第31話
「ねえ、そんな怖いものを向けないで」
歌を歌っていた綺麗な黒髪の女性は、そう切り出した。清潔な白衣をきちんと着こなし、シンプルなワンピースがその怜悧さを引き立てている。「白」にいる女性たちと変わらない、理知的で品のある女性だった。こんな女性でも本当に信者なのかと疑いたくなる。
「あなたたち、誤解してるわ。私たちは、仲間なのに」
その女性の澄んだ声には、歌声同様に何か惹かれるものがあった。無論、私たちは応じずに射撃体勢を保つ。彼女はそんな私たちを前にして、淡々と続けた。
「……可哀想に、帝国に洗脳されて。こんなに若いのに、過酷な運命を背負わされて……」
彼女はゆらりと一歩近づいてきた。それに応じるように、合崎が引き金に指をかけるのが分かる。この距離だ。彼女も気づいているはずなのに、その穏やかな微笑みを崩すことはなかった。
「ねえ、軍人としてではなく、普通の人生を歩むのはどうかしら? 帝国に支配されずに、自分の意志で生きてみるの」
私たちに返事をする隙も与えずに、彼女は畳みかけるように続けた。
「人が死んでいくのを見るのは楽しい? いずれ、隣に立つ仲間を失うかもしれない不安を抱えてこの先ずっと生きていくの?」
どうやら、彼女は私たちを「影」に勧誘する気らしい。この期に及んで大した度胸だ。私たちが次期軍師であることを知った上での誘いなのかは分からないが、こんな安っぽい勧誘にのせられるほど帝国の教育は甘くない。
「私たちと共に来れば、もう、怯えることなど何も無いわ。手を取り会って、正義を謳って、正しく生きることが出来る。ねえ、私たちと一緒に来ない?」
学院の先輩方のような気さくさで、女性は言った。清楚で面倒見の良いお姉さんといった雰囲気だ。この優しい微笑みに絆されて、信者になる人も中にはいるのだろう。
ふと、隣で合崎が溜息交じりに苦笑する。彼のこの余裕はどこから来るものなのだろう。彼の不安定な瞳は、相手の女性をしっかりと捉えていた。
「生憎、死の世界に興味はない。それに、帝国もそう悪いものじゃないんでね。お断りだ」
「あなたは気づいていないだけ――――」
「何を言っても無駄だ。俺らは『影』に取り込まれたりしない」
合崎は、彼女の言葉を遮ってきっぱりと言い切った。それでもなお、女性は微笑み一つ崩さない。
「……あなたたちは私を『影』と罵るけれど……それでは、あなたたちは『光』だとでもいうのかしら」
彼女の強く問いかけるようなその瞳に、私は僅かに戸惑った。信仰が生み出す強い光が彼女の瞳には宿っている。「影」の信者としての誇りがそこにはあった。
私たちが「光」。そんなことは考えたこともなかった。「影」は「影」で弾圧するものとしか見なしていなかったのだ。次期軍師の私でも、やはり一部洗脳が入っていることは否定できそうにもない。
それでも、私は間違った人生を歩んでいるとは思わなかった。帝国に忠誠を誓い、未来を捧げ、穏やかに慎ましく暮らす帝国民のために戦っているのだ。大切な人と、もう一度笑い合うために命を懸けている。壊すことしか知らない「影」に、私たちの生き方を否定される筋合いは無かった。
「『光』かどうかは知らないが、少なくともあなたたちとは違う」
私は、はっきりと告げた。女性は微笑んだままふっと目を細める。
「――そう。残念だけど、そこまで言うなら仕方ないわね。来世では是非、検討してみてね」
その瞬間、発砲音が響き渡る。女性の後ろに控えていた研究員たちが発砲したのだ。彼らの弾もまた、正確性に欠けていた。戦闘力の面では私たちの方が遥かに上であることは明らかだった。落ち着いて戦えば、難しいことは何もない。
すぐに相手方の一人が倒れ、苦しそうな呻き声が鮮明に聞こえてくる。そちらに注意を向けることもなく、私は残る研究員たちを撃ち続けた。
薄暗さは、予想通り大きな障害となっていた。予想だにしないところへ銃弾が飛んで来る度、冷や汗が伝う。この銃撃戦では、気配の察知と瞬発力が鍵となっていた。早めに切り上げて先に進むに限る。
また一人、甲高い悲鳴を上げて床に倒れていく。残る3人も至る所を負傷しており、結果は目に見えていた。もう一息だ。
