第九話「ふたりの週末」
第九話「ふたりの週末」
あの狼騒ぎから数日後。達也は健吾と一緒に、以前にも何度か訪れた郊外の学校へ来ていた。適性検査が始まったばかりの頃、最初期の訓練拠点として使われていた、閉校済みの学校だ。
当初は体育館や校庭を使った講習と訓練が中心だったが、JDAの仕事が増えるにつれて、その役割も少しずつ変わっていた。元職員室には事務担当者が詰め、いくつかの教室は研究班や広報の作業室になっている。廊下には新しく運び込まれた機材や段ボールが並び、壁には学校だった頃の掲示物がまだ一部残っていた。
訓練施設であり、事務所であり、研究拠点でもある。まだ専用施設を十分に持たないJDAにとって、この学校は何でも詰め込まれた最初期の活動拠点になりつつあった。
今日ここへ来たのは、次の週末から始まる二人での探索について、簡単な説明を受けるためだった。
「井上さん、足立さん。お待たせしました」
二人の待つ教室へ入ってきたのは、以前、達也のアバター設定も担当した広報担当の遠藤だった。
「探索については、すでに聞いていると思いますので、一点だけ。足立さんには、井上さんの護衛中は一般探索者向けの装備を使ってもらいます」
「実働部隊の装備じゃ駄目なんですか?」
「駄目ではないんですが、目立ちますからね」
遠藤が苦笑する。
「実働部隊の人間が毎週一人の探索者についていたら、余計な憶測を呼びます。護衛に必要な性能はこちらで確保しますので、見た目だけ一般の探索者に合わせてもらいます」
「ああ、なるほど」
「それと、配信に映る以上、アバターも必要になります。足立さん、どれにします?」
遠藤が差し出したタブレットを受け取るなり、健吾は一覧の一つを指差した。
「これで」
「早いですね」
健吾が選んだのは、剣道の面を模した3Dモデルだった。
「……剣道の面、ですか?」
「剣道、今もやってるんで。分かりやすいでしょう」
「まあ……分かりやすいですね」
それで設定は完了した。実際に面を被るわけではない。配信映像の上でだけ、健吾の頭部が真っ黒な剣道面へ置き換わる。現地では一般の探索者と変わらない装備、配信では黒い剣道面。少なくとも、一目でJDAの実働部隊員だとは分からなくなった。
「ケンちゃん、それにしたんだ」
隣から画面を覗き込んでいた達也が言う。
「おう。どうよ」
「ケンちゃん、剣道やってるしね」
「……それだけ?」
「似合ってると思うよ」
「顔見えねえけどな」
「あ、そっか」
「今気づいたのかよ」
遠藤は、そんな二人を横目に設定を確定した。
ーーー
次の週末。初心者向けダンジョンの最浅階層を、達也と健吾は並んで歩いていた。
この日の健吾は、いつもの実働部隊の装備ではなく、一般の探索者と変わらない防具を身につけている。ただし、背中の大剣だけはいつものものだった。
配信映像では、達也の頭はいつものトマト。その隣には、真っ黒な剣道面。これまで一人で草を採っていたトマトの横に、突然知らない男が増えた。
『トマトきた』
『横になんか増えた』
『誰だよあの面』
『護衛か?』
『トマトと剣道面の並びなんなんだよw』
コメント欄はさっそく騒がしくなっていたが、当の二人はそんなことを知らないまま歩いていた。
「にしても、たっちゃんの護衛かぁ」
「……忙しいのに、ごめんね」
「いいって。仕事なんだから」
軽く肩をすくめる健吾を、達也は少し気になって見た。
「でも、週末に僕の護衛してて、ケンちゃんちゃんと休めてるの?」
「ああ。たっちゃんだって土日の両方、毎回ダンジョンに行くわけじゃないだろ。俺も平日に休み入れたりして調整してるから、大丈夫だよ」
「そっか」
「だから気にすんな。それに、周りは俺が見とくって言っただろ」
「うん」
達也は素直に頷き――そして、すぐに道の端を見た。配信画面では、それまで揺れていたトマトのヘタがぴたりと止まり、道の端へ傾く。
『もう見つけたな』
『開始何分だよw』
「じゃあ、あっち見てきていい?」
「もう見つけたのかよ」
「うん。あれ、まだ見たことない」
「……行ってこい」
『やっぱり草だったw』
『今日も通常運転』
達也が草の前へしゃがみ込むと、配信画面のヘタも一緒になって草を覗き込むように前へ傾いた。健吾はその少し後ろに立ち、周囲を見渡す。
達也は植物を見る。健吾は周りを見る。開始早々、役割分担は出来上がっていた。
ーーー
何種類かの植物を観察し、場所を移動しようとしたときだった。健吾の足が止まる。
「たっちゃん」
「ん?」
「そのまま」
声が変わった。
達也が顔を上げると同時に、前方の茂みが大きく揺れた。配信画面では、草の方へ向いていたヘタがぴたりと止まる。
灰色の影が飛び出してきた。四本の脚、剥き出しの牙、赤く濁った目。体長五十センチほどの、犬によく似た魔物だった。
ダンジョンが発生したばかりの頃なら、単に「野犬型魔物」としか呼ばれていなかった種類だ。だが、観測例が増えるにつれ、魔物にも少しずつ名前が付けられ始めていた。
「……最近、名前ついたんだっけ。あれ」
「ああ。グレイハウンドだ」
「へえ」
「感心してる場合か」
グレイハウンドが地を蹴り、一気に二人との距離を詰める。配信画面のヘタが、びくっと跳ねた。
『トマトもびびってるw』
『面の人頼むぞ!』
「下がってろ」
健吾の手が大剣の柄を掴み、重い金属音とともに刀身が抜かれる。
魔物が跳んだ。牙が健吾の喉元を狙う。
その直前、健吾が踏み込んだ。大剣を持っているとは思えないほど鋭い一歩だった。達也を背後へ隠しながら身体を半歩ずらし、迫る牙を紙一重でかわす。同時に、大剣が跳ね上がった。
ガギンッ!
