第100話
「合崎は、今はどうしてるか聞いてたりしますか?」
一通りの世間話を終えた後、ふと気になって聞いてみた。療養中だと言うが、柊も手が空いているときは殆ど私についていてくれるし、寂しい思いをしていないだろうか。
「元気よ……と言いたいところだけれど、まだちょっと精神面がね……。少し塞ぎこんでいるらしいわ」
織城先生は、私の右前腕部の傷を診ながらそっと教えてくれた。やはり、そうか。元より全快しているとは思っていなかったが、思ったよりも状況は悪そうだ。
「私が誘拐なんてされてしまったから、迷惑をかけてしまったな……」
「迷惑というよりは、心配だったんじゃないかな。空くん、憐ちゃんが誘拐されてからはずっと司令室に籠りっぱなしで、憐ちゃんを救う策を探していたんだもの」
合崎のことだ。どうせ無茶していたんだろう。思わずため息をついてしまう。少しは自分の身を案ずることは出来ないものか。
「馬鹿だ。私のことなど、放っておけばいいのに……」
「それくらい、憐ちゃんは大切に想われているってことよ」
どうして、私なんかを。織城先生に言ったところでどうしようもない言葉ばかりが込み上げてくる。やはり、合崎の心の内はよくわからない。「実験」の直後、私を殺す勢いで首を絞める程度には私のことを嫌っているはずなのに、彼の行動を見ていると分からなくなってしまうのだ。
なんだか、会えないともどかしい気持ちだ。傷に包帯を巻きなおしてくれている織城先生にそっと頼み込んでみる。
「あの、どうにかして合崎に会えませんか……? 五分程度でもいいんです」
恐らく一人でいるのであろう合崎が気にかかる。塞ぎこんでいるというのであればなおさらだ。
だが、織城先生は困ったように視線を伏せる。やがてきまりが悪そうに口を開いた。
「空くんも憐ちゃんに会えば気が晴れるのでしょうけれど……でも、私にはどうすることもできないわ。だって、彼、謹慎中でしょう?」
「謹慎……?」
「ええ、正確には謹慎とは言えないのかもしれないけれど……今は病室に完全幽閉、ドア付近には帝国警察の見張りがついているわ」
今更になって思い出す。合崎は「白」では指名手配犯のように扱われているという千翔の言葉を。冗談半分に聞いていたが、まさかここまで重い事態だとは思わなかった。
「一体、合崎は何をやらかしたんです? 普段はちゃんと帝国に従っているでしょう」
確かに、積極的に帝国に貢献したいという気持ちが強いわけではなさそうだが、謹慎を食らうようなことをする奴ではない。規律だって決して軽んじてはいないはずだ。
「柊くんと雪柳塔長様に銃を向けて、その上司令室の警報システムに発砲したのよ。事情が事情だったし、空くんが次期軍師だったから謹慎で済んだけれど……一研究員が同じことをしでかしたら、間違いなく終身刑ね」
柊と塔長に銃を向けた? しかもこの「白」の中で発砲したというのか。彼に殺意を抱かせるほどの出来事とは何だろう。
何より、合崎が柊に銃を向けたことがショックだった。塔長と合崎は普段から仲が良いとも言えないから百歩譲って発砲するのは理解できるとしても、私たちを守ってくれる柊の命を狙うなんて。
「合崎にそこまでさせるなんて……何があったんです?」
織城先生は再び言葉に迷うように視線を泳がせた。困らせてしまっているが、真相を知らずにいるわけにはいかない。
「――僕らが憐を殺そうとしたからだよ」
不意にドア付近から聞き慣れた声が聞こえてきた。織城先生の顔色が変わる。
ドア付近の壁に寄りかかるようにして、その声の主である柊はこちらを眺めていた。柊は織城先生を見やると軽く微笑する。だが、いつもの穏やかなものではなく、どことなく冷ややかさを感じるものだった。
「憐には秘密にしておくつもりだったんだけどな、澄川さん?」
「……今は織城よ」
僅かに織城先生の表情が翳る。柊はくすりと笑うと壁から背を離し、こちらへ近づいてきた。
「ああ、そうだったね。ごめんごめん」
どことなくわざとらしい柊の言動に、織城先生は何かに耐えるように視線を伏せた。ぎゅっと握られた先生の手は震えている。柊はそんな先生の傍らに立ち、先生の膝に乗せられた包帯を手にする。
