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スノードームを殺してくれ  作者: 染井由乃
第2章 千を翔ける憐れみ

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第102話

 一週間を過ごした広い病室を後にして、私を柊は特別病棟の中を歩いていた。ここのセキュリティは帝国最高峰のもので、出歩いている人間も少ない。何とか歩けるようにまで回復した私は、普段あまり馴染みのないこの場所をぼんやりと眺めていた。電子機器の音さえ響かない静寂が、何だか少し不気味だ。


「水野さんはあと4,5日で学院に復帰するらしい。放課後になったら憐を見舞いたいと言っていたから、会ってあげるといいよ」


 私のペースに合わせて、柊は随分とゆっくり歩いてくれていた。始めは肩を支えられながら歩いていたが、気恥ずかしくてならないのでこうしてゆっくり歩くことで妥協してもらったのだ。本当に、どこまでも過保護な教育係だ。


「楽しみだな。光の庭園にでも行ってみるかな」


 光の庭園とは、「白」付属病院の最上階にある患者たちの憩いの場だった。最新の技術や、帝国芸術学院のアイデアを採用して作られたその場所は、帝国では有名なスポットだ。無論、患者やその見舞客、「白」の関係者しか入ることが出来ないので、誰もが気軽に行けるような場所ではないのだが。


「空も誘って行くといい。たまには、兄妹三人でゆっくり過ごすのも悪くないんじゃないか?」


「私としては、柊とゆっくり過ごせたこの一週間も悪くなかったぞ」


 あのよくわからない温かい感情のことは口に出来なかった。まあ、いい。きっと体調や精神状態が万全ではないせいだろう。回復すれば、きっとあんなコントロールできない感情に悩まされることもないはずだ。


「それは良かった。僕も、少しは教育係が板についてきたのかな」

 

「私の中では、柊は教育係よりもずっと近い存在なんだがな……」


 ぽつりと呟いたその声は、きっと柊には届かなかっただろう。妙なことを言って、困らせてもいけない。


「……憐も、こんなに大きくなったんだね」

 

 ふと、隣を歩く私の頭に軽く手を乗せて柊は笑う。そんな優しい目で見つめられると、不思議と切なくなってしまう。


「まあ、出会った頃に比べると20センチくらいは伸びたしな」


 成長期なんてそんなものだろう。だが、それでも柊の方が頭一つ分背が高い。


「空には抜かされちゃったな……」


「仕方ないだろう。こっちは訓練を受けている身だぞ」


 柊だって「白」の職員たちの中では背が高い方だ。その端整な顔立ちもあって、学生時代はさぞもてはやされたのだろう。今だって恋人の一人や二人がいてもおかしくはないが、多忙なせいかそんな影は見当たらない。


 やはり、柊について知っていることの方が少ない気がする。織城先生に話を聞いたとはいえ、彼はどのように育ち、何を思ってこんな「白」なんていう閉鎖的な組織に属したのだろう。今までそれとなく聞いてみたこともあったが、やんわりと誤魔化されてしまい、結局わからずじまいだった。


 ふと、柊が廊下の曲がり角で足を止める。そしてその先の通路をじっと見つめた。


「この先に……空が隔離されている病室がある。あと数分で解放されるはずだよ」


 特別病棟だというのに、どことなく薄暗く感じる廊下だ。一週間ぶりに、合崎に会える。何となく、緊張してしまった。彼は、今どんな表情をしているだろう。


「僕は少し席を外すから、会いに行ってあげるといい」


「柊は行かないのか?」


 ここまで来たのだ。てっきり二人で合崎を迎えに行くものだと思っていた。


「……ただでさえ、空は今不安定なんだ。僕が行って、余計に精神状態を悪化させるわけにはいかないよ。それに、正直今は空に合わせる顔がない」


 ごく穏やかに、柊は言う。悲観するわけではなく、冷静に現状を分析しての言葉なのだろう。


「行っておいで、憐。きっと、空は会いたくて仕方がないはずだ」


 自然な仕草で頭を撫でられる。少々子ども扱いされているような気がするが、不思議と嫌ではない。きっと柊の中では、私は何年たっても「憐」なのだから。


「わかった、行ってくるよ」


 過保護な柊のことだ。本当は、合崎に会ってその無事を自分の目で確認したいだろうに。それを押さえて合崎の精神安定を優先した柊の優しさを受け止めながら、私は仄暗い通路を歩き出した。







 不気味なほど静まり返った廊下を歩くこと2,3分。前方の曲がり角の先から、何やら人の話し声が聞こえてきた。柊の言葉通りならば、そろそろ合崎が解放されてもいい時間だ。


 合崎に会ったら、最初に何を言おう。またいつも通りに他愛のない話をするのだろうか。


 私は黙々と、声のする方へと向かった。次第に詳細になる話し声には、冷え切った笑い声が混ざっており、心臓の奥がひやりとする。


 角を曲がったところで、思わず私は足を止めた。目に飛び込んできたその光景に、すっと血の気が引いていく。


 10メートルほど先の病室の前に、私の会いたかったその人はいた。しかし、彼の両腕は帝国警察の制服を着た男性たちに拘束されている。合崎は抵抗するでもなく、力なく項垂れたままで表情は良く見えなかった。


