第104話(千翔視点)
光が、舞っている。漂うというにはあまりに美しすぎる。淡い光が目の前を過ぎる度、憐は目を奪われているようだった。不意に見せるその横顔のあどけなさは、銃を手にしているときの凛とした面持ちからは想像もできない。一体、学院の何人の生徒が彼女がこんな風に笑うことを知っているだろう。
千翔は、「白」附属病院最上階の光の庭園で病衣姿の憐を静かに見守っていた。誘拐された後、久しぶりに登校した学院は懐かしかったが、憐や空がいない分、物寂しさも感じていた。こうして二人と過ごす時間の方が遥かに楽しいと思う。
正直に言えば、千翔の目にこの庭園は眩しすぎた。無数に舞う色彩を帯びた淡い光と庭園全体を照らし出す優しく清らかな白い光。帝国の中でも名所となっている理由はよくわかるが、それでも目に慣れないものは慣れないのだ。
目の奥がちくりと痛む。あまり光を直視するのは良くなさそうだ。いくら「白」の最新技術をもってしても、数年間薄暗い牢の中で暮らした千翔の目は完全には治らなかった。日常生活には支障はないが、このような華やかな場所に来ると自分の目はおかしいのだと嫌でも思い知らされる。
義眼に代える手術をすれば、このように光を眩しく思うこともなくなるようだが、何となくそれは憚られた。普通に生きていく分には支障のない目なのだ。それに、自分が確かにあの仄暗い地下都市で暮らしていた証のような気がして手放せなかった。
「なに見惚れちゃってるんですか? 不埒ですね」
千翔は隣に立つ空の目が、憐に釘付けになっているのを見てくすりと笑う。初めは怖いと思っていた空だったが、今ではこんな軽口を叩けるような仲になったのだから不思議だ。
「妙なこと言うなよ、気色悪い」
「病衣の憐姉様は普段とまた一味違ってたまらないとか考えてたんじゃないですか?」
「憐は白い服の方が似合う」
千翔が空に会った時から、彼は病んでいた。彼はいつも暗く翳った目で、憐を見ていた。二人がその特殊能力故に、非人道的な実験をされたことは知っている。その過程で、空の心が歪んでしまったらしいことも千翔にはよく理解できた。
初めは、本当に空が怖かったのだ。気が触れる一歩寸前で生きている彼を、見ていられなかった。
恐らくその精神状態は今もさして変わってはいないのだろう。帝国にいいように手なずけられてしまっただけで。彼は、帝国が憐という切り札を握っている限り、この国を裏切ることは出来ないはずだ。それくらい、空は憐に執着している。
こんな厄介な奴、さっさと嫌いになってしまえばいいのに、と千翔は思っていた。このままでは、憐が何をされるか知ったことじゃない。だが、憐はそれでも空を慕っているようだった。ふと、学院に入学したばかりの頃の会話を思い出す。
「空兄様って、制服姿だと本当に軍師様って感じがして……ちょっと怖いですよね。それに、あの目は正直私は苦手です」
人気のないラウンジで千翔と憐は並んで昼食を摂っていた。千翔は母親の作ってくれたお弁当を、憐はチョコレートマフィンとレモンティーといったメニューだ。
「どうしたんだ、急に。嫌味でも言われたか?」
苦笑交じりに憐は千翔の方へと向き直る。それは親しい者にだけ見せる、憐の自然な表情だった。
「……憐姉様は平気なんですか? あんな病んだ目で見つめられて」
千翔は不安だった。空はいつか、憐をその手にかけるかもしれない。それが不思議でないくらいには、空は歪んでいたのだ。
すると憐は、千翔のそんな愁いなど微塵も気づかぬ様子でくすくすと笑う。澄み切った亜麻色の瞳が千翔を見つめ、背中の辺りまで伸びた綺麗な亜麻色の髪がふわりと揺れた。
「私は、あの目は好きだぞ。瞳の奥に揺らめく光とか、あの深い色とか……妙に惹かれるものがある」