「どうもありがとう。後は僕がやっておくよ」
遠回しにもう帰れと言わんばかりの冷淡さだった。この二人に何があったのかは知らないが、平穏とは言い難い空気だ。織城先生は少し慌てたように、すぐに席を立つ。
「そ、そうね……長居しすぎちゃったわ。じゃあ、早く良くなってね、憐ちゃん」
無理やり作ったような笑みを浮かべ、足早に織城先生は病室を後にした。柊は彼女の後姿には目もくれずに、ベッドサイドの椅子に着席する。
良くも悪くもあまり感情を見せない柊にしては珍しい対応に、少々唖然としてしまう。織城先生の言葉からは、柊を嫌っているような様子はなかったのに。
「謹慎って言っても、一週間だから心配しなくていいよ。あと3日で解けるから」
柊は私の手を取り、丁寧に包帯を巻きなおしていく。
「何で教えてくれなかったんだ?」
「言ったら心配するだろう。今は治すことに専念してほしかっただけだよ」
これも柊の優しさなのだと知ると、何も言えなくなる。これ以上、追及する気にもなれなかった。
「……柊たちが私を殺そうとしたって言ったら聞こえは悪いが……要は自決命令のことだろう? 法律でも倫理条約でも許可されていることじゃないか」
合崎だってもちろんそのことは知っているはずだ。だが、柊は視線を伏せたままふっと自嘲気味に笑う。一瞬、柊とは思えないほどの黒い感情が垣間見えた気がした。
「でも、憐の命を奪おうとしたことに変わりはないんだ。誰だって、自分の妹が殺されそうだっていうのならこのくらいやるよ。……これくらいやれなきゃ、兄を名乗る資格もないね」
柊は大きな溜息を零し、私の腕の包帯を巻き続ける。
「きっと、空には嫌われたな……」
なんだか、罪悪感が胸に広がっていく。元はと言えば、私の我儘のせいなのだ。
「ごめん、私が柊に自決命令を出してほしいだなんて言わなければ……」
「憐のせいじゃない。多分、憐に頼まれなくても自決命令を下すのは教育係の役回りだっただろうからね。……問題なのは、僕が自決命令を下せてしまったことだよ。空が怒るのも無理はない」
「でも、それが柊の仕事なんだから仕方がないだろう?」
「仕事だからって、自分の大切なものを壊してもいいと?」
「だって、私を大切にしてくれているのだって、それが教育係としての仕事だからじゃないか」
その言葉に、包帯を巻いていた柊の手がぴたりと止まる。そして今まで柊が私に見せたことのないくらいの鋭い視線がが突き刺さった。殆ど睨まれていると言ってもいいくらいのその目に、心臓が大きく跳ねるのを感じる。
「それ……本気で言ってるのなら怒るよ」
背筋に冷や汗が伝う。今なら柊に尋問されて、「白」からなのかこの世からなのか姿を消していった人たちの気持ちがわかるかもしれない。
「……ごめん」
咄嗟に謝ってしまうくらいには、身が竦んでいた。じわりと涙が滲む。柊にこんなにも厳しく言われたのは初めてで、かなり動揺していた。
「……い、いや、僕こそごめん。強く言い過ぎたよ」
いつもの調子に戻った柊は、慌てて取り繕い始める。
「ごめん、大人気なかったよ。泣かないで、憐……」
普段冷静な柊が、あからさまに慌てふためいて弁解していた。その様子を見ていると、何だか頬が緩んでしまう。
「……大丈夫、びっくりしただけだ」
滲んだ涙を拭いながら軽く微笑んでみせると、柊は心底ほっとしたような表情を見せた。少し驚いたが、柊の新たな一面を知ることが出来たと思えば悪くない。
「私の教育係が、柊でよかった」
ぽつりと素直な気持ちを零すと、柊はどこか困ったような、それでいて嬉しそうな微笑みを浮かべる。
「……参ったな。憐にそんなことを言われるなんて」
私はそっと、柊の手に触れた。温かく、優しい手だ。すぐに柊が私の手を握り返してくれる。
そうしてどちらからともなく、小さく笑い合った。胸の奥に宿るこの温かい感情は何だろうか。こんな何でもない時間がどうしようもなく愛しい。出来ることなら、ずっと続いてほしいと願うほどに。




