第七話「ソロ配信とトマトの人」
第七話「ソロ配信とトマトの人」
JDAから、達也に最初の任務が下ったのは、それから数日後のことだった。
『近郊の初心者向けダンジョン、最浅階層での素材採取と定期巡回』
書類には、そう書かれていた。危険度としては低い部類らしい。だが、達也にとっては初めての、実地での正式な任務だった。
当日、集合場所には、同じく適性者と判定された受講者たちがぞろぞろと集まっていた。受付では、名前と登録情報の確認が行われている。
「井上達也さんですね。こちらが探索証になります。ダンジョンへ入る際は携帯してください」
差し出されたカードには、名前と属性だけが印字されていた。
【井上 達也】
【属性:土】
「これを持ってればいいんですか?」
「はい。受付などで確認する場合がありますので、なくさないようにしてください」
「分かりました」
達也は探索証を財布へしまった。
周りを見ると、服装は思い思いだった。上下ジャージ姿の者もいれば、気合の入った迷彩服で来た者もいる。配信用のヘルメットに加えて、念のためにと肘や膝、胸にプロテクターを付けている人もいた。おそらく、戦闘を意識している人たちなのだろう。
達也は、動きやすさを優先して、長袖のシャツに履き慣れたジーパンという格好で来ていた。支給されたヘルメットを被り、リュックを背負う。中にはノートと手袋、採取袋。ナイフは腰のホルダーに差してある。
「昨日の訓練さー」
「火属性の人、めちゃくちゃ強かったよな」
「今日、パーティどうする?」
あちこちで、そんな会話が交わされている。訓練を通して顔見知りになった者同士が、自然と誘い合い、二人組、三人組と固まっていく。
達也には、その輪がうまく見つけられなかった。
誰かに嫌われているわけではない。ただ、木刀もまともに振れない、植物に関係する能力を持った男を、どう誘えばいいのか、周りも分かりかねているようだった。「一緒に組もう」と声をかけるにしても、達也が戦闘で何の役に立つのか、誰にも想像がつかない。
(まあ、植物採るだけなら、一人でもいいか)
達也自身は、それほど深刻に考えていなかった。むしろ、気楽ですらあった。
結局、達也はJDAが用意した大型バスに、一人で乗り込んだ。他の受講者たちがグループごとに固まって賑やかに座席を埋める中、その一番後ろ、窓際の席に、ぽつんと腰を下ろす。
(ノート、持った)
リュックの中を確認する。
(ナイフ、持った)
腰のホルダーを確かめる。
(手袋、持った。採取袋、持った)
一つ一つ指差し確認するその姿は、冒険に出るというより、山菜採りに出かける前の準備そのものだった。
バスの窓から見える景色を眺めながら、達也は小さく息を吐いた。緊張しているのか、そうでもないのか。自分でもよく分からなかった。
ーーー
ダンジョン入口に到着すると、達也は支給された配信機材を起動させた。頭上に、小さな撮影用ドローンが浮かぶ。
国の公式ポータルサイトには、「JDA公式・第一期適性者実況」という、いかにも硬い名前のリンクがずらりと並んでいた。その中の一つに、達也の配信画面が無機質に表示されている。物好きなネットユーザーたちが、暇つぶし程度に、その配信を覗きにやってくる。
『うわ、なんだこのアバターwww』
『目も口もないんだが』
『トマトが歩いてて草』
『他の配信はカッコいい兜の奴とか、火出してる奴いるのに、なんでこれだけトマトなんだよ』
達也は、そんなコメントの存在すら知らないまま、ただ黙々とダンジョンの最浅階層を歩いていた。頭上のドローンにも、コメント欄にも目もくれず、ひたすら足元の草木を観察している。歩くたび、配信画面のトマトのヘタが、ゆらゆらと揺れていた。
「……あ」
他の探索者が通り過ぎた場所で、達也だけが足を止めた。同時に、揺れていたヘタもぴたりと止まる。
岩陰から、小さな青い芽が出ている。見たことのない芽だった。
しゃがみ込み、芽の周囲の土を指先で軽く押してみる。配信画面では、トマトのヘタまで青い芽の方へ傾いていた。
(水が少ない)
表面は乾いている。だが、少し下にはわずかに湿り気が残っている。
今度は、芽そのものへそっと指を触れた。
(根はかなり深い……この周辺の土じゃなくて、岩の隙間の方に伸びてる)
首を傾げて岩の割れ目を覗き込むと、トマトのヘタも同じ方向へ傾いた。
「……岩の隙間から養分取ってるのか?」
リュックからノートを取り出す。
【青い芽】
岩陰に生育。
周辺の土は乾燥気味。
根は岩の隙間へ深く伸びていると思われる。
周辺の土より、岩側から養分を取っている?