暗がりから放たれる銃弾を避けながら、相手の頭を狙って発砲する。彼らは完全に避けきれていない。銃弾が掠った傷は相当痛いだろうに、負け戦によくもそこまで懸命に挑めるものだ。
ふと、他の研究員たちから少し下がったところで、例の女性が悲し気に微笑んで白衣のポケットに手を入れたのが分かった。何でもない仕草なのに、その表情がやけに引っかかる。彼女は私の視線には気づいていない様子で斜め上を見上げるようにして非常階段入口の傍にある柱を見つめた。そこに、赤く点滅する小さな光と数字を見る。
学院で習った知識がフラッシュバックと同等の早さで蘇った。あれは、教科書で見たことがある。確か、あれは――。
——爆破装置だ。
それが分かった瞬間に、私は合崎の方へ駆け出していた。もう時間がない。私は合崎に手を伸ばしながら叫んでいた。
「――――空兄様っ‼」
なぜ、「合崎」ではなくその呼び名を口にしたのかは分からない。驚きに目を見開く彼を押し倒して、咄嗟に庇う体勢をとる。それとほぼ同時に、背後から耳をつんざくような爆発音が響いた。
熱風と大きな振動と共に、バラバラと破片が飛び散ってくる。思わず、合崎を庇う手に力がこもった。背中に何やら重いコンクリートの残骸のようなものが打ち付けられ、鈍い痛みが広がる。時を同じくして、右肩にも激痛が走った。これには思わず顔をしかめてしまう。何かが刺さったような感覚だ。
幸い、爆発にしては規模の小さいものだったようで、天井や床が崩壊するようなことは無く、すぐに静寂が訪れた。
「……っ」
私は痛みに耐えながら、背中に乗った破片を除け、合崎の上から体を起こした。その拍子に、右肩からぽたぽたと鮮血が滴り落ちる。こんな痛みは久しぶりだ。表情を歪めそうになるのを堪えて、何とか平静を装って笑ってみせた。
「……自爆か、笑わせるよな」
絞り出した私の言葉に、合崎が答えることは無かった。合崎は、ただ茫然としたような目で私を見つめながら、すぐさま体を起こす。一見すると彼に目立った傷はないようで安心した。
「……憐っ! なぜ……」
彼の足の上に乗るような体勢で、悲痛な表情の彼の目と目が合った。妙に気恥ずかしい体勢だ。
「なぜ、庇ったんだ! 憐っ」
作戦が始まってからというもの、これほど冷静さを欠いた合崎を見たのは初めてだった。そんな苦しそうな表情をさせるために、庇った訳ではないのに。
「……たまたま爆発装置に気づいたからだ。大した傷でもないし、私たちは運がいいな」
「大した傷じゃないだと? その形でよく言えるな。……相当、痛むだろうに」
「……別に、痛みには慣れっこだ」
痛みはするが出血はそれほど酷くない。それに、弱音を吐けばきっと彼は心配するだろう。こんなことで合崎の集中を乱したくなかった。
自分でも、こんな行動を起こしたことが不思議だった。思考よりも先に行動を起こすなんて、冷静さにかけている。今も私の心の奥に眠る「空兄様」への想いがそうさせたのだろうか。
不意に、合崎が私を引き寄せ耳元に口を寄せた。
「――頼むから、あまり危険な真似はしないでくれ。怖くて仕方がないんだ」
そう囁いた彼の声は確かに震えていた。合崎でも、何かに恐怖することはあるのだなと、場違いな感想を抱く。
「……でも、ありがとう。憐のおかげで助かった」
彼は私から身体を離して、弱々しく微笑んだ。記憶の中の「空兄様」とよく似た穏やかな目をしている。その表情を見ていると、このくらいの傷で彼を守れたのならば儲けものだと思えてくるから不思議だ。
「歩けそうか?」
合崎は立ち上がり、私に手を差し出した。今日のところは、その似非紳士ぶりに甘えてやってもいい。私は差し出されたその手にそっと自分の手を重ねた。
「もちろん、そのくらい余裕だ」
彼の手に体重をかけて、立ち上がる。一瞬めまいが襲ったが、すぐに止んだ。右肩にまた少し血が滲むが、歩いて移動するのに支障のない程度だ。だが、合崎は相変わらず、心配そうに私を見ていた。
「私は大丈夫だから、ほら、手を離せ」
何でもないというように笑って、彼に手を離すよう促す。まだ信者たちは大勢潜んでいるのだ。手を繋いだまま逃げられるような状況ではない。
それに、西側の崩落までそう時間はないのだ。急がなければならない。多少無理をしても、「白」に帰ることさえできれば腕の一本や二本くらい、どうにかしてくれるだろう。