千翔としては、憐の澄んだ亜麻色の瞳の方が好きだった。だが、口には出さず追及を続ける。
「でも……あんなに病んでる状態じゃ、何をされるか分からないじゃないですか」
「……そうかもな。でも、別にどうなったって構わないんだ。殺されたって文句は言わない。それであいつの気が済むのなら、安いものだよ」
分からない。憐が空のどこに惹かれているのか。どうしてそんなに大切にできるのか。千翔には到底真似できなかった。
すると憐はレモンティーのパックを手にしたまま、ふと儚げな表情を見せる。その表情が、千翔がかつて殺めた「姉」とよく似ていて、心臓が震えるような感触があった。
「私だって……合崎は少し苦手だ。自分勝手で高慢で、その癖何でもさらっとこなすところも腹が立つ。千翔の言う通り、あいつの雰囲気に怯むことだってある」
だったら、どうして。千翔はその言葉を飲み込んで、憐の言葉を待った。
「でも……空兄様は大好きなんだ。いつも私に優しくしてくれた。思い出も優しい時間も、何もかもをくれたのは確かに空兄様なんだ」
その言葉の一つ一つには確かに思いが込められていた。空が聞いたらどんな腑抜けた表情を見せるだろう。
「千翔も、空兄様に会ったらきっと分かるよ。きっと好きになれる」
「でも……憐姉様の言う『空兄様』はまだ残っているんですか?」
その言葉に一瞬、憐がひどく傷ついたような表情を見せたのを千翔は見逃さなかった。きっと、憐もそれを恐れているのだろう。悪いことを訊いてしまったのかもしれない。
やがて、憐は無理やり取り繕った笑みを浮かべる。
「私は……信じているよ。いつか必ず、空兄様を取り戻してみせる。それが何年かかろうと構わない。私は、待ち続けるよ」
「なにをぼーっとしてるんだ。余計に馬鹿っぽく見えるぞ」
嫌味な空の声に、はっと我に返る。千翔は平静を装って、合崎を見上げた。
「うるさいですね。私だって考え事をするときはあるんです」
「考え事? 珍しいこともあるものだな」
少し先には、憐の後姿が見える。肩くらいまでの亜麻色の髪が、光に照らされて一層美しく見えた。
「ところで、憐姉様と仲直りは出来たんですか?」
千翔は憐に視線を留めたまま尋ねた。すぐに無愛想な声が返答する。
「……まあな。嫌い、は取り消して貰った」
「良かったですね。あのままじゃ、空兄様生きていけなさそうでしたもんね」
「……そこまでじゃない」
「またまた強がっちゃって」
不意に憐が千翔と空の方を振り返る。そして、にやりと笑ってみせた。そんな何気ない表情すら、はっとするほど美しいのだが、恐らく本人は微塵も気づいていないだろう。
「二人とも、今日は珍しく仲が良いな。怖いくらいだ」
「そんなことないですよ。ちょっと空兄様の戯言に付き合ってあげてただけです!」
千翔は憐の方へと一歩踏み出した。
忘れては、いけない人がいる。千翔は目に焼きついた「姉」の横顔を思い浮かべた。
恐らく、私は許されない。いつかはきっと報いを受けるのだろう。でも今は、この二人と生きていたいのだ。
だからせめて、報いを受けるその日までは、傍にいてもいいだろうか。
それくらいは、許してくれるよね。姉さん。
――名前がないの? なら、私がつけてあげる。私からの贈り物よ。
――千翔、か。良い名だ。私もそう呼ばせてもらって構わないか?
千翔は満面の笑みを浮かべて、憐を見上げる。そうして、明るい声音で告げた。
「今日は、怖いくらいに楽しいんです! 憐姉様とここに来られたから」
その言葉に憐は嬉しそうに微笑み、軽く千翔の頭を撫でた。ふわりと淡い光が、二人の間を舞っていた。
これにて、2章は終わります!
明日からは3章が始まりますので、今後ともよろしくお願いいたします!