要確認。
書き終えて、もう一度芽を見る。まだ小さい。一株しか見当たらないこともあり、達也はナイフには手を伸ばさなかった。
「……これは、まだいいか」
場所だけ覚えておくことにして、ノートを閉じる。
『採らないんかい』
『さっきから何見てんだこのトマト』
『草の前でずっと止まってるぞ』
『なんかヘタまで草の方見てない?』
そんなコメントが流れていることを、達也はもちろん知らない。
再び歩き始めて少し進んだ先で、黄色い小さな花が一輪だけ咲いていた。達也が足を止めると、ヘタも止まり、少し遅れて黄色い花の方へ傾く。
『また止まった』
『今度は花か』
『ヘタも向いたw』
近くに同じものがないか探してみたが、見当たらない。
「……これも一株だけか」
しばらく迷ったあと、やはり採らなかった。代わりに、生えていた場所と周囲の様子だけをノートへ書き留める。
珍しいからといって、全部採ればいいとは思えなかった。増えてからでも遅くはない。そんなことを考えながら、また歩き出す。
ーーー
小一時間ほど歩いたところで、達也の足がまた止まった。配信画面のヘタも、ぴたりと動きを止める。
「うわ……」
目の前には、紫色の胞子嚢を膨らませた植物が群生していた。数十本はある。風が吹くたびに、その胞子嚢がふるふると揺れている。
(これ、前に触ったやつだ)
訓練施設で、一度だけ検体に触れたことがある。あのとき感じた性質が、今、目の前の群生と重なった。
(風下には行かない。根元から切る。胞子嚢には触らない)
怖くないと言えば嘘になる。配信画面では、ヘタがわずかに強張るように立っていた。だが、恐怖より先に、頭の中の情報の方が優先された。
「……よし」
達也は腰のナイフを抜き、群生の風上側から、ゆっくりと回り込んだ。胞子嚢に触れないよう注意しながら、根元にナイフを当てる。すっ、と軽い手応えとともに、茎が切れた。切り取ったそれを、慎重に採取袋の中へ収めていく。
一本。二本。三本。
作業が進むにつれ、強張っていたヘタも少しずつ元へ戻っていった。その様子を、頭上のドローンが淡々と映し続けていた。
コメント欄が、少しずつざわつき始めたのは、その頃だった。
『え、今のあっさり刈り取ったのヤバくね?』
『あの胞子、さっき別の配信で火属性の奴が吸い込んで悶絶してたやつだぞ』
『なんでナイフ一本で普通に採れてんの??』
『さっきまでヘタ固まってたのに普通に採ってるぞ』
『怖いのは怖いのかよw』
視聴者たちの期待していた「派手な戦闘」は、そこにはなかった。武器を振り回すこともなければ、属性の力を派手に放つこともない。あるのは、他の探索者なら近づくことさえ躊躇する植物を、淡々と刈り取っていく男の姿だけだった。
『このトマト何者だよ』
『がんばれトマト』
『トマトの人、手際良すぎてワロタ』
最初にそう書き込んだのが誰だったのか、後になっても誰も特定できなかった。ただ、その一言をきっかけに、コメント欄では、いつの間にか「トマトの人」という呼び方が当たり前のように使われ始めていた。
『トマトの人、また何か採ってるぞ』
『今度は何だよ』
『ずっと草見てんな』
『それでいいだろw』
『ヘタ見てれば何か見つけたの分かるな』
誰かが正式に名付けたわけではない。視聴者たちの間で自然と生まれ、自然と定着していく。それが、この呼び名の始まりだった。