 そんな合崎の前で嘲笑を浮かべるのは、制服のラインからして帝国警察の総監に次ぐ権力者だ。次期総監ともいわれている。何度か会ったことがあるが、彼はあまり私たちを好ましく思っていないような印象を受けた。


 よりにもよって、そんな奴の管理下に置かれていたのか。それだけで、合崎がこの一週間どのような視線にさらされてきたのか容易に想像がつく。まず間違いなく、心が休まるようなことは無かっただろう。


「たった一週間で解放とは……何だか勿体ないような気がしますよ」

  

 笑うような次期総監の声に、合崎は俯いたまま何も反応しない。胸騒ぎがした。合崎が、壊れてしまっていたらどうしよう。


「帝国も、次期軍師には甘いですねえ……。そんなに『終末』が見たいんですかね」


 帝国警察の制服に合わせた紺色のグローブを付けた手が、合崎の顔を上向かせる。いちいち乱暴な所作だった。


「君に死刑執行が出来る日を、誰よりも心待ちにしておりますよ。次期軍師様?」


 帝国軍と帝国警察は決して良好な仲とは言えないが、その次代のトップ同士がここまで憎み合うものとは思いもよらなかった。両者の間の溝は浅くない。


「……おや? 噂をすれば一条さんですね。この度はご生還おめでとうございます」


 笑うように響く、次期総監の声。私は軽く唇を噛みしめて、次期総監を見据えた。


「わざわざ合崎くんをお迎えに来たんですか? いやはや、噂には聞いておりましたが、お二人の仲が良いのは本当のようだ」

 

 何もかもが皮肉めいて聞こえる。ある種の才能じゃないのかと思うくらいには、含みのある言い方だ。


「本当に、ご無事でよかった。あなたが死ねば、危うく帝国は二つの大きな才能を失うところでしたからね。――まあ、代わりは腐るほどありそうですが」


 悔しいが、ちくりと胸が痛む。私たちが代用の利く帝国軍の人形に過ぎないことなんて、私たちが一番よく理解していて、それでもどうしようもないのだと諦めていることだ。


「一条さんは、随分と酷い仕打ちを受けたと伺いました。お可哀想に」


 次期総監はゆっくりと私との距離を詰めてきた。まさか「白」の内部で物理的に何かをされることは無いだろう。睨むようにして、彼の目を見上げる。


「――ナイフの味はいかがでしたか? 肉を裂かれる痛みは?」


 彼は、私の病衣の袖から見える白い包帯部分を舐めるように見た。思わず左手で右腕を庇うように隠す。思い出してしまいそうだ。この手を裂かれたあの瞬間を。


 首筋に冷や汗が伝っていた。次期総監は、本気で私を傷つけようとしている。それは物理的な攻撃でなくとも、今の私には充分苦痛だった。


「何も忘れられない、っていうのも大変そうですね? 今夜もよい悪夢を、一条さん」


 笑うような声が、すぐ横を通り過ぎていく。二人の部下たちも彼を追うようにこの場を後にした。


 僅かに震える肩を自分の手でそっと抱きしめる。思わず俯いてしまった。こんな様子では、合崎にまた心配をかけてしまう。


「――情けないところ、見られちゃったな」


 どこかきまりが悪そうに、合崎は小さく笑ってみせる。何だかいつもよりも弱々しく見えて、余計に胸が締め付けられた。


「わざわざ来てくれたのに、あんな奴に会わせて悪かったな。大丈夫か?」


「ああ……平気だ」


 やはり、心配されてしまった。小さく溜息を零し、微妙な距離感を保ったまま合崎を見据えた。


「合崎こそ、傷は大丈夫なのか?」


「たかだか銃弾一発だぞ? 憐が二発撃たれて生還したのに、俺がここでくたばっていたら情けないにも程がある」


「でも……随分苦しそうだった」


 鮮明に思い出すのは、苦し気な合崎の声。ふとした時に耳の奥に纏わりついて、酷く動揺させられていた。


「あのときのことは、忘れろよ――っていっても無理だもんな。本当、都合の悪い能力だ……」


「悪かったな」


 何だか初っ端からいつもの調子だ。少しはしおらしく再会を喜び合うかと思っていた私が馬鹿だった。この一週間、柊に甘やかされたせいで丸くなりすぎていたのだろう。


「相変わらず可愛くない奴だ。……それより、早くこっちにきたらどうだ? 顔がよく見えないだろう」


 そう言って、合崎は私から視線を逸らした。少なからず驚いてしまう。確かに読書のときは眼鏡をかけていることもあるし、訓練中などは裸眼ではないとは知っていたが、ここまで目が悪いとは思わなかった。


 そんなことに、今更気が付くなんて。何だか可笑しな話だ。思わず笑ってしまう。

 

「離れてみてわかることがあるともいうが……まさか本当だとはな」

 

 それほどまでに、私たちはいつも一緒にいたということだろうか。そんなの、意識したこともなかった。

 

「何笑っているんだよ、早く来い。見えないから」


 その言葉を聞きながら、私は合崎のすぐ隣に歩み寄った。いつもの、私の定位置だ。


「何が面白かったんだ?」


「別に? 何でもないよ」


 妙な奴だな、と訝し気な顔をする合崎を横目に、私は彼の隣に立つ喜びを噛みしめていた。もう一度、ここに立つことが出来て良かったと思う。しばらくは、この平穏な日々を楽しんでいたいものだと考えながら、私は小さく微笑んで見せた。 

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