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スノードームを殺してくれ  作者: 染井由乃
第1章 空の憐れみ

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第27話

 午後3時33分。私たちは休憩室を出て、エレベーターへ乗り込んだ。柊の講演会が効いているのか、廊下を行き交う研究員たちの数は明らかに少ない。幸いにも、エレベーターに乗り込むまでは誰にも会うことはなかった。


「柊の講演会が始まっているとはいえ、最上階にはそれなりに研究員たちもいるだろう。エレベーターを降りたら細心の注意を払え」

 

 いかにも班長らしく、合崎は指示を出した。その横顔は真剣そのものだ。私もまた、精神を研ぎすませて作戦に集中する。


「了解」


 高速エレベーターは数秒で私たちを最上階へ導いた。すぐに、非常階段のドアの前に身を潜める。この最上階には、円形の構造をなぞるように太い通路があり、円の内部に司令室やその他の部屋へ繋がる廊下が走っていた。その入り組んだ廊下の中でも、他に比べて大きなものが中心の司令室へ繋がる通りであり、人が多いことが予想されるため、極力避けたいポイントだった。


「待機だ」


 小声で合崎がそう耳打ちをする。すぐに若い研究員たちが談笑する声が聞こえてきた。私たちは壁に身を寄せ、息を潜めて彼らが通り過ぎるのを待った。


 監視カメラが無効化されてから、ここまでで2分。順調な滑り出しだ。私たちは距離にして50メートル先のデータ管理室を目指して歩き始めた。


 複雑な造りは死角を多く作り出し、時に危険だが、逆に言えば身を潜めるには適している。私たちには好都合だ。


 合崎は用心深く、曲がり角の度に確認を怠らなかった。感覚を研ぎすませ、人の声や気配を敏感に察知する。


「この角を曲がれば、データ管理室はすぐそこだ。パスコードの入力は、一条に任せる」


「了解」


 作戦開始から、合崎は一度も笑顔を見せない。公私をはっきりと分け、余計な感情を持ち込まぬようにしているらしかった。


 やはり、彼には見習うべき点が多々ある。悔しいが、尊敬の念は増していた。


「――行くぞ」

 

 物音ひとつしない廊下を私たちは足音を立てずに駆け抜けた。パスコードを入力するディスプレイの前に私が立つと同時に、合崎は廊下の方へ向き直って警戒する。


 12桁に及ぶ数字の羅列の入力は、記録力が確かな私の得意分野だ。無機質な人工知能の音声と共にデータ管理室のドアが開く。間を置かずして、私たちはデータ管理室へ侵入した。



 薄暗い照明に照らされた室内は、整然としていた。テーブル一面に埋め込まれたディスプレイと、その前に二つだけ並んだ回転椅子。迷うことなく合崎がテーブルに触れるとコンピュータが起動し、壁一面に多数のディスプレイが表示された。


 合崎はそのままコンピュータを操作しているようだった。その間に、私は自分の端末とデータ管理室のコンピュータを接続する。合崎の準備が整い次第、データをコピーできるよう設定を始めた。


 壁一面に表示されたディスプレイが手元を淡く照らす。ここまでで、監視カメラの無効化から5分が経過していた。


「端末準備完了」


 私は自分の端末からもディスプレイを表示させ、合崎の後姿に報告した。


「了解。こちらもあと30秒以内に完了する」


「了解」


 合崎の仕事の早さには目を見張るものがあった。改めて尊敬の念を持って彼を見上げる。


 合崎はほぼ確実に、近代では稀に見る優秀な軍師になるだろう。そんな予感がした。


「準備完了。これより、データのコピーに移る。かなり情報量が膨大であるため、1分はかかるだろう」


「了解」


「コピー開始」


 合崎のその声と共に、私の端末から投影したディスプレイに「1%」と表示される。その数字は見る見るうちに増えていくが、普段目にしているものよりもずっと、カウントアップのされ方は遅かった。恐らく、こんな個人の端末で処理すべき情報量ではないのだろう。


 淡い電子の光の中、沈黙が訪れた。転送は順調に行われている。私は通信機を左耳にかけ、本部との通信準備を図った。端末から別のディスプレイを表示させ、通話画面を表示する。それとほぼ同時に、データコピー画面の数字が「100%」に変わった。


「コピー完了。これより本部との通信を開始する」


 淡々と合崎に報告をする。予想以上にスムーズに進んでいた。


「了解」


 私は通話画面を操作し、本部を呼び出した。すぐに本部の通信士が画面に表示される。


「こちら第六班。これより音森財閥第一研究所メインコンピュータのデータを本部へ転送する。情報量が予想以上に膨大なため、データの欠落の有無を確認されたし」


「了解。転送せよ」


「了解」


 「100%」と表示された画面を操作し、データのコピーを本部へと送信した。多少のタイムラグの後に、通信士が応答する。


「受信確認。これより情報の欠落の有無を確認する。待機せよ」


「了解」


 こちらの画面には、「送信完了」の文字列だけが点滅していた。恐らく、上手くいったはずだ。


 これで問題がなければ、私たちの仕事は終わりになる。後はここからいかに上手く脱出するかということに集中できるのだ。


「作戦本部より第六班へ。情報の欠落は無し。第六班の目的達成を確認する」


「了解」


 一安心だ。達成感を味わうにはまだ早いが、目的を達成できたことを誇らしく思う自分がいた。


「作戦本部より現状を報告する。『抜け道』の存在を確認。『紋章』と『教典』の存在が確認され次第、射撃許可を与える」


「了解」


 良かった。「抜け道」が発見されたということは、この作戦の最低目標は既に達成されたのだ。できればもう、深追いはせずに撤退命令を出してほしいところだが、帝国はそう甘くはないだろう。


「追加情報を伝える。柊の報告を受け非常用シャッターの解除法を確認したところ、個々のシャッターを解除できるようには設計されておらず、一括して研究所の緊急管理室でのみ操作可能である。よって、作戦本部によるシャッターの解除はほぼ不可能であることを念頭に置くように」


 シャッターの解除は元からあてにしていないが、一層緊張感が増した。シャッターに行く手を阻まれれば、私たちに成す術はないのだ。


「……了解」


 その事実を噛みしめるように、返答する。この先は、一瞬の油断も許されない。


「判決が下り次第、こちらから連絡する。――健闘を祈る」


 その言葉を最後に、通信は途絶えた。隣に合崎の気配を感じて見上げると、彼も左耳に通信機をつけていた。言葉はなくとも、お互いに思っていることは同じだ。


「――これより退却する。細心の注意を払って臨め」


「了解」


 合崎の指示に、私は気持ちを切り替える。私たちにとっては、ここからが本番だ。


 彼はメインコンピュータの電源を落とし、私を一瞥した後に、ドアの方へと向かった。開くドアの隙間から、廊下の白い光が漏れる。


「――行くぞ」


 監視カメラの無効化終了まで、あと1分。


 私は、合崎のその言葉と共に、白い光の中へと躍り出た。


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