その後も、達也は淡々と歩き続けた。途中、小型の魔物に何度か遭遇したが、そのたびに、戦うというより避けることを選んだ。遠回りできるなら遠回りする。近づいてくる相手には、刺激臭のある草を使って進路を逸らす。足元に絡みつきやすい蔓があれば、そこを避けるように移動する。
倒すのではなく、やり過ごす。それで十分だった。
魔物が近づけば、ヘタがびくっと跳ねる。危険が去れば、ほっとしたように元へ戻る。そして、気になる植物を見つければ、今度はそちらへ傾く。
『ヘタ忙しいなw』
『魔物より草に反応してる時間の方が長いぞ』
『トマトの人だからな』
その合間にも、気になった植物を見つければ足を止める。採れるものは採り、少なすぎるものは場所だけ記録する。定刻になり、集合場所へ引き返す頃には、達也の採取袋はかなりの重さになっていた。
「お疲れ様でした。採取物はこちらへお願いします」
バスに乗り込む前、係の職員がそう声をかけてきた。JDA特別雇用の相馬陸だった。風属性の力を使い、探索者たちの重い荷物の搬送を手伝っている。
促されるまま、達也は採取袋を提出用のコンテナへ置いた。いくつか並べられた簡易テーブルの上には、それぞれの探索者が持ち帰った植物や鉱物が、採取者ごとに分けられている。
「名前と採取地点を確認しますので、こちらの用紙に記入してください」
「分かりました」
達也が用紙に名前と簡単な採取地点を書き込む間、相馬は採取袋の中身を確認しながら、一つずつ番号札を付けていった。
「……ずいぶん採りましたね」
「あ、はい。植物が多かったので」
「植物に関係する能力でしたっけ」
「はい。僕も、まだどこまで分かるのか分かってないんですけど」
「なるほど」
相馬は、それ以上深く考えることもなく、採取物をコンテナへ収めていった。
「では、こちらで受領します。お疲れ様でした」
「はい。お願いします」
達也は軽く頭を下げた。
帰りのバスでも、行きと同じ一番後ろの窓際に座った。だが行きとは違い、腰を下ろして間もなく座席にもたれかかり、ほどなくして、うとうとと舟を漕ぎ始める。
自分が今、ネットの片隅で「トマトの人」と呼ばれ始めていることなど、達也はまだ何も知らなかった。
ーーー
その夜。達也は疲れた身体を引きずるようにして、自宅のテーブルにノートを広げた。
【紫の胞子嚢を持つ植物】
風下に近づくと危険。
根元から刈れば、胞子嚢に触れず採取可能。
胞子嚢の中身――未検証。
いつもと変わらない、飾り気のない字だった。
「……今日は、結構採れたな」
そう呟いて、達也はノートを閉じた。
その頃、ネットの片隅では、今日の配信の切り抜きが少しずつ回り始めていた。
『今日のトマトやばかった』
『あいつ何者だよ』
『ずっと草採ってるだけなのになんか見てしまう』
『ヘタまで分かりやすいのなんなんだよw』
『トマトの人、次も見たい』
だが、当の本人はそんなことをまるで知らないまま、泥のように眠りに落ちていた。
百円ショップのノートを持った、植物好きの会社員が、週末ごとにダンジョンで草を採っていたら、いつの間にか有名になっていた。
ただ、それだけのことだった。
お読みいただきありがとうございました。
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