第十話「広がっていく波紋」
第十話「広がっていく波紋」
平日の朝。オフィスの隅に置かれたパキラは、以前とは見違えるほど葉を茂らせていた。
「……これ、絶対なんかやっただろ」
出社してきた同僚の一人が、パキラを見上げながら言った。
「前まで葉っぱ黄色かったよな?」
「枯れかけてた」
隣の同僚が頷き、それから達也の方を向いた。
「井上、土属性だったよな。そういう能力?」
給湯室から戻る途中で話を振られ、達也は足を止めた。
「いや、どうなんだろ」
「お前の能力だろ」
「僕もまだよく分かってないから」
「適性者ってそんなもんなの?」
「そんなもんじゃない?」
近くにいた別の適性者が、笑いながら口を挟む。
「俺も自分の能力、全部説明しろって言われても無理だぞ」
「そんなもんなのか……」
同僚が改めてパキラを見る。以前は黄色くなっていた葉も、今ではすっかり色を取り戻していた。
「で、結局何したの?」
「土ほぐした」
「それだけ?」
「あと、水」
「水なら前からやってたんだけどな……」
達也もパキラを見上げた。鉢の中で窮屈そうにしていた根は、以前よりずっと楽そうに広がっている。能力の影響がまったくないのかと言われれば、それも分からない。以前、ノートにはそう書いた。
――能力の影響? 要確認。
今のところ、答えはまだ出ていない。
「まあ、元気になったならいいんじゃない?」
「井上は気にならないのかよ」
「元気だし」
「そういう問題なのか?」
達也はそれ以上気にすることなく、自分の席へ戻った。
それからも、出社すればパキラを見る。土に触れ、水分を確かめる。必要なら水をやる。いつの間にか、それが朝の日課になっていた。
ーーー
週末。配信のコメント欄には、もう見慣れた言葉が流れていた。
『トマトきた』
『今日も面いる』
『この二人見ると週末って感じする』
『今日は何採るんだろ』
達也と健吾が並んでダンジョンを歩いていく。配信映像では、いつものトマト頭と黒い剣道面。健吾が周囲を見る。達也が植物を見る。最近では、それがすっかりいつもの形になっていた。
しばらく進んだところで、茂みが大きく揺れた。
「たっちゃん、下がれ」
「うん」
健吾が大剣を抜く。配信画面では、それまで揺れていたトマトのヘタがぴたりと止まった。
茂みから飛び出してきたのは、四本脚の魔物だった。地面を蹴り、一気に距離を詰めてくる。その瞬間、健吾の左手から白い光が弾けた。辺りが一瞬だけ真昼のように明るくなる。魔物が顔を背け、足を止めた。その隙に健吾が踏み込む。大剣が振り抜かれ、魔物が地面を転がった。
「ケンちゃん」
「なんだ?」
達也の視線が、健吾の左足へ向く。配信画面では、トマトのヘタもそちらへ傾いている。
「そこ左の草、踏まないで」
「今それ言う!?」
「大事な草だから」
「魔物より草優先すんなよな、まったく……」
健吾が慌てて一歩ずれる。達也はしゃがみ込み、草が無事なのを確認した。
『このやり取り何回目だよw』
『安定のトマトと面』
『面が魔物見てトマトが草見てる』
『今日も平和』
「無事?」
「うん」
「俺じゃなくて草だよな、それ」
「うん」
「聞いた俺が悪かった」
達也は立ち上がると、また周囲の植物へ目を向けた。そのまま少し進んだところで、ふいに足を止める。
「……ん?」
「今度はなんだ?」
達也は一本の木へ近づいた。配信画面では、トマトのヘタも灰色の幹へゆっくり傾いている。灰色がかった樹皮に、細長い葉。見た目だけなら、それほど珍しい木ではない。幹に手を触れる。
(……なんだ、これ)
これまで触れてきた植物とは、少し感覚が違った。試しに、ごく少量の魔力を流してみる。
「……あ」
わずかに傾いていたヘタが、ぴんと立つ。魔力が、するりと幹の中へ入っていった。いつもの植物なら、もっと根や葉へ広がっていくような感覚がある。だが、この木は違う。流した魔力がほとんど引っかからず、そのまま幹の中をすっと通っていく。
「どうした?」
「ケンちゃん、ちょっとこれ触ってみて」
「木を?」
「うん。魔力流してみて」
「……また急だな」
そう言いながらも、健吾は大剣を背負い直し、幹に手を当てた。少しして、眉を寄せる。
「……あー」
「分かる?」
「なんとなく。いつもより流しやすい……気はする」
「やっぱり?」
「でも俺、普段から木に魔力流してないぞ」
「あ」
「比較できねえだろ」
「じゃあ、他の木にもやってみて」
「俺もやるの?」
「比較したいから」
「……はいはい」
二人で近くの木を何本か試してみる。やはり、最初の木だけ感覚が違った。達也はその場にしゃがみ込むと、ノートを取り出した。
【灰色の樹皮、細長い葉の木】
魔力を流した際、内部への伝達が非常に速い。
