第99話
あの後、私はすぐに眠ってしまい、目覚めると帝国に戻ってきて4日目の朝を迎えていた。いや、正確には昼と言った方がよさそうだ。あと一時間弱で正午に迫るという時刻だった。かなり長いこと眠ってしまったらしい。
ふと、ベッドサイドに人の気配を感じ、視線を向けると塔長ではない白衣姿の女性がいた。軽くウエーブのかかった明るい茶色の髪がゆらゆらと揺れている。私に背を向けた状態で、何やら作業しているようだった。
「織城先生……?」
他の研究者たちとは違う、優し気な印象のこの女性には以前も世話になったことがある。何かと私や合崎のことを見てくれる医師だ。今の本業は研究の方らしいが、こうして足を運んでくれることは度々あった。
振り向いた織城先生の手元には、色とりどりの人工花の花束があった。どうやらサイドテーブルに飾っていてくれたらしい。
「あら、起こしちゃったわね。ごめんなさい」
鈴を転がすような可憐な声でそう言うと、織城先生は私に花束を見せてくれる。
「これ、千翔ちゃんからのお見舞いよ」
柊から合崎も千翔も経過は順調だと聞いている。こうして品物を人づてに贈れる程度には回復しているのだと知り、嬉しくなった。後で柊に相談してお返しをしよう。
「そのために、わざわざ来てくれたんですか」
私の腕に繋がれた幾つかの管を確認しながら、織城先生は柔らかな笑みを見せる。
「もちろんそれもあるけれど……私、今回のこの誘拐事件の医師団に所属しているの。私が診ているのは、憐ちゃんと千翔ちゃんだけだけれどね」
「千翔の様子はどうですか?」
一通りの確認を終えたらしく、織城先生はベッドサイドの椅子にふわりと腰かける。僅かな空気の流れにも、先生の綺麗な髪はゆらゆらと揺れた。目を見張るような美人ではないが、とても可愛らしい顔立ちをしている人だった。「白」には似合わぬ華やかさがある。
「それはもう、元気いっぱいよ。憐ちゃんに会いたいって一日に何度も言ってるわ」
相変わらず、私を慕ってくれているようだ。私だって千翔に会いたい。だが、私も千翔もかなりの怪我を負ったのだ。今はお互い我慢するしかないだろう。
「でも千翔ちゃんの傍にはずっとお母様がついているし、お父様も夕方には必ず顔を出すし……寂しくはなさそうね。心配しなくても大丈夫よ」
それを聞いて安心する。もっとも、千翔が水野夫妻にそれはそれは可愛がられているのは知っていたので、それほど心配はしていなかったのだが。
千翔がいい人たちに引き取られて本当によかった。千翔に「姉」と呼ばれる立場としては、水野夫妻には感謝の気持ちしかなかった。思わず頬が緩んでしまう。
「……憐ちゃんって、笑うと案外あどけないのね。その方が絶対にいいわよ。とってもかわいい! 柊くんが可愛がるのも無理は無いわね」
あまりにも直球に褒められすぎて、頬が少し熱くなる。そもそも褒められるという経験自体が少ない私には、こういうときにどんな反応をすべきか分からなかった。
「照れてる! かわいい」
くすくすと笑う織城先生に、何だか振り回されっぱなしだ。だが、不思議と悪い気はしない。
「そ、それより、先生は研究はいいんですか? 私ばかりに構ってもいられないでしょう」
下手な話題転換をして、何とか熱くなった頬を誤魔化そうとする。先生は相変わらずにこにこと笑っていたが、私の話題に乗ってくれたようだ。
「大丈夫よ。今は柊くんに依頼を受けて医師団にいるんだもの。柊くんが憐ちゃんと空くんの治療は、幹部会の息のかかった医師にしかさせないっていうから……」
「なんだか、申し訳ないですね……。柊は、どうしてあんなに過保護なんだか……」
まだ私たちの行動が制限されるくらいならいいが、織城先生にまで迷惑をかけるのはいかがなものか。思わずため息が零れる。
「そう言わないであげて……。柊くんは確かに過保護だけれど、それだけ憐ちゃんを大切に想っているのよ。私の前ではもう、あんな優しい表情で笑わないもの……」
随分と意味深な発言だ。深く追求していいものか迷ったが、好奇心に逆らえず尋ねてしまう。
「先生は、柊とは親しいんですか……?」
織城先生は、ふっと儚げな笑みを見せた。本当に表情の一つ一つが魅力的な女性だ。
「そうね。学生時代は……私と主人と柊くんと琴葉――ほら、憐ちゃんたちの学院にいる保健室の先生ね――その四人でつるんでいたから、仲はいいわね」
「柚原先生と知り合いなんですか……」
思えば、柊も柚原先生とは知り合いだと言っていた。それを考えれば織城先生が柚原先生と友人でも不思議はないのだが、何だか妙な気分だ。あんな鼻歌交じりに生徒の怪我を見る保健医とこの可憐な女性が友人というのは俄かには信じられない。
「琴葉とは特に仲良しだわ」
「先生のような方が傍にいても、柚原先生は変人のまま育ってしまったんですね……」
「あら、柊くんと同じことを言うのね。琴葉は優しい子なのよ。もっと話してみればわかるわ」
織城先生が言うのであればそれはそうなのかもしれないが、そもそも柚原先生とわざわざ話をする気にならない。ただでさえストレスの多い学院生活だというのに、わざわざ悩みの種を増やしたくはなかった。




