を残していた。


 合崎は血だまりの中を何の躊躇もなく突き進み、僅かに聞こえてくる断末魔さえ平然と無視して進んだ。足元には、まだかすかに息のある研究員が横たわっている。帝国の法律によれば信者は人間の定義から外れるとは言えども、生きている命は確かにここにあるのだ。その事実を重く受け止め、私たちは生き延びるために彼らの命を踏みにじる。


「助……けて……」


 今にも消え入りそうなか細い声は、私たちに向けられたものではないのだろう。それでも確かに聞こえてきた。思わず振り返るも、合崎の手は私が立ち止まることを許してはくれなった。

 

 どのみち、無数の銃創から大量に出血している状態では、私が駆け付けたところで出来ることなどありはしないのだ。それをよくわかっているのに、立ち止まろうとするこの意志は何なのだろう。泣き出しそうなほどに重いこの感情の名を私は知らなかった。


 何も考えるな。考えてはいけない。作戦が始まってから何度も繰り返してきたその言葉をもう一度繰り返す。今はただここを脱出することだけを念頭に置いていればよいのだ。この作戦に余計な感情を持ち込むのは間違っている。


 合崎がすぐ傍で放つ銃声に、ふと我に返った。先ほどの銃声を聞いて駆け付けたのか、目の前には数名の研究員たちが立ちはだかっていた。今度は彼らも応戦しているようで、合崎は私の前に立って庇ってくれている。私も左手で銃を持ち、辺りを警戒した。


 銃声の中で、性質の異なる音を聞き取る。先ほどから続く爆発音だ。上のフロアからも下のフロアからも聞こえてくる。今更になって、この建物は崩壊するのだという実感が湧いてきた。壊れ行くフロアに残された遺体は、この建物の終末と共に燃え上がるのだろうか。


 合崎は行く手を阻んでいた研究員を撃ち倒すと、休むことなく足を進めた。重なるようにして倒れた数人の研究員たちのすぐ傍を通り過ぎる。


 その瞬間、赤に塗れた絶命間際の女性と目が合った。彼女は大きく目を見開いて、この場にそぐわぬ穏やかな笑顔を浮かべる。


「アザレア……さま……」


 震えながらも、ひどく嬉しそうな声で彼女はそう言うと、すぐに動かなくなった。死の間際に幻覚でも見たのだろう。こんな悲惨な戦場で、笑って死ねるのなら彼女はまだ幸せだ。

 

 血溜まりの中で、靴に血飛沫が跳ねる。この光景を生み出したのは、合崎なのだ。そう思うと少し、胸の奥が痛む。私だって、今日だけで何十人もの人間を絶命させてきたのだから彼を責める権利などあるはずもないが、一人殺す度に深くなるような彼の瞳の色が痛々しくて仕方がなかった。


 東西分離シャッターまで、あと50メートルほどだ。非常階段の入口が見えている。東西分離シャッターを超えてしまえば、後は非常階段を下るだけだ。十分に勝機はある。

 

 東西分離シャッターとは別に設置されている非常用シャッターは素人目に見ても分かるように設置されていた。ざっと見て30センチメートルくらいの厚さのシャッターが20メートルくらいの間隔で天井に内蔵されている。東西分離シャッターは1メートルほどの分厚さがあり、一際大きかった。これに行く手を阻まれてしまえば、一巻の終わりだ。いくら銃で撃とうが貫通しないだろう。十分注意を払う必要がある。


 そうしてようやく、私たちは東西分離シャッターを超えた。ここから次の非常用シャッターまでの間に非常階段があるので、この20メートルだけは安全だ。


「非常階段へ急ごう」

 

 合崎は私を軽く振り返って告げた。命を守るためには一刻も早い脱出が不可欠だ。私は頷き返し、非常階段の入口で安全確認を行う彼の傍に身を寄せた。合崎の制服のシャツには点々と返り血が付着しており、頬についた血さえも拭わずに真剣な表情で警戒していた。


「……下から来る。気をつけろ」


「了解」


 私の耳にも、階下から近づく足音は届いていた。階段での銃撃戦は高低差が出て危険だ。しかし、合崎は挑むつもりらしい。


 もうすぐだ。この階段さえ降り切ってしまえば恐れることなど何もない。千翔の笑顔に「ただいま」と告げることも、「白」の自分の部屋で柔らかい毛布に包まれながら心行くまで眠ることも出来る。


 私は軽く深呼吸して集中力を研ぎ澄ませた。無事に帰ってみせる。約束を果たさずに、死ぬわけにはいかないのだから。

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