他の樹木より抵抗が少ない可能性あり。
用途――不明。要検証。
「結局、何に使えるんだ?」
「分からない」
「分からないのに採るのか?」
「分からないから採るんだよ」
「……そういうもんか」
「そういうもん」
達也は木を傷めない程度に細い枝を一本だけ採取し、サンプル用の袋へ入れた。
『なんか見つけた?』
『用途不明w』
『トマトの人でも分からんものあるんだ』
『むしろ分からないって書くんだな』
達也はノートを閉じると、また歩き始めた。
ーーー
さらに奥へ進んだところで。
「……待って」
今度は達也が健吾を止めた。
「魔物か?」
「いや」
「じゃあ草?」
「たぶん」
「たぶん草ってなんだよ」
達也が見ている先には、小さな葉がいくつか地面から顔を出していた。配信画面では、トマトのヘタが地面を覗き込むように傾いている。特に目立つ植物ではない。だが、達也にはその下に、何かがあるのが分かった。
しゃがんで地面へ手を触れる。
(……広い)
根がある。思っていたより、ずっと太い。しかも一本ではない。地面の下を這うように、周囲へ広がっている。
(なんだろう)
いつものように感覚を探る。返ってきたものは、単純だった。何かを待っている。近くを通るものを。捕まえたい。
「……捕まえるのかな」
「何を?」
「分からない」
「またそれか」
健吾が周囲を見回した、そのときだった。奥の茂みから物音がした。
「たっちゃん、来るぞ」
健吾が大剣へ手を伸ばす。現れたのは、先ほどより一回り大きな四本脚の魔物だった。低く身構え、そのまま二人へ向かって走り出す。
「下がれ!」
健吾が前へ出ようとする。だが、達也は地面へ手をついたまま、地下にある根へ意識を向けていた。
(捕まえたいなら――)
近づいてくる魔物を見る。
(あっち)
次の瞬間、地面が弾けた。
「えっ」
太い根が何本も飛び出し、魔物の脚へ巻きついた。魔物が吠える。身体を捻り、根を振りほどこうとする。
「お、おお……」
「たっちゃん、これお前――」
「たぶん」
捕まえた。そこまでは、達也にも分かった。だが、次の瞬間、根が一斉に縮んだ。
「え?」
魔物の身体が地面へ叩きつけられる。さらに根が引く。土が崩れた。
「ええっ!?」
配信画面のヘタが、びくっと跳ね上がった。魔物の身体が、地面の中へ引きずり込まれていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「たっちゃん!?」
「いや、僕も知らない!」
「知らないでやったのかよ!」
「捕まえるとは思ったけど、埋めるとは思わなかった!」
魔物が必死に地面を掻く。だが根は止まらない。やがて頭まで土の中へ消えた。
「…………」
「…………」
地面が静かになる。達也は地面に手をついた姿勢のまま固まっていた。健吾も大剣を抜きかけたまま動かない。配信画面では、跳ね上がったヘタまで固まったように動かなかった。
『え?』
『埋まった?』
『今の何』
『トマトも固まってるw』
『本人も知らんのかよ!』
『草こわ』
『草じゃなくて根だぞ』
『そういう問題じゃねえ』
「……埋めるんだ」
達也が呟いた。
「俺に聞くなよ」
「思ってたよりすごかった」
「一番驚いてるのお前じゃねえか」
「うん」
達也はしばらく地面を見つめてから、慌てたようにノートを取り出した。
「メモするのかよ」
「忘れたら困るから」
「今の忘れられるか?」
「細かいところは忘れるかもしれないし」
達也は地面から出ている葉を確認しながら、ペンを走らせた。
【地表に小さな葉。地下に太い根】
地下に広く根を張っている。
近づいた生物を捕らえる性質あり。
根による拘束を確認。
捕獲後、地中へ引き込む。
思っていたより勢いが強い。
周囲に人がいる場合、使用注意。
詳細――要検証。
「……『思っていたより』って研究記録に書くのか?」
「僕のノートだから」
「そうだったな」
達也はノートを閉じた。そのあと、二人は少し遠回りして、その植物の生えている場所を避けて進んだ。
ーーー
数日後。JDAの植物研究班では、別の話が進んでいた。
「追加分でも同じ結果です」
研究員が資料を太田へ渡した。
「止血作用は再現しました。痛みについても、軽減する傾向があります」
「刺激は?」
「残ってますね。井上さんの記録通り、少しヒリヒリします」
太田は資料へ目を落とす。あの赤っぽい葉については、何度試しても似た結果が出ていた。
「このまま使わせ続けるより、ちゃんとした形にしたいな」
「加工ですか?」
「ああ。ただ――」
太田は机の上の葉を見る。
「薬にするなら、ここから先は専門家に見てもらった方がいい」
「製薬会社ですか」