分厚い刀身が前脚を弾き、グレイハウンドの身体が宙で崩れる。
それでも魔物は止まらない。着地するなり身体を捻り、健吾の右側へ回り込む。速い。普通の人間なら、目で追うだけでも精一杯だった。
だが。
「――そっちか」
健吾は、すでに振り向いていた。
握った大剣に、白い光が走る。薄暗い森の中で、一瞬だけ昼間のような光が弾けた。光属性。刀身を覆った光が、振り抜かれる大剣とともに白い軌跡を描く。
次の瞬間、グレイハウンドの身体が浮いた。重い一撃に弾き飛ばされ、地面を転がる。
それでも立とうとする魔物へ、健吾は迷わず距離を詰めた。大剣を振り上げると、白光が再び刀身を走る。
「――終わりだ」
振り下ろす。
ズンッ――!
地面まで響くような衝撃。グレイハウンドは、そのまま動かなくなった。
『つっよ』
『誰だよこの面』
『トマト配信で急に戦闘の作画変わったんだけど』
『面の人めちゃくちゃ強くね?』
『ガチの戦闘要員じゃん』
「たっちゃん、大丈夫か?」
大剣を持ち上げながら、健吾が振り返る。
「うん」
達也が頷くと、配信画面では、緊張して立っていたヘタがふっと元へ戻った。
そして。達也の視線が、健吾の足元へ落ちた。戻ったばかりのヘタも、今度はそちらへぴくりと傾く。
『あ』
『おいまさか』
「ケンちゃん」
「ん?」
「そこ、草あるから踏まないで」
「…………」
健吾が足元を見る。右足のすぐそばに、小さな草が生えていた。
「これ?」
「うん。それ、まだ見てないやつ」
「お前なあ!」
「危なかった」
「どっちがだよ!」
『wwwwww』
『やっぱり草だった』
『戦闘終わった瞬間これだよw』
『面の人あんなに格好よかったのに』
『この温度差なんなんだよ』
達也は何事もなかったように、その草の前へしゃがみ込んだ。配信画面のヘタも前へ傾く。
「……葉っぱは普通かな」
「もう観察始めてるし」
「ケンちゃんがいるから」
「あ?」
「周り見てくれるんでしょ?」
健吾は一瞬黙った。
「……まあ、言ったけどよ」
「じゃあ大丈夫」
「そういう意味で言ったんじゃねえんだけどなぁ……」
そうぼやきながらも、健吾は大剣を背負い直し、達也ではなく、その周囲へ目を向けた。
達也は草を見る。健吾は周りを見る。それで案外、うまくいくらしい。
ーーー
「ケンちゃん、腕」
戦闘が終わって少ししてから、達也が健吾の右腕を指差した。防具の隙間に、細い傷が一本走っている。先ほど回り込まれたとき、爪がわずかに掠めていたらしい。
「ああ、これか。大したことねえよ」
「これ、使ってみる?」
達也が採取袋から取り出した小さなケースには、赤っぽい葉が入っていた。
「それ何だ?」
「前に見つけたやつ。研究班でも調べてもらってる。傷につけると、血が止まりやすくなるんだって。痛みも少し楽になるみたい。ただ、ちょっとヒリヒリするけど」
「……大丈夫なのか、それ」
「今は安全性も確認されてるよ」
「今は?」
「最初に見つけたとき、ちょうど傷つけちゃって。それで使ってみた。傷に使えそうな感じがしたから」
「……自分で試したのかよ。まったく……」
健吾は呆れたように息を吐くと、右腕を差し出した。
「ほら」
達也は葉から出た汁を、傷口へ薄く塗った。しばらくすると、健吾がわずかに顔をしかめる。
「……確かに、ちょっとヒリヒリするな」
「するよね」
「するな」
「研究班の人が言うには、これくらいの傷なら一分くらいで変化が分かるらしいよ」
腕時計を確認しながら、達也はそのまま少し待った。
一分ほど経ったところで、傷口を覗き込む。配信画面では、ヘタまで健吾の腕の方へ傾いていた。細かった出血は、ほとんど止まっている。
「お。本当だ」
「痛みは?」
健吾が腕を軽く動かす。
「さっきより楽だな」
「……研究班の人が言ってた通りだ」
達也が少し嬉しそうに呟く。配信画面では、腕の方へ傾いていたヘタが、ぴんと立った。
『あ』
『これはメモだな』
「じゃあ、これも書いとこう」
『知ってたw』
『もう行動読まれてるw』
「もうノート出すのかよ」
「忘れるから」
達也はその場で百円ショップのノートを開き、【赤っぽい葉】のページに書き足した。
葉の汁に止血作用あり。
痛みも弱くなる。
使用時、少しヒリヒリする。
研究班による安全性確認済み。
目安――約一分。
健吾の切り傷でも、一分程度で止血を確認。
痛みも軽減。
詳細――要検証。
「……俺の名前まで書くの?」
「誰で試したか分かった方がいいかなって」
「まあ、いいけどよ」
健吾は苦笑すると、再び周囲へ目を向けた。
『面の人、ノートに記録されたw』
『戦闘担当兼検証担当』
『トマトの横に置くには適任すぎる』
『なんかもう役割分担できてるな』
その後も、二人は最浅階層をゆっくりと回った。魔物が現れれば、健吾が前へ出る。植物を見つければ、達也がしゃがむ。
そんなことを何度か繰り返した頃、達也がふと足を緩めた。
「ケンちゃん」
「行ってこい」
「まだ何も言ってないけど」
「分かる」
「そっか」
達也はそのまま道の端へ向かった。配信画面では、トマトのヘタもそちらへ傾く。
『もう会話いらないじゃんw』
『面の人も慣れてきてる』
『たっちゃんって呼んでるし昔からの知り合いか?』
「ちょっと待って。あとこれだけ」
目当ての植物の前へしゃがみ込んだ達也に、健吾は「おう」とだけ返して、周囲へ視線を戻した。
二人の最初の探索は、そんな調子で続いていった。
ーーー
数日後。学校の一室を使ったJDA植物研究班の作業室では、持ち帰られた植物の確認が進められていた。
「太田主任、例の赤い葉、追加分の結果が出ました」
研究員から渡された資料を、太田が受け取る。
「どうだった?」
「止血作用は再現できています。鎮痛についても、何らかの作用があると見てよさそうです。ただ、詳しい成分と持続時間については、まだ調査が必要ですね」
「毒性は?」
「現時点では、使用上の問題は確認されていません。引き続き調べます」
「分かった」
太田は資料を机へ置いた。その横には、達也の百円ショップのノートを複写したコピー用紙がある。【赤っぽい葉】のページには、最初の走り書きの下に、今回の追記が並んでいた。
健吾の切り傷でも、一分程度で止血を確認。
痛みも軽減。
詳細――要検証。
研究結果とその記録を見比べて、太田は小さく息をついた。
「……やっぱり、井上さんの感覚は軽く見ない方がいいな」
「ですね」
「ただ、本人の感覚だけで確定にはしない。こっちで一つずつ確認する」
「はい」
机の端には、これまでに提出されたノートのコピーが何枚も綴じられていた。青い茎の草。茶色い根。紫の胞子嚢を持つ植物。地を這うツタ。そして、今回の赤っぽい葉。どれも最初は、正式な名前すらなかった。
「コピー、また増えましたね」
「増えたな」
「そろそろ、ちゃんと整理しません?」
太田は少し考えた。
「じゃあ、植物ごとに分けて、採取場所と検証結果を紐づけよう。井上さんの記録も、そのまま残してくれ」
「ファイル名どうします?」
「仮でいいだろ」
太田は、机に積まれたコピーを見た。
「……『井上アーカイブ』で」
「本人が聞いたら嫌がりそうですね」
「正式名称じゃないからな」
「じゃあ仮で」
「仮で」
研究員がパソコンへ向かう。太田は、もう一度ノートのコピーへ目を落とした。
達也が感じたこと。実際に確認できたこと。まだ分からないこと。その三つが、相変わらず素朴な言葉で並んでいる。研究班では、それを一つずつ確かめていく。
少なくとも今は、それでよかった。
ーーー
その頃。達也は自宅で、次の週末に持っていくものを鞄へ詰めていた。採取袋、手袋、ナイフ、百円ショップのノート。
最後にノートを入れようとして、ふと手を止める。週末の探索で、また何ページか増えた。
「……ケンちゃんがいると、結構ゆっくり見られるな」
満足そうに頷いて、ノートを鞄へしまう。
次の週末も、きっとまた草を採る。その隣では、黒い剣道面の男が周囲を見ている。
二人の週末は、こうして始まった。
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