「候補を当たってみる。こっちからは植物のサンプルと、これまでの試験結果を出そう」
「分かりました」
研究員が資料をまとめ始める。
「ああ、それと」
太田が呼び止めた。
「乾燥させて湯に入れた場合のデータも付けてくれ」
「飲用ですか?」
「まだ分からない。ただ、葉だからな」
「……お茶みたいに?」
「可能性の一つだ」
研究員が少し笑った。
「回復薬がお茶になったら面白いですね」
「まず効くかどうかだ」
「ですね」
研究員が席へ戻っていく。太田は別のファイルを開いた。背表紙には、小さく文字が書かれている。
――井上アーカイブ。
中には、達也がこれまで記録してきた植物についての資料が収められていた。採取場所。外見。井上が能力で感じたこと。実際に確認できたこと。まだ分からないこと。
「主任」
別の研究員が一枚の用紙を持ってきた。
「この分け方、他の植物にも使っていいですか?」
「分け方?」
「井上さんの記録です。『分かったこと』と『分からないこと』が分かれてるじゃないですか」
渡された用紙を見る。井上のノートをそのまま写したものではない。だが、項目の作り方には、確かに似たところがあった。
「採取場所、外見、確認できた性質、未確認の性質……この形なら、他の採取物でも使いやすいかなと」
太田はしばらく用紙を眺めた。
「やってみるか」
「じゃあ、何件かまとめてみます」
「頼む」
研究員が戻っていく。太田は用紙をファイルの横へ置いた。その隣には、先日送られてきた新しいサンプル袋がある。中に入っているのは、灰色の樹皮を持つ細い枝。添えられた記録の最後には、いつもの文字があった。
――用途、不明。要検証。
「……今度は木か」
太田は枝を手に取った。
ーーー
その日の夜。達也は自宅のテーブルでノートを開いていた。週末に見つけた植物について、足りなかった部分を書き足していく。地下へ魔物を引きずり込んだ植物のページでは、一度ペンが止まった。
「……あれ、びっくりしたな」
思い出すと、今でも少し怖い。捕まえるところまでは予想していた。まさか、そのまま地面の中へ持っていくとは思わなかった。次に使うことがあるなら、もっと周囲を確認した方がいい。そのことも書き足した。
そこで、ふとペンが止まった。
捕まえる。今日、自分は魔物を捕まえた。倒したわけではない。健吾のように大剣を振ったわけでもない。ただ、地面の下にいた植物へ、あっちだと伝えただけだった。それでも、魔物は止まった。
『今日みたいに目つぶって振り回すんじゃなくて、ちゃんと狙って当てられるくらいにはなっとけ』
ふと、健吾の言葉を思い出した。初めてダンジョンへ入った日。鉄の棒を握って。スライムを前にして。目をつぶって、滅茶苦茶に振り回した。
「……剣は無理だけど」
達也は自分の手を見る。今日、この手で地面に触れた。根が動いた。魔物を捕まえた。その後、地面の中まで引きずり込んだのは完全に予想外だったけれど。
「これなら……できるのかな」
倒せなくても。動きを止めるくらいなら。植物が近くにあれば、自分にもできるのかもしれない。まだ、よく分からない。でも、鉄の棒を振り回すよりは、ずっと自分に合っている気がした。
達也はノートへ視線を戻す。少し考えて、先ほどの記録の下へ一行だけ書き足した。
拘束に使える可能性あり。
「……要検証、かな」
その下に、もう一行。
要検証。
達也は小さく頷いて、ページをめくった。
「……もうこれだけか」
残っているページは、ほんのわずかだった。最初は何も書かれていなかった百円ショップのノートも、今ではほとんどが文字で埋まっている。最初の方をぱらぱらとめくってみる。字の大きさも、書き方もばらばらだ。途中から見出しを付けるようになった。分かったことを書いて。分からないものには、「要検証」と残した。
「……結構書いたな」
そのとき、開けていた窓から夜の風が入ってきた。カーテンが揺れる。何気なくベランダへ目を向けた達也は、そこで気づいた。
「あ」
プランターのトマト。ずっと青かった実が、赤く色づいていた。
達也は立ち上がると、ベランダへ出た。しゃがみ込み、赤くなった実に指先で触れる。張りがある。水分も十分。
(うん。食べ頃だな)
茎を傷めないように、一つ収穫する。
「よし」
赤いトマトを片手に部屋へ戻る。テーブルの上には、残り数ページになったノート。達也はトマトを置くと、もう一度ノートを手に取った。
「……そろそろ買い替えないとな」
翌日、仕事帰りに立ち寄った百円ショップで、達也は同じようなノートを一冊買った。
お読みいただきありがとうございました